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【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ⑮



ムソウ、聞こえるかい?

ムソウ、いるんだろう?

何も答えてくれないのかい?



そうかあ…僕はまだ、あなたとコンタクト出来ないんだね…

じゃあ、いいや…

とにかく、一人で話をさせてくれ。

そうしないと、僕はもうガラガラと崩れ落ちそうなんだよ。


何だ、これは?


大町さんが逮捕?
桜井さんと迫田さんが懲戒解雇?
そして、瑤子は失言で依願退職だと?
最後にとどめは、浅野君の自殺だ。


こんなの僕がいた世界では全くなかった事だ。


どうしてこうなる?


この世界は、何故こんなに辛く厳しい?


どうなってるんだ…


全く理解できないよ…


ツラい…

心が痛い

キツイ…


泣きたくなんてないのに、何でか涙が溢れてきて、止められない。


疲れた…


「そうだろうな。じゃあ、ゆっくりお休み」
「えっ、その声はムソウ?」


返事はない。


そして、私は眠りについた。



ピコ


目が覚めた。


2025年8月29日(金)


瞼の裏側に印字された。


スコン


私は放出された。


うっ…私は横に倒れた。

揺れる。

目が覚めた。

私は、もう人が少なくなっている各駅停車の車内にいた。

眠りこけてたのだろう。
駅に停車する時に、電車が少々乱暴に止まったので結構揺れた。
その揺れの性で、私は他に誰もいない長いシートに横倒しになった。

時計を見た。
午前0時半。
駅を見た。
私の駅までもう少しだ。

という事は、今はもう8月30日だ。

数分後に、私は電車を降りた。


改札を抜けて駅を出ると、すぐに商店街の通りに出る。
うちに帰るには、この商店街を抜ける必要がある。

商店街には雑居ビルが連なっており、路面店も含めて、色んな飲食店が沢山ある。

私は丸きりの下戸なので、いつもなら通りを足早にスルーし、出来るだけ早く家に帰ろうとするのだが、今日は違う。スリットは意思をもって私をここに送り込んでいる筈だから、これから起こる事全部を見逃す訳にはいかない。
今日は、月末で週末だ。だから、終電がなくなっているにも限らず、通りには酔客で溢れており、まるで地面がグニャグニャになっているように、みんなで一斉に千鳥足で動いている。
酔っ払いの吐く息が臭い。酒が飲めない私はその息だけで酔いそうになる。
その通りを息を止めて、小走りに抜け、一気に自宅マンションまで向かいたい気持ちが高まるのだが、一生懸命に堪えて、酒飲みたちの間をすり抜けるようにステップを踏んで、ゆっくりと歩く。


何か起きるんだろう?早くしてくれないか?
じゃないと、吐きそうで、もう限界を迎えそうなんだよ。


私は夜空を見上げてそう祈った。


夜空は商店街の明るい照明の性で、星も見えないが、空に向かって祈ると、ムソウに届く気がした。


我慢して通りをゆっくりと歩いていると、遠くでサイレンの音が聞こえるなと思っていたら、あっという間に、救急車がこの通りに進入してきた。
酔客は、モーゼの十戒のように、左右に分かれ、その真ん中を救急車は走り、私の前で停まった。


これだ!

きっとこれが私が見るべきシーンなんだ。

そう思い、私は成り行きを見守る事にした。


救急隊員は、オレンジの担架を引き出し、三人で目の前の雑居ビルに入っていった。
すぐにストレッチャーを出さなかった理由が分かった。
エレベーターが小さすぎて、ストレッチャーが乗らないのだ。

五分待っても、救急隊は降りてこなかった。
すると、通りで私同様見守っていた酔っ払いどもは、緊急性がないと悟り、急に緊迫した空気が薄れ、次第に散り散りにこの場から離れていった。

私も、これは関係ないのではないかと思い始めていた。

また、サイレンが辺りに鳴り響き、今度はパトカーが到着した。
警官は、すぐに雑居ビルの中に消えた。


「チクショー!放せ、放せってんだよー!」


ビルの上階から女性のヒステリックな金切り声が響いた。
その声は、あまりに甲高くて、狂気じみていたので、私はギョッとした。
普段聞き慣れないような不気味な声だった。

何を言ってるのかはよく聞き取れなかったが、警官が少し大きめな声で宥めているのが分かった。

女は、警官の声のトーンに合わせて、自分の声も抑え始めた。
そして、興奮も収まってきてるようだった。

暫くして、先に担架を持った救急隊員が下りてきた。
次に、警官二人と、救急隊員一人に囲まれるようにして、女性が下りてきた。
女性は、額と左腕を怪我してるようで、止血処置がされていた。


女性の顔がはっきり見えた。


瑤子!


えっ?マジで?

いや、でも、間違いなく瑤子だ!


何という…


瑤子は、救急隊員に促されて、救急車に乗り込んだ。

すぐ後ろに、ホストらしき若者がついてきており、救急車のドアが締められる前に瑤子へ話し始めた。

「瑤子さん、あんた、飲み過ぎだよ。それにハルトに入れ込み過ぎだって。ハルトはさあ、まだ21歳だぜ。ハルトがあんたになびく訳ないじゃん。分かんないの、あんた、ビジネス雑誌の敏腕記者なんでしょう?分かった方がいいと思うけどなあ」
「何?ナオキ!私はあんたなんかに用はないわよ。ハルト、連れてきなさいよ」
「ハルトさあ、ビビっちゃって、ここまで来れなくなってるんだよ。俺は店長として、これじゃ困るんだよな。営業妨害だよ。あんたさあ、今回は自分で果物ナイフで腕切っただけだし、おでこはその拍子に転んでテーブルの端っこで切っただけで、うちの店の実害は0だから、告訴したりしないけどね。もう二度とうちの店に来ないでくれる?もう一回来たら、今度は営業妨害で正式に訴えるからね。あんた、出禁は今回だけじゃないでしょう?歌舞伎でも六本木でも出禁食らってるんでしょう?うちの業界は狭いからさあ、そんなんは俺らの耳にも入ってるんだよ」
「訴える?上等じゃないの。訴えなさいよ。そしたら、私はあんたたちを詐欺で訴え返してやるから。ハルトに出してやった300万はどうなってるのよ?」
「もう二人ともやめて下さい。冴島さん、あなたはもう興奮しないで。病院が決まりましたので、発車しますから」瑤子の側にいた救急隊員が割って入った。
「ええ?もうちょっと…」
「ダメです。車を出します」

救急車のドアが隊員によって閉められた。
救急車が動き出した。

横でやり取りを見守っていた警官がナオキと呼ばれた男に事情聴取のために、店に入りたいと申し出たので、ナオキと警官はエレベーターで上がっていった。

周りを取り囲んでいた酔っ払いは散った。

通りには、私だけが残され、立ち竦んでいた。

私はタオルを捜した。

街路樹に赤いバスタオルがぶら下がっているのが見えた。


赤?


気にはなったが、私はその科のタオルまで歩き、タオルの端を握った。


スリットが開いた。


私は吸い込まれた。



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