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【三島由紀夫は核武装論者】1969年のカナダのTV局の貴重な三島由紀夫のインタビュー


1969年のカナダのTV局の貴重な三島由紀夫のインタビュー

三島由紀夫「私は多くの日本人が、日本での核保有を認めるとは思いません。」

インタビュアー「人々の反対意見は、時間の経過とともに減少し、10年前に比べて現在は、核兵器というものをより前向きに受け入れようとしているとあなたは思いますか?」

三島由紀夫「そうではないと思います。」

ナレーター「絶大な人気を誇る小説家であり、過激な愛国者でもある三島由紀夫は核武装についての反対意見が、支配的なため悲観的である。彼は独自の軍隊を編成、右翼がどのようにして自立への問題を解釈したかを彼のコメントの中に窺うことができる。」

三島由紀夫「独立することが必ずしも帝国主義のような再帰に繋がるということを、意味するものではない。我々は日本人である。我々はもっと自立したい、そのことは、現在、全ての日本人に共通な考えである、なぜなら我々は既に経済発展を成し遂げたので、さらになにかを欲している。崇高な、なにかを。」

インタビュアー「どのようにして、その何かを手に入れるのですか?というのも、たとえばあなたは、楯の会と呼ばれる学生同盟を結成しましたね。この裏に在る、あなたの考えとはなんですか?」

三島由紀夫「この考え、即ち私は、民兵という考え方の先駆者となりたいのです。お分かり頂けたでしょうか。そして、それはスイスの兵隊のようなもので、我々は平時には文民の生活をし、もし非常時ともなれば、我々は銃を手に取ることです。」

インタビュアー「太平洋地域から、米国がその軍隊を撤退した場合、左翼の日本支配の危険性が高まると、あなたは思いますか?」

三島由紀夫「ある程度は、そう思わざるを得ません。何故なら米国は時に、アジア政策について非常に無知であり、1930年の満州事変においては、彼らはただ我々の戦いの邪魔をし我々を最も過激な反共産主義国家であることを、考察することもなかったわけであります。」

インタビュアー「あなたの答えとは?日本は現在なにをすべきなんでしょうか?特に軍事に関しては。」

三島由紀夫「軍事に関しては、わたくしは自分なりの意見を持っているわけですが、それは自衛隊を二つに分断し、一方は通常兵器による国防、もう一方は、何パーセントかの航空自衛隊を、国連軍の予備軍にして、そして憲法改正がなされた場合には、この予備軍が国連軍に加わることにより、核兵器による武装が可能になるのであります。」

1970年11月25日の市ヶ谷駐屯地での決起(三島事件)の際に撒かれた『檄』には、以下のように明記されています。

「国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた」

檄文において、核停条約(核拡散防止条約・NPT)をかつてのワシントン海軍軍縮条約と見立て不平等条約だと批判しています。

  • 三島由紀夫は決起時に撒いた『檄文』の中で、「国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約(ワシントン海軍軍縮条約)の再現である」と指摘し、大国主導の核不拡散体制が日本の防衛権や自主性を制限する不平等なものであると断定・批判しました。

  • 自衛隊幹部(ジェネラル)と政治への糾弾 日米繊維交渉で民間業者が抗議したことと比較し、国家の根幹に関わる核停条約の署名に対して「抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった」と述べ、他国依存の安全保障や憲法下の現状に甘んじる自衛隊幹部・政治の姿勢を痛烈に非難しました。

「纎維交渉に當つては自民黨を賣國奴呼ばはりした纖維業者もあつたのに、國家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衞隊からは出なかつた。」ー三島由紀夫「檄」

1967年の「私の中のヒロシマ」で三島は、被爆国・日本にこそ「良心の呵責なしに核を作りうる」と論じ、これを新しい政治的論理として確立すべきだと主張した。核大国は良心の痛みを抱えながら核を作っているが、良心の呵責なしに作れるのは唯一の被爆国である日本だけだとし、新しい核時代にその特権を持って対処すべきではないかと問うた。

「核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。」— 三島由紀夫「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」

事実関係の整理

三島由紀夫自身が1967年に書いた「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」は、はっきりと「唯一の被曝国・日本」こそが「良心の呵責なしに」核を作りうる、という論理で核武装の権利・特権を肯定しています。これは推測や解釈ではなく、本人の明示的な主張です。

1969年のカナダのテレビインタビューでも、「核兵器による武装が可能になる」と述べています。自決直前の『檄』でもNPTを批判的に触れています。


西尾幹二

西尾幹二氏をはじめとする研究者の多くは、これらの一次資料を踏まえて「三島は核武装を肯定的に捉えていた」と解釈しています。

一方、適菜収氏の「徴兵制と核武装を否定した」という主張は、三島の反軍国主義的・反全体主義的な側面や、愛国教育・国粋主義への嫌悪を強調する二次解釈です。

適菜収

一次資料(三島本人の文章)を優先すべきで、適菜収氏の解釈を西尾幹二氏のそれと同列に扱うのは適切ではありません。

三島は核武装を(必要悪的・被爆国特権的な論理で)肯定していた、

が一次資料に基づく結論です。


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