【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑧ ~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
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柳原と呼ばれた男は、厨房に戻った竹内から朝食のトレイを受け取り、竹内の隣に座った。
そして、「今日も一日、ご安全に。いただきます」と言ってから、朝食をむしゃむしゃと食べ始めた。
柳原は何も言わず、ただ飯を食った。
彼は寡黙な男だと、慶次朗は察した。
彼が席に着いた途端、竹内も深雪もしゃべらなくなり、そそくさと食事を終えると、自分のトレイを下げて、隣のテーブルでコーヒーを飲みながら、コソコソ話し始めた。
意人までもが何も言わず、黙々と食べていた。
慶次朗は、どうしていいか分からずに黙って食べ、終わるとトレイを戻した。
すると、竹内が何も言ってないのに、慶次朗に紙コップのコーヒーを持ってきてくれた。慶次朗が苦手なブラックコーヒーだった。
善意を無碍にする訳にもいかず、慶次朗は、そのコーヒーを飲んだ。
意人は食べ終わると、「ごちそうさま」と言い、「トイレ!」と言って、食堂を出て行った。
意人が出て行くと、食堂はますます静かさが強調されてるようになった。
その空気に嫌気を感じたのか、山野辺が話し出した。
「柳原さん、今日はちょっと遅かったな」
「持ってきた海水の排出に、ちょっと手間取りまして…」食べる手を休めずに、柳原が答えた。
「なるほどな。順番待ちだったって訳だ」
「ええ…」
「海水って、どういう事です?」と、慶次朗が訊いた。
「うちはな、長距離は全部、活魚運搬専用なんだよ。荷台にいけすがあってな。生きた魚を運んでくるんだ。海水はその水だよ。ずっと同じ水は使えねえから、排水の必要があるんだ」
「なるほど…そうなんですねえ」と、慶次朗は感心して言った。
また、沈黙
「で、柳原さんは、今日はお通夜に出れるのかな?」
「いや、今日は自分は非番なんで…」
「でも、柳原さん、明日は朝から運行だろう?」
「ええ、まあ」
「通夜ぐらい出なよ。後悔すんぜ。どうだい?」
柳原は食べ終えた。そして、給茶機に向かい、冷たい煎茶を飲み、お茶で口をゆすいだ。
「そうよ、柳原さん。私も後悔すると思うよ、絶対に」急に深雪が割り込んできた。
「私もそう思うわ。柳原さん、あんた、恵美ちゃん、好きだったでしょう?」武内は年上らしく、上から口調で言った。
「やめて下さい、竹内さん!好きとかじゃないっすよ。俺はただ、恵美ちゃんが栄作の嫁さんだから…」
「そうだよ、竹内さん!滅多な事を言うんじゃないよ。柳原さん、怒っちゃったじゃねえか!なあ、柳原さん」
「社長、怒ってなんかないですよ。ごちそうさまでした。じゃあ、帰ります」
「ああ、お疲れさん。柳原さん、通夜に来ないなら、せめて帰りに葬儀場に寄ったらどうだ?」
「…」
「あんたの帰り道とは反対になるが、駅と反対側のセレモニーホールだ」
「ああ、川の手前ですね」
「そうそう。あんた、自転車だから、ちょっと回り道でもいいだろう?」
「まあ、考えときます。じゃあ、失礼します」
「お疲れさん」
柳原は食堂を出て行った。
「柳原さん、相変わらずね。無口で笑わないし、ホント、イヤな感じ」と、竹内が言うと、「でも、あの人、スゴイよね。慶次朗さんがいるのに、全く気にしてもなくて…さっさと食べて、さっさと帰っちゃって」と、深雪が相槌を打った。
「あら嫌だ。本当ねえ。あの人、慶次朗さんの事、何とも思ってないのかねえ?あの人の大事な恵美ちゃんの弟だって言うのにねえ」
「大事な人?柳原さんと恵美姉は、昔何かあったんですか?」慶次朗が口を挟んだ。
「恵美ちゃんねえ、ここ来る前は豊洲の定食屋にいたでしょう?」と、竹内が応じた。
「ええ、高校卒業したらすぐにそこへ入りました。アルバイト時代からそのまま流れで…」
「うちの会社でさあ、一番最初にその店に行ったのが、どうも柳原さんみたいでね。柳原さん、一人で常連になって…そのうち、柳原さんの一番弟子の栄作ちゃんを連れて行くようになってね。程なく、恵美ちゃんは岩沢さんと結婚する事になって…結婚式の日も柳原さん、仕事入れちゃって、出席しなくって…なんかさあ、柳原さんの方が先に、恵美ちゃんの事見初めたんじゃないかって思うのよねえ。勝手な推測だけどねえ…でも、柳原さん、あの通り、無口で面白みがないでしょう?栄作ちゃんは正反対の人で、明るくって…だから、栄作ちゃんに恵美ちゃんを横からさらわれたんじゃないかって、みんなで噂したりして…あの人、栄作ちゃんの葬式だって、来なかったんだよ。おかしいよねえ。変わり者だっていうのは知ってるけど、変わり過ぎだよねえ」
「そうなんですねえ。ちっとも知らなかった」
「そうそう。大体、岩沢さんの事故だって、柳原さんが何かやったんじゃないかって、思えたりするしね」深雪が加わった。
「柳原さんが何かって、どういう事ですか?」
「岩沢さん、東名高速で後輪が二本もいっぺんにパンクして、トラックが暴走して、追突事故しないように車を蛇行させて、自損事故をやったのね。岩沢さんが乗ってたトレーラーはうちの中で一番新しい車で、整備不良なんて考えられないんだけど…ドラレコに岩沢さんの声が入ってて、いきなり後ろがパンクした!ハンドルが取られる!って、言ってて…そんなん二輪もいっぺんになんて、普通はあり得ないんだよ。だから…」
「二人ともよさねえか。花房さんに変な事吹き込むのは止めてくれ。保険会社だって、車のメーカーだって、納得して、もう済んでる話なんだから。これ以上、厄介事を増やすんじゃねえ」と山野辺が言った。
二人は黙り込み、「ごちそうさまでした」と言ってから、そそくさと席を離れた。
「花房さん、悪かったなあ。柳原さんはああ見えて、悪いヤツじゃねえんだ。それは俺が保証する。でもな、とにかく愛想が悪くってなあ。困りものだぜ。まあ、そろそろ俺らも準備しようぜ。ここを8時までに出て、病院には9時頃着くようにしたいんだ。お前さん、大丈夫かい?」
「ええ、着替えるだけですから」
「そうそう、着替えだけど、昨日着ていたあんたの白いスーツはどうなんかなあ。何だか汚れちゃってたしよ。あれは止めて、うちのユニフォームを着たらどうだい?Tシャツもあるし、作業着の上下もある。ベルトはねえんで、あんたのベルトを巻いてくれ。どうだ?」
「ありがとうございます。じゃあ、お借りします」
「いいよ。じゃあ、俺はちょっと会社で仕事してくるから、8時にここで会おう」
「分かりました。ところで、意人は?」
「あいつは、今日は学校へ行かせる。今は多分、俺らに黙ってアイス食ってるんだと思う。会いたいのか?」
「いや、後でいいです。俺、意人とまともに話してないんで…恵美姉がもういない事、ヤツは分かってるんすかねえ?」
「ああ、そんな事か…それなら大丈夫だ。昨日のうちに俺が意人にはもう話した。ヤツは強いぜえ。親父がいなくなっただろう。そのお陰で自分の身の回りにいる人はずっと自分の側にいてくれるんじゃなくて、突然いなくなるって、もう知ってるんだ」
「なるほど…そうなんですね」
「今は自分の部屋で、深雪が学校へ行く準備を手伝ってると思うよ。あんたが意人と話したいんなら、学校から帰ってきてからにしな。通夜は今日の17時からだから、時間はたっぷりとれると思うぜ」
「分かりました。山野辺さん、何から何までありがとうございます。じゃあ、俺も準備してきます。後、ちょっと、店への連絡したりすると思いますので、仮眠所にずっといてもいいでしょうか?」
「ああ、構わねえよ。あのベッドは暫くお前さん専用にしてやるから自由に使いな。」
「ありがとうございます」
慶次朗は着替えを受け取り、別棟のプレハブに戻った。
そして、着替えた。
着替えが終わると、左手にしていたサポーターを取り、湿布を剥がした。
すると、手が滑らかに動く感じがした。
自由になった左手で、慶次朗はスマホを開いた。
昨夜店を飛び出してから、慶次朗は誰かと連絡を取っていない。
慶次朗は、LINEを見た。
未読が300件を超えていた。
