【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ⑱
■
夜の東京上空にいた。
思いを前の場面に残したままだ。
最後に聞いた芽衣の冷たい声が未だに耳に響いてる。
「あの子、弱いんだから、まだ潰しちゃダメなんだよ」
潰す?
芽衣は、この後どこかのタイミングで瑞希を潰すつもりなのか?
何のために?
瑞希は芽衣に恨まれるような事をしたのか?
全く分からない。
分からない事に腐心していても埒が明かないという事は分かっている。
だから、今は気持ちを切り替えて、このワールドに注意を向けなければならない。
そう思い、まずは今いる場所を特定しにかかった。
東京タワーが近くによく見える場所だ。
その向こうにレインボーブリッジが見えるという事から、恐らくここは虎ノ門で、私の前に建っている大きなビルは虎ノ門ヒルズに間違いないと思う。
私はビルの屋上を見渡す空を漂っている。
上空を吹く風は凍えるような冷たさではなく、どちらかと言えば、ホッとするようなひんやり感なので、今は夏の終わりか、秋の始まりの頃なんだろう。そして、時間は西の空がまだほんのりとオレンジがかっているので、まだ夜が始まったばかりの時間、恐らく7時過ぎとかなんじゃないだろうか…
屋上にはバーがあった。
中年のカップルが入って来て、カウンターに腰掛けた。
二人はバーテンにそれぞれ酒を頼んだ。
私は二人の正面に回って顔を確認した。
ゲッ!
女は瑤子だ!そして、男は大町さんだ!
何で、二人が?
私は二人の会話がよく聞こえるところまで近づいてみた。
「それにしても、悪かったね。急に誘ったりして」
「いえ、大丈夫ですわ。まだ早いので、ここで一杯だけ強いお酒をいただいて帰るぐらいなら時間は取れます」
「いや、この度は冴島さんには大変お世話になったと思っててね。お礼をしなければならんから、少し話をするついでに、ここで一杯だけ飲もうと思ったんだ」
「お礼だなんてそんな…お気遣いいただかなくても大丈夫です。私はご要請を受けた事を対応しただけですから」
「いや、そのお陰で、うっとおしい邪魔な記者たちを早期退職へ導く事が出来たんじゃないか。私は新聞社出身だから、雑誌社の事はよく分からないんでね。あなたがアドバイスしてくれたお陰で、いらない人と残したい人の選別が出来た。そして、辞めてもらう人たちは何とか年内中に退職してもらえそうだ。本当に今回は冴島さんの貢献が大きいと私は思っている」
「いやそれは、単に使えない人たちが自分で辞めていってるだけで、私は使えない人が誰かを教えただけですわ」
「それが役立ってるんじゃないか…お陰でホールディングスの目標はあっさり達成できたんだから、大したもんだよ」
「お役に立てたのなら、それは何よりです。それより、常務、そのミッションの報酬については、お忘れではないでしょうね?」
「それは大丈夫だ。君は来年の定期異動の時に、広報部長になる。これはマガジン社の松岡社長も了承済みだし、ホールディングスも認めているからね。君は記者ではなくなる」
「ありがとうございます。これで娘に時間が割けます。記者だと、どうしても娘の都合に合わせるのが難しかったので…」
「まあ、そうだろうね。これで良かったじゃないか」
「良かったです。これで、安心して、飲める時には飲みたいだけお酒も飲めますし」
「飲みたいだけ飲むか…冴島さんは本当に酒好きなんだね?」
「ええまあ…」
「強いんだろう?」
「そんな…好きなだけですわ」
そうか…
大町さんはうちに来る前に、日葉マガジン社に二年ほどいて、その時もリストラを担当する役員だった。
瑤子は大町さんに加担して、社員整理を手伝ったというのか…
大町さんが、マガジン社でリストラを完了させつつあるタイミングだから、今から4年前の事だろうと推測できた。
しかし、会社側に立って、同僚、仲間を売るような真似を瑤子がしたなんて、到底信じられない。
あの正義感が強い瑤子が、どうして?
瑤子が酒好きなのは、結婚する前からだが、彼女は瑞希が産まれてからは、外で飲む酒を控えていた。
しかし、数年前から、真夜中過ぎにぐでんぐでんに酔っ払って帰ってくる日が目立つようになっていた。
数年前?4年前?
符合する気がする。
大町さんは、マガジン社のリストラを完了させた後、彼はホールディングスに戻る事無く、直接うちに来て、今度はうちのCR本部の別会社化を主導している。(た?)
二人の酒が届いた。
会話が途絶えた。
何となく嫌な感じがした。
会話がない二人に、ぎこちなさがなかったからだ。
むしろ、親密な感じを思わせるほどに、身体の距離は微妙に近い。
瑤子は華奢なグラスのカクテルで、大町さんはトールグラスの琥珀色の泡立つ酒だ。
私は一滴の飲めないので、二人の前の酒が何なのかは全く分からなかった。
二人は乾杯をして、グラスに口をつけた。
瑤子は一気に飲み干し、バーテンにお代わりを頼んだ。
「それで?私を誘ったのは、他にも御用がおありなんでしょう?」
瑤子は飲み干したカクテルグラスをバーテンの方へ押し出しながら、大町を見て言った。
「ああ、適わないな、君には…お見通しのようだ。今晩は遅くなってもいいのかな?」
「電車があるうちなら…」
「下に部屋を取ってあるんだが、続きは部屋でルームサービスを食べながら話さないかい?」
「またあ…何度もお誘いいただいてますが、大町さんは若い娘が好きなんでしょう?私みたいなおばさんじゃなくて」
「いや、それはケースバイケースだよ。なあ、いいだろう?話っていうのは、君の旦那さんがいる日葉広告社の事だし…旦那さんが大きく関わる事なんだよ」
「ええ?それって何?」
「いや、ここでは一目があるから言えないから。だから、ちょっとだけ部屋で話そう」
「分かりました。じゃあ、行きましょう」
そのタイミングで瑤子が頼んだカクテルが届いた。
瑤子はそれを一気に飲むと、スツールを立った。
大町がそれに続いた。
二人はバーを出て、エレベーターホールに向かった。
私は続こうと思えばついていけた。
だが、私はそうしなかった。
嫌だったからだ。
真相に近づくためにはついていった方がいいのは分かってる。
しかし、私は嫌だった。
吐き気がするほどにだ。
大町さんと瑤子が?
考えただけで、吐きそうになる。
何もなく、ただ食事をして、酒を飲むだけかもしれない。
でも、スウィートだぜ…
決して、ついていけない…
私は目を閉じて、赤を思い浮かべた。
スリットが開いた。私はこの胸糞悪いワールドから出た。
