インドのシルク屋で組体操した話② インド到着。ライチに怯えた日
インド到着。暑すぎる
インドについた。デリーだ。飛行機を降りた瞬間に死ぬかと思った。午後の便だった。デリーはインドの首都で、人口3000万人を超える巨大都市だ。混沌としていると聞いていたが、空港を出た瞬間にその意味がわかった。
40度超えの熱気が、出口から一歩出た瞬間に全身に貼り付いてきた。日本の夏とは質が違う。湿度もやばい。ずっとサウナのロウリュウを浴びているような状態だった。なるほどさくら剛が二度と行くかと言うわけだ。来て5秒で理解した。
エリートガイドクマー
現地ガイドのクマーと合流した。
クマーは日本で研修を受けたエリートガイドらしかった。らしかった、と書いたのは、どう見てもエリートに見えなかったからだ。小柄で、なんというか、卑しい雰囲気がにじみ出ている。移動が始まると、3分でいきなり指をスリスリしてきた。チップをよこせということだ。仕方なく払った。エリートが3分でスリスリしてきた。日本で何を研修してきたんだ。
移動中、赤信号で車が止まった。
窓を叩く人影があった。ドギツイ化粧をし伝統衣装をまとったヒジュラーだった。手を出し、お金を求めていた。クマーは少し窓を開け、小銭を渡した。「ああやって稼ぐしかないんだ」とクマーは静かに言った。ヒジュラーとは男性でも女性でもない独自の存在で、職に就くことが難しく物乞いを生業にしている人も多いらしい。帰国後に調べて知った。
さっきまでスリスリしてたやつが急にそういうことを言うので、私は何も言えなかった。
デリーの日本人宿
宿はデリーにある有名な日本人宿だった。
インドにあるのにどこか日本っぽい、という奇妙な場所だった。中にカップラーメンや日本のお菓子が売っていて、疲れ果てた旅行者がぼんやりとそれを眺めていた。海外に来てカップラーメンを見てほっとしている自分がいた。情けない。でも40度超えのデリーで数時間過ごしただけで人間はそうなる。
チェックインを済ませ、荷物を置いて街へ出た。夕方だった。
牛がいた。犬もいた。普通に道を歩いていた。車もリキシャも人間も牛も犬も、全員同じ道を使っていた。誰も気にしていなかった。私も5分で気にしなくなった。人間の適応力は思ったより高い。
初めてのラッシーとカレー
露店でラッシーを飲んだ。うまかった。インドに来て初めて「来てよかった」と思った瞬間だったが、飲み終わってカップを見たらハエがたかっていた。もう飲んだあとだった。諦めた。

宿に戻ると、旅行者たちが車座になって話していた。その中に沈没者がいた。
沈没者というのは、旅の途中でその土地に居着いてしまった旅行者のことだ。その沈没者は、ヒゲがモジャモジャでガリガリに痩せていて、仙人のような見た目だった。傍らには鉢植えがあった。
日本にいつ帰るんですか、と聞いたら「もう5年帰ってない」と言った。
5年。インドに5年。仙人のような見た目に納得した。
美味しい店を聞いたら「あんまわからん」とのことだった。
5年いて何もわからないのか。何をしていたんだ5年間。それでもまだここにいるということは、5年居続けるだけの何かがあるのかもしれない。私にはまだわからなかった。
仕方がないので宿のスタッフに聞いて食べに行った。カレーとチャパティだった。スパイシーというより塩分が強かった。インドのカレーへの第一印象が「しょっぱい」というのはどうなのかとも思ったが、そうだったので仕方がない。Kは熱々のカレーを右手だけで食べようと練習していた。インドに来て初日から本格的だった。

恐怖のライチ
宿に戻ると、さっきの沈没者がまだ傍らに鉢植えを置いて座っていた。インドの注意事項を教えてくれるという。ありがたい。その中のひとつがマハラジャブレンドだった。
「マハラジャブレンドってラッシーがあってさ、大麻入りなんだよね。知らずに飲んで大変なことになるやつ多いから気をつけて」
なるほど、と聞いていたら、沈没者が突然傍らの鉢植えから葉っぱをもいで「これ食べる!?」と差し出してきた。
大麻の話をしながら葉っぱを勧めてきた。普通に怖い。大麻の話をしながら葉っぱを勧めるな。
聞いたらライチだった。鉢植えにライチがなっていて、それを食べないかと言っていただけだった。怪しくなかった。ただのライチだった。

ただあの見た目で大麻の話をしながら葉っぱを勧めてきたら誰でも疑う。こちらは悪くない。
デリーに来て半日で、私の警戒センサーは完全にMAXになっていた。出発前にあれだけ予習したのだから当然といえば当然だった。ライチひとつ素直に食えない人間が出来上がっていた。明日はアグラへ向かう。
