【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ㉒
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エレベーターで3階に上がり、私は白川の店に入った。
中には誰もいなかったが、店内は程よく明るく、エアコンは温風を吹き出しており、空気にはほんのりとメンソールタバコと安物の酒の匂いがした。
「すいません、誰かいませんか?」と、私は奥に向けて話しかけてみた。
「いるけど、いないわ」と、中年女性の声が答えた。
「どういう事?」
「私にはもう肉体なんてないのよ」
「ああ、そういう事か…それなら納得だよ。白川さんだよね?」
「そう。あなたは冴島さんの旦那さんね?」
「そんなに回りくどく言わなくてもいいよ。知ってるんだろう、僕が鵜塚喜一郎だと?」
「ええ、まあ」
「それにうちの瑞希の事も、全部知ったうえで、君はうちの家内にママ友として近づいたんだろう?それに君の娘の芽衣ちゃんも瑞希に近づけた。違うかい?」
「どうして、そう思うの?」
「まあ、結論を急ぐなよ。君は夜の仕事をやる前は、何をしていたんだい?」
「言わないわ」
「言うと核心に触れるから言えないんだろう?じゃあ、代わりに僕が言うよ。君はうちの会社のCR本部によく出入りしていた編集プロダクションのブリッジワンにいたろう?」
「…」
「白川と聞いて、僕は何となく覚えがあるような気がしてたんだが、それが誰だか、ずっと思い出せなかった。君はうちの会社で下の名前で瞳ちゃんって、呼ばれてたからね。みんなが瞳ちゃんって言うんで、僕は君の旧姓が白川だった事を本当に思い出せなかったんだ。合ってるだろう、白川瞳さん?」
「合ってないわよ」
「嘘つけ、君が瞳じゃなかったら、どうしてこの店の名前がスナック瞳になるのか、教えてほしいね」
「…」
「そして、君は、ブリッジワン時代に家内の会社、日葉マガジン社とも付き合いがあったし、君はおそらくだが、マガジン社にも行ってたと思う。そして、そこで君は大町取締役とも会ってるんだ」
「…」
「それで、君はうちの家内や大町さんに動き、娘の芽衣ちゃんは瑞希にちょっかいをかけたりして、また、ひょっとしたらうちの社長である佐伯さんも操作して、僕を陥れようとしたんだろう?」
「…」
「で、君は少々やり過ぎた。だから、うちの瑤子は転落死し、君も僕も巻き沿いになった」
「…」
「君はもう死んでるんだろう?成仏しきれてないだけで…」
「…何で?」
「簡単さ。今、君は肉体を持ててない。ハザマが承認しなかった証だ。君はもうムソウは使えない。今、僕と話してるのは、ハザマが僕が助かるかどうかの瀬戸際だから、話すのを許可してるんだろうと思う、違うかい?」
「私には分からない。あなたは全容が分かったの?」
「いや、ザックリだね。細かい繋ぎ目はきちんと合わさってないから、無理やり僕の都合がいいように解釈して強引に結論づけようとしてるのかもしれない。そんな事はいいんだよ。詳しい事情を聞いて、正しい事実を求めてる場合じゃないんだ。時間がないからね。ひとつだけ聞きたい」
「何よ?」
「何で、君は僕を陥れようとしたんだ?どうせ、新しい会社の社長だって、大きな落とし穴が掘ってあるんだろう?就任したら、すぐに電広社の配下でいろいろと画策されるとか…君は、どうして僕をそこまで憎むんだ?」
「それは…それは、あなたが私の夫を陥れたからよ。彼は悲しんだ。そして、自暴自棄になった。あなたは気づかなかったでしょうけどね。そして、彼は私と芽衣を捨てた。こんな理不尽な事ある?自分がうまくいかなくなったら、彼は私たちを捨てたのよ。私は彼を恨んだ。でも、その恨みはすぐにあなた方家族に振り向けられた」
「なるほど、それだけ聞ければ十分だ」
「これで十分なの?」
「ああ、残りはあなたの旦那さんから聞く事にするよ」
私はカウンターの上にある赤いコースターを見つめた。
スリットが現れて、私は吸い込まれた。
吸い込まれる時に、私にまとわりついた酒の匂いが消える事を願った。
