見出し画像

【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ⑨

#2



2023年10月23日

瞑っている瞼に一瞬、そう印字された。
一瞬、ほんの一瞬。


そして、私は目覚めた。



普通に起きたが、自分のベッドで、普段しない下着姿で寝てた。


スマホを見た。


2023年10月23日(月)

時刻は、10:21a.m.


月曜なのに、10時過ぎ!


祝日か?


いや、そんな筈はない。

社用のスマホを開けて、スケジュールを確認した。


どうやら、私は昨日は、CMの撮影で台北に行ってたようで、今日は午後から出社と予定しているようだ。


そうそう、そうだよ。行ったな、台湾


帰りの飛行機では、隣りの中年女性の鼾がうるさくて一睡もできなかったんだったな。
おまけに深夜便だったので、夜中に成田に着いて、空港のロビーのベンチで寝て、始発の特急に乗って寝て、新宿で小田急に乗り換えてまた寝て、町田に着いて、家まで歩いて、やっと自分のベッドで寝た。

2泊3日の強行軍での撮影だったので仕方がないのだが、ホテルのベッドでは殆ど寝れなかった。忙しかった。

でも、という事は、この日から運命の分岐が始まるという訳だな…


この頃?何があった?


ああ、忙しすぎた性で、何も覚えてない。

10:35

ボーっとしてるうちに、14分も過ぎた。


コーヒーが飲みたいな。


私は下着のままで部屋を出て、リビングダイニングのドアを開けた。


「あら、パパ。瑞希がいないからいいけど、そんな恰好で出てこないでよ」

瑤子がいた!

彼女は社用スマホを見ながら、コーヒーを飲んでいた。

しかし…


「パパ」と言われて、ドキッとした。とても久し振りだからだ。


「あれ、ママ。今日は月曜日だろう?代休でも取ったのかい?」

久しぶり過ぎで、「ママ」と返すのがぎこちない。


「違うの。金曜日に学校から電話があって、これから瑞希の担任の先生と面談しないといけないの。だから、有休を取ったのよ」
「金曜日に電話で、今日、面談か?随分急だな。何かトラブルでもあったのか?」
「それが先生に尋ねても、詳しい事は会ってから話すって言ってて…ああ、もう出なきゃ。車、使うわよ」
「ああ、ご自由に。僕は午後から出社だから」
「あら、そうなの?もう編集とかに入るの?」
「それ辺は制作会社の刈谷君に任せてるからいいんだけど、部長仕事がデスクの上に溜まってるんだ」
「そう、一年生部長は大変ね。そう言えば、あなた管理職なのに、いつまでも現場仕事をまだやってていいの?」
「ああ、大町取締役と桜井局長には了解を取ってあるから、今のところは大丈夫だ。今、ギョギョっと、ギョーザのCM制作から僕を外したりしたら、KU食品の上田社長が許さないだろうしね」
「なるほどね。でも、それじゃ、あなたがどんどん出世しても、ずっとKUさんのCMだけは自分で作るの?」
「いや、それは難しいだろうね。僕は今度のCMで、一旦離れる事になるんじゃないかと思ってるよ。そうじゃないと、管理職の業務はこなせそうにないんだ」
「あらそう?それで、昔、あなたが言ってたように、フリーになるの?」
「いやあ、コロナ明けで、まだ色々と不安定だからなあ。今は考えてない」


ああ、そうだった。この頃の私は、揺れていた。


管理職仕事が性に合わないのと、現場仕事から離れたくないので、気持ちの大部分はフリーになりたいと思っていたのだが、今、自分で言ったように、当時はまだコロナ明けで、社会全体が不安定で、そんな時にフリーになるのが正解なのかが分からなかった。


そう、私はビビっていた。


「そう、じゃあ、お願いだからどんどん出世してよ。この家のローンも助かるし、瑞希が望んでるネクタイ締めて会社に行くお父さんにもなれるじゃない」
「まあそうだね…」
「じゃあ、出かけるけど、あなた、シャワーを浴びてきちんと着替えなさいよ。宅配便とか来て、下着のままじゃ、出にくいでしょう」
「そうだな…コーヒーが飲みたくて出てきたんだが、まずはシャワーを浴びるとするよ。それから、何か簡単に食べてから出かける。夜はどうなるか分からないけど、すごく早く帰れる事はないと思う。でも、晩飯はうちで食べたいな」
「分かった。じゃあ、ごはんは用意しておく。後、少しでも早く帰って来られたら、瑞希の話をしたいんだけど」
「ああ、そうだな。じゃあ、何とか8時までには帰って来られるようにするよ」
「分かったわ。お願いね。じゃあ私出かけます」
「いってらっしゃい」


瑤子は家を出て行った。


私は替えの下着をとるため、自室に戻った。


今のところ、大きな分岐はなさそうだ。

でも、キーになるのは瑞希の面談の内容だ。

それは間違いないだろう。

だとすると、私は今晩、何としても8時ぐらいまでに帰らないといけない。


ゆっくりしてられない。


私は新しい下着を持って、シャワーを浴びに行った。



いいなと思ったら応援しよう!