【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ㉓~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
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二日経った。
昨日の午後から日本列島は台風に見舞われており、今日の午後、関東に直撃だという予報が出ていた。
慶次朗はこの間ずっと、雨による気圧の変化のせいだと思われる頭痛に悩まされていたが、イヤな記憶の方は、鎮静剤のお陰なのか、徐々に整理がつくようになってきていた。
諸々の検査の数値が改善されたので、慶次朗は今日の午後に退院の予定だ。
しかし、台風の影響があり、山野辺運送は人手が足らず、誰も迎えに来てくれない事を聞いていた。
どうせ、迎えに来てもらったところで、慶次朗のバイクは、新宿の知り合いの管理人がいる地下駐車場に置きっぱなので、それを取りに行って、自分で運転して帰るしかない。だから、むしろ迎えに来てもらわない事が確定して、慶次朗は内心ホッとした。
慶次朗は、もう警察に出向く必要がなかった。
メロウはあの時、胸にゴープロを仕掛けていた。
だから、慶次朗とルミーが次々と店の中に入ってきた時の動画と音声が残っていた。
しかし、金の話をする前に動画はストップしていた。
この動画はメロウが池田に見せるために要求されたものだったのだろう。
だから、金の話をする前にメロウは意図的に切ったに違いない。
メロウも金をくすねるつもりだったのか?
まあ、分からなくもない。
正直に池田に言ってしまえば、池田に9千万も取られる事になる。
それはメロウにとっても業腹な事だったんじゃないかと推察される。
しかし、その動画のお陰で、慶次朗への疑惑はすべて解消される事になった。
この二日間で、レイとジェームスが死んだというニュースを別々の番組で見た。
レイこと、伊佐山辰治(26歳)は、恵比寿のマンションの非常階段から飛び降り自殺を図ったという。
そして、ジェームスこと、ジェームス・ステュワート(38歳)は、大量のアルコールを摂取した後、車を運転し、大黒ふ頭で車ごと海に落下したらしい。
二人とも、事件性はないとの事だ。
レイの苗字が伊佐山なのは知っていたが、辰治?
じゃあ、何でレイ?
メロウは何を思ったんだろう?
マッチョマンBのファミリーネームは、ステュワート?テレビのテロップでは、ステュワートと書いてあった。
エスタブリッシュみたいじゃん…
最初に思ったのは、どちらの事件でも名前の事だった。
夜の世界に生きてる人間は、本名を名乗る事がない。
だからこその違和感だなと思った。
そんな呑気な事を言ってる場合じゃなかった。
レイが死に、金を運んだジェームスも死んだ。
金木は?
ニュースになってないところを見ると、ヤツはまだ生きてる可能性がある。
その可能性と同じぐらい、既に死んでいて、どこかに埋められてて、事件にすらなってない可能性もある。
京極会の池田さん…
黒さんは、京極会とは話をつけてくれたと言っていた。
新宿東署の岩田さんにも助けを求められるはずだ。
何も怖がる必要はない。
でも、慶次朗は怖かった。
午後になり、慶次朗は退院した。
外は、恵美姉が死んだ時のようなゲリラ豪雨だった。
慶次朗はタクシーで歌舞伎町に向かうつもりだったが、エントランスへ出ると銀のレクサスが、入ってきた。
助手席のウィンドウが開いた。
池田が運転席にいた。
池田が運転するなんて珍しい。
「ケイ、送ってやるぜ」と、池田が言った。
慶次朗は助手席のドアを開け、車に乗り込んだ。
レクサスは大雨の中を音もなく走り出した。
「どこまで行く?」
「歌舞伎町の入口辺りで落としてもらえれば…」
「何だい、あんな目に遭ったのに、お前はまだ歌舞伎町に用があるのか?」
「いや、バイクを置きっ放しにしてるんすよ。取ったらすぐに帰ります」
「ああ、そうか…お前、まだあの派手なホンダに乗ってるのか?CBRだっけ?」
「ええ」
「お前、金かけてるんだろう?あのバイクに。今時、あんなフルチューンアップのカフェレーサータイプなんて、街中でなかなか見ねえよなあ」
「長い間、俺にはあれしか趣味がなかったもんですから」
「そうか…」
「しかし、お前さん、運が強えな。あんなんで、生き残るなんてな。しぶといぜ」
「あの、池田さん」
「何だ?」
「僕に誰にも聞かれないところで、訊きたい事があるんでしょう?じゃないと、池田さんが自分で運転して迎えに来てくれる訳がない」
「これはご挨拶だねえ。俺だって、人の役に立ちたい時はあるぜ。まあ、いいや。ケイ、覚えとけよ。俺は黒崎さんから頼まれたし、岩政からも睨まれる事が確定してるから、お前には絶対に手は出さねえし、うちの会の全員がそうだ。まず、それを分かっておいてくれ」
「分かりました。ありがとうございます」
「その上でだ。ケイに訊きたいんだが、あの時、金木と用心棒の黒人は、いくら持って出て行った?」
「一億ぐらいだとルミーが言ってました」
「やっぱりそうか…金木は、俺んとこに6千万しか持ってこなかった」
「それで、金木は?」
「行方知らずだよ。ヤツは潜った」
「そうですか…」
雨はますます激しくなり、ワイパーの音がうるさかった。
でも、歌舞伎町の門まではもう少しだ。
「訊いていいですか?」
「何だよ?」
「レイとジェームスは、誰が殺ったんですか?」
「あれは二つとも事故だよ、事故。ケイ、お前は余計な詮索などしないで、東雲の運送屋でおとなしくしていりゃいいのさ。そしたら、お前は誰にも狙われない。普通に生きていける。いいな?」
「分かりました」
車が着いた。
慶次朗は外に出た。すぐにずぶ濡れになった。
ウィンドウが薄く開いた。
「じゃあな。これで俺とお前はもう二度と会う事はないだろう」と、池田が言った。
「送ってもらって、ありがとうございました」と、慶次朗が言うと、車は動き出した。
走っていく車を慶次朗は見送らなかった。
バイクを置いている地下駐車場へ急いだ。
管理人に詫びを言うと、管理人の爺さんは、慶次朗の無事を喜んでくれて、駐輪料金を値引いてくれた。
慶次朗は金を払い、バイクに跨った。
そして、大雨を切り裂くように、飛び出して行った。
