【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ㉒~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
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「目が覚めたか?」
「黒さん…ここは?」
「病院さ。お前さん、倒れっちまってな。俺が抱き起したらすげえ熱出してて。慌てて、救急車でここに運んだんだ」
そうか…俺は、あそこで倒れたんだ…
あの後、慶次朗が電話を掛けると、すぐに警察が来た。
警官たちは、呆然とへたり込んでいる慶次朗を見て、武器の所持を疑い、三人がかりで慶次朗の身体を押さえつけ、慶次朗の身体を確認した。
そして、慶次朗が何も持ってない事が分かると、その場ですぐに厳しい口調の尋問が始まった。
慶次朗の心はもたなかった。
何の質問にも答えず、「もうイヤだ、もうイヤだ、もうイヤだ」と、小声でブツブツと唱え続けた。
黒崎が来た。
黒崎は、体育座りをして、身体を固くしている慶次朗の肩に手を置いた。
慶次朗の心の中で溢れそうになっていたものが決壊した。
慶次朗は泣き出した。
大声で、息ができなくなるほどに嗚咽しながら。
黒崎は慶次朗を抱きしめた。
慶次朗は意識を失った。
その時、黒崎は慶次朗が高熱を出している事に気づいた。
そして今、慶次朗は病室で寝ていた。
「今、何時ですか?僕はどれぐらい寝ていたのですか?」
「今は夜の6時18分だ。丸一日とまではいかないが、20時間近く寝ていた事になるな」
「そうですか…でも、ずっと寝ていた気はしないな」
「そりゃそうだろう。ここへ来てすぐに色々検査して、大きな病気や怪我がない事が分かるまで、君はずっと「もうイヤだ。イヤだ」って、何かの呪文みたいに言い続けてて、ただ、心的ストレスが大きいから鎮静剤を投与して眠ってもらったんだが、君が眠ると、僕は一旦帰ったんだけどね。すぐに病院からも警察からも連絡が来て…君は、うなされて意識がない状況で、大声を出して、疲れると、君は静かになって…暫くするとまた大声で叫んで…また静かになる。それを繰り返して丸一日が経ったんだよ」
「なるほど…だからですか…」
「悪い夢は一杯見たか?」
「一杯どころじゃないです。ずっとでした」
「まあそうだろうな。さっきまで生きてて、喋ってたヤツが目の前でいきなり死ぬなんて、滅多に経験できるものじゃないもんな。ずっと、鮮明なままだろう?」
「そう、同じ動画を繰り返し見ているかのように…」
「そうか…そうだよな。花房君、それはもう仕方がないんだよ。見てしまった後になかった事にはできない。俺もね、同じような経験をした事が一度だけある。刑事時代だけどね。下着泥棒を捕まえに行ったんだ。網張ってね。犯人は簡単に捕まると思っていた。ところが、現行犯逮捕しようとして、犯人がするりと逃げてさ。追いかけたら、犯人はトラックに轢かれた。俺の目の前で、犯人はグチャグチャの死体になった」
「それは目に焼き付いてますか?」
「ああ、バッチリね」
「黒さんは、それをどうやって乗り越えたんですか?」
「乗り越える?乗り越えるなんて無理さ。忘れたくても忘れられない。起きた直後は、ただひたすら鎮静剤等の薬の力を借りるしかないんだ。そして、落ち着いてきたら、そのビジュアルとうまく付き合っていけるような心の状態をキープし続ける事。結局はそんなリカバリー方法しかない。だから、花房君も、ここで薬で心の平静を取り戻す事を最優先で考えるべきなんだ」
引き戸が開く音がした。
「慶ちゃん、いる?」
「意人か?こっちだ」
カーテンが乱暴に引き開けられ、意人が慶次朗の胸に飛び込んできた。
慶次朗は意人を抱き締めた。
「良かったよ、慶ちゃん、生きてて!」
「ああ」
「慶ちゃんまで死んじゃったら、僕、寂しくて寂しくて、堪らなくなるところだった」
「バカ野郎。俺が死ぬ訳ないだろう」
「でも、僕、父ちゃんも母ちゃんも死ぬって思ってなかったよ。でも、死んじゃった」
「ああ、そうか…意人は、寂しいか?」
「うん」
「父ちゃんと母ちゃんに会いたいか?」
「会いたい」意人は泣き出した。慶次朗も泣いた。
「そうだよなあ…会いたいよなあ…」慶次朗は意人の肩を強く抱いた。
「慶ちゃん、それ、何回目?」
「えっと、昨日も泣いたから、385回目だ。意人は233回目だろう?」
「そう、ちょっと、多いよね」
「多いけど、仕方ないよな」
「慶次朗ちゃん!生きてた!」深雪も飛び込んできた。
勢いで、慶次朗は深雪まで抱き締める事になってしまった。
山野辺が入ってきた。山野辺は黒崎の方に向かって話し出した。
「すいません、お見受けするに限り、黒崎さんではありませんか?」
「そうですが…」
「私は、慶次朗が今働いてる会社の社長をやってます山野辺といいます。この度は、うちの慶次朗がお世話になったようです。命を助けていただいたと聞きました。何と言ってお礼すればいいのか分かりません」
「命を助けたなんて大袈裟ですよ。ただ、私は慶次朗君を救急車でここに運んだだけです」
「いやいや、そればかりか、お宅の社員の島野さんからうちの会社にまで連絡をいただいて…今日は恵美の納骨があったもんですから、どうしてもこんな時間にしか帰って来られなかったんですが。黒崎さんのお陰で、慶次朗は命拾いしました。厚く御礼申し上げます」
そう言って、山野辺は黒崎に向けて深々と頭を下げた。
慶次朗はハッとなった。
この人は…
赤の他人の俺のために、黒崎さんに向かって、あんなに深く頭を下げる…
どういう事だ?
「山野辺さん、頭を上げて下さい。私は出来る事をやったままです。じゃあ、私は仕事がありますので、これで帰ります。後、島野はうちの社員ではありません。ただの関係者です。では」
そう言って、黒崎は病室を出て行った。
出て行く時、黒崎は慶次朗に向けて親指を立て、ウィンクをした。
これなら、大丈夫だ!
慶次朗にもその意味は伝わった。
意人がいれば…
山野辺運送にいれば…
きっと、俺はやり直していける…
深雪が言った。
「慶次朗ちゃん、お腹空いてない?途中の高崎のPAで焼きまんじゅうを買ったんだけど食べる?」
グーーーーー!
慶次朗の腹が鳴った。
みんなで大笑いした。
