【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ㉛~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
■
翌日の日曜日、慶次朗は銀座に来た。
昨日、銀座のフォックスジュエリーから、恵美宛てにハガキが来た。
中には、カスタマイズを依頼されていた商品がまだ引き取られていないので、取りに来て欲しいと書かれていた。
それを取りに来た。
恵美が銀座で刺されたと聞いた時、慶次朗には恵美がどこへ行こうとしていたかが分かっていた。
あの日は、慶次朗と、恵美の誕生日だ。
慶次朗は、夏休みに恵美と意人をどこかの島に旅行に行かせる事をプレゼントしようと思っていた。
それに対して、恵美は、以前慶次朗からもらったフォックスジュエリーの優待券を使って、慶次朗へのプレゼントを用意したに違いなかった。
恵美は、しっかり者なので、優待券を使ってプレゼントする事は十分にあり得たし、それを使って、普段買えないような高い物を買った事が想定された。
本当なら、恵美が亡くなった後、出来るだけ速やかに店に行くべきだったが、その後の慶次朗は色んな目に遭い忙しかったし、何より、慶次朗がホストの時の「太い客」だったフォックスジュエリーの社長、峯田幸代に会うのが憚れてた事があり、何となくスルーしてしまっていた。
恵美が刺されたという第一報を聞いた後、慶次朗は峯田の事を「ババア」呼ばわりしてしまった。それなのにどの面下げて、彼女と会えるというのだろう。
だが、ほっておくと恵美からのプレゼントが、宙ぶらりんのままになってしまう。
里崎の気迫が、慶次朗を勇気づけた事もあり、怯まずに銀座に来た。
店に入ると、カウンターの中にいる店員に、もらったハガキを見せて「商品を引き取りに来た」と、伝えた。
すると、店員がハガキを持って奥へ引っ込んだ。
次に出てきたのは峯田社長だった。
分かっていたが、それでもやっぱり慶次朗は逃げたい気持ちになった。でも、どうにか抑え込んだ。
峯田は「私の部屋へどうぞ」と言い、店内にあるエレベーターを指した。
■
「コーヒーでいいかしら、それとも、お酒?強いのはないけど、スコッチウィスキーならあるわよ」
「いや、バイクなんで、コーヒーで」
峯田は内線で「コーヒーを二つ」と言い、自分の席に座った。
社長室は、意外に狭かった。
窓を背にデスクがあり、峯田はそこに座った。
その前に、小さい4人が対面する応接セットがあり、そのソファの一つに慶次朗は座った。
コーヒーが届いた。
店員の女性は、コーヒーカップとソーサーを応接セットのローテーブルに置いた。
峯田が、そのコーヒーの前に来て、ソファに腰掛けた。
「さあ、コーヒーをどうぞ」
促されて、慶次朗はコーヒーを飲んだ。温くて、薄いコーヒーだった。
峯田もコーヒーを飲んだ。
温いとも、薄いとも思わないのか?慶次朗は一瞬、そう考えた。
峯田は普通の顔で、慶次朗を見た。怒ってるようにも見える顔つきだった。
「それで、クラブMは復活するのかしら?」
「分かりません」
「メロウ君は死んだわよね。後、それを追うようにレイ君も死んだと、ニュースで見たわ。後の人たちは、今、どうしてるの?」
「もう一人、ルミーってヤツが死にました。後のヤツらは、分かりません」
「そう。で、あなたは?」
「僕ですか?僕は今、東雲の運送会社で働いてます」
「歌舞伎町には戻らないの?」
「それはないですね」
「そう」
「あの時、あなたが店を出て行って、私を残した時、私は本当に怒ったわ。でも、翌朝、ニュースを見て、あなたのお姉さんの死を確信して、私、申し訳ないと思った。お姉さんの事、お悔やみ申し上げます」
「あの時は、本当にすいませんでした。俺、警察からの電話で、めっきり気が動転してて…」
「分かるわ。でも、あの時は分からなかったし、随分腹も立ったし…あなた、私の事、ババア呼ばわりしたのよ」
「そうです。本当に申し訳ありませんでした」
「いいのよ。本当の事だもの。もう還暦を過ぎたお婆ちゃんだもんね」
「いや、そんな事はないです。峯田さんは今でも若々しい」
慶次朗は、昼間に峯田幸代と会った事はなかった。
窓から午後の日が入るオフィスで、峯田の顔は目立つ皴もなく、白く透き通っていた。
「若々しい?そりゃ、それなりにお金かけてるからね」
「ああ、そうでしょうねえ…」
峯田が、コーヒーをまた一口飲んだ。
慶次朗も真似して飲んだ。
沈黙が始まった。
空気が重かった。
「あの、ちょっと訊いてもいいですか?」
「何?」
「俺、あの店のホストだった時、社長の事、騙すような感じでしたか?」
「藪から棒に何?何が訊きたいの?」
「いや、俺、一昨日茨城であった地下アイドル監禁事件にもちょっと関係があって…あれって、アイドルの子を推してるヤツが、推しが推しじゃなくなって、変な形の愛情になったのが理由だと思ってて、それで、アイドルの子は酷い目にあったんです。それは同情するばかりなんですけど、心のどっかで、推してたヤツは、アイドルに唆されてた部分もあって、それが高じて、変な感情が湧くようになったんじゃないかって思ってて…それなら、俺ら、ホストもどっかで同じだよなって…」
「そういう事…なら、あなたには関係ないわ。私は、お金がない訳じゃないし、自分の意志であの店に行って、お金を使っていただけだから。あなたは、私を騙してない。それと、あなたは、私が見たところ、若い女性客をあまり持ってなかったみたいだし、色恋営業みたいなものをやってる風でもなかったし、分かんないけどね…だから、大丈夫なんじゃないかな」
「そうですか…そう言ってもらえると、ちょっと軽くる」
ノックがした。
別の店員が部屋に入ってきた。
「失礼します。岩沢様の商品をお持ちしました」
そう言って、ネックレスの細長い箱をローテーブルの上に置いた。
「開けて、中身をご確認下さい」
慶次朗は箱を開けた。
中には、シルバーのKというトップがついたペンダントが入っていた。
慶次朗のK。恵美姉の誕生日プレゼント
慶次朗は泣きそうになったが、何とか涙を堪えた。
「間違いないようです。これのお支払いは、どうなってますか?」
「代金は受け取ってるわ。私がクラブMに通い始めた時、何気にあなたにあげたうちの優待券を使ってね。あれ、50%もオフなのよ。しかも、あれ3年前の券で、本当はとっくに期限切れだったんだけどね。特別に半額だけお支払いいただいたのよ」
そうだ…あの券を峯田からもらったのは、だいぶ前だった。
その夜、峯田はとても機嫌がよく、シャンペンをジャンジャン開けて、大盤振る舞いだった。
そして、その時、そんなに仲が良い訳ではなかった慶次朗に、あの優待券をくれたのだ。
期限切れ…
恵美姉らしい。
あの券を、最も有効に使える日まで大事にとっておいたのだろう。
しかも、有効期限がある事に気づかなかったのも恵美姉ならではの事だ。
しっかり者の恵美姉。でも、どっか、抜けている。
慶次朗はケースの蓋を閉じた。
「それじゃあ、こちらにご迷惑になりますので、半額は今、僕がお支払いしたいのですが、如何でしょうか?」
「いいわよ、そんなの。もう販売済みなんだから、それを持って帰って」
「じゃあ、このペンダントと同じデザインで、Oのヤツを新たに買わせていただきたいのですが…」
「それは断るわ」
「何で?」
「今日、あなたにそのペンダントを渡したら、私とあなたの付き合いはおしまい。二度と会う事はないわ。だから、もし、本当に別のペンダントが作りたかったら、別の店へ行って。もう帰って」
峯田は立ち上がり、慶次朗の腕を取って、ドアの外へ追い出した。
慶次朗は社長室を出た。
部屋に戻った峯田は、後ろを向いたまま振り返らなかった。
慶次朗はドアを閉めた。
外へ出ると、思いがけない雨が降ってきた。
慶次朗はバイクを取り、急いで帰った。
雨のせいだから、今、慶次朗の目に流れたものは、ノーカウントになるという事にした。
