【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ⑲
■
次は随分見慣れた場所だった。
ここは私の会社の会議室だ。
ただ、普段と違っているのは、今の時間だ。
窓の外が白じんでいる。
夜が明けたばかりの様相だ。
壁にある時計を見た。
時刻は4時40分過ぎだ。
という事は、夏の早朝だ。
私はこの会議室の窓際の隅の天井から下を見ている。
LED電灯の眩しいばかりの光が会議室を明るくしているのだが、下にいる人間は全員頭を下げ、室内の空気を重くしている。
ロの字にレイアウトされた長机の廊下側の一辺に二人が並んで座っている。
二人とも軽そうなサマージャケットの背中は皺くちゃで、肩を落として頭を下げ、座っている。
右に座っているのは桜井局長で、左は迫田部長だ。
二人はただ項垂れて、自分の間の机の表面を見ているようだ。
重苦しい静寂が、室内に充満している。
迫田が頭を上げた。
まるで静けさの重さに耐えきれなくなったかのようだ。
「部長、やっぱりこれは鵜塚の性にしませんか?」
桜井さんが部長?という事は、私がまだ局長だった頃の事だ…
私の性にする?何を?
「バカ野郎、それはさっきも言っただろう。ヤツは今週ずっとKU食品の件で、アメリカに出張中だろう?しかも帰ってくるのは来週末だ。そんなヤツが関われる訳がないじゃないか。おまけに浅野君はご丁寧にも遺書を社内イントラのチャットで大町取締役に送っている。私に送ってるのなら揉み消しようもあるが、これではどうしようもない」
そうか…
あの時私は、KU食品がアメリカの商品見本市に出展するのをサポートする業務についていた。
それで、ボストンの展示会場に二週間も行ってた。
だから、私は浅野君の事件の詳細をよく知らなかったのだ…
勿論、会社からはすぐに第一報がチャットで届いたし、新しい情報が出る度に、どんどん続報は来た。しかし、佐伯社長と大町取締役の判断で、局長の私はすぐに帰国する事にはならず、業務を完了させ、オンスケジュールで行動した。
だから、私が帰国した後は、もう既に浅野君の葬儀は終わっており、警察の捜査も終わっていた。
浅野君がチャットで大町さんに遺書を送ってた?
その事実を私は知らなかった…
それで合点がいった。
浅野君の自殺は桜井さんと迫田さんのパワハラの性だと、割と早い段階で断定されていた。
それは、この遺書のお陰なんだろう…
「で、ですが…このままだと、我々二人の立場が悪くなる一方じゃないですか…」
「それは、そうなんだが…今のところ、有効な手立ては見つからん。だから、せめてこの席だけでも穏便に乗り切る事だけを…」
ドアが開いた。
島田常務が入ってきた。
彼はいつも以上に顔色が悪く、ややフラフラした足取りで机に辿り着き、椅子を引いて座った。
「待たせたね。夜明け前からずっと、僕の方に佐伯社長やら、ホールディングスのお歴々から立て続けに電話が入ってね。対応に時間がかかってしまったんだよ。それで、桜井君、警察に行ってきたんだね?」
「ええ、ビルの管理事務所から連絡があって、その後私はすぐに会社に来まして…浅野君がビルの屋上から落下したという事で…私が会社に着くと、もう辺り一杯にパトカーが来てまして…そのまま私は刑事さんから事情聴取を受けたのですが…浅野君の事は、鵜塚君から私が今の部を引き継いで間がなかったもので、あまりよく知らなかったので、うちの部にずっといる迫田君に来てもらい、一緒に事情聴取を受けました」
「それで、警察の見解は?」
「まだ、鑑識の調査結果が出てないので断定はできないのだが、ほぼ間違いなく飛び降り自殺だろうという事でした」
「それで、今後警察とはどんな連絡体制になってる?」
「会社にはまだ、私たち以外にも事情を訊く必要があるかもしれないと言ってました」
「分かった。それは総務局長の近藤君に対応してもらうようにしよう。それで、二人はどうする?」
「どうするとは?」
「浅野君が大町本部長に送った遺書の件だよ」
「島田常務は中身を読まれましたか?」
「ああ、ここに着いてすぐに大町君に見せてもらった」
「そうですか…しかし、私は…」
「桜井君、君はこの期に及んで言い逃れができると思ってるのか?遺書の内容からして、君の立場は相当に不利だぞ」
「いや、ですが…私はまだ、その中身を読んでませんので…」
「いや、それは今後警察に提出する証拠になるので、当事者である君には見せる事が出来んのだよ。それより、君たちにここにいてもらったのは、もう少しまともな申し開きを言ってくれる事を期待したからだ。もういい。君たちの処遇は今日開く臨時取締役会で話し合う事になる。君たちは自宅待機しておいて欲しい。但し、社用スマホは欠かさずに携帯して、なったらすぐに応答するように、いいかね?」
「分かりました…」
「じゃあ、もう帰ってくれ」
「失礼します…」
二人は席を立ち、トボトボと出て行った。
二人が出て少ししてから、またドアが開き、今度は大町取締役が入ってきた。
大町は島田の隣に座り、コソコソと話し始めた。
「島田常務、桜井と迫田は信じましたかね?」
「ああ、信じない訳にはいかんだろうね。でも、あの文章だと、浅野君を苦しめたのは桜井君に間違いないんだろう?」
「まあ、そうですね。彼は流石に氏名を特定するような真似はしなかったので、桜井さんと断定する事はできないんですが、「部長」と何回も書いてますからね」
「それに迫田君の事は「S先輩」と書いている」
「流石にこれじゃあ、言い逃れは出来ないですよ」
「そうか、じゃあ、決まりだな。しかし、浅野君は遺書を何で君にだけ送ったんだろう?」
「それは私にも分かりませんが、推測するに、恐らく去年まで部長だった鵜塚君に知らせるのは憚られたため、その上の私に送ってきたんじゃないかと思ってます。」
「まあ、そうだろうね。それで、浅野君の遺体は実家に運ばれる手はずになっているのかね?」
「ええ、検視が終わり次第、彼の実家へと搬送する手はずです」
「葬儀を含めて、一切合切手を抜く事なく、うちで執り行うように君から近藤君へ伝えてくれないか?」
「分かりました」
「それともう一つ。鵜塚君への連絡だが…」
「彼にはもうチャットで第一報は入れました。彼からも返信は受け取ってますし、彼は大事なクライアントと同行中ですので、業務を優先して欲しい旨伝えてあります」
「それはいいのだが、浅野君の遺書に書かれた彼を示している部分の取り扱いはどうする?」
「あれは単に前の部長としか書かれてませんから、鵜塚君を特定するものではないと思ってます。幸い、私だけに届いたメール文面ですので、敢えて全文公開する必要はないと思ってますので、鵜塚君には一切関わりない事で通します」
「それなら良かった。その線で進めてくれ。ホッとしたよ、こんなんでまた佐伯社長から叱られるんじゃあ、私の胃は持たんところだった。ほんと、良かった。一気に気持ちが軽くなったよ。大事なミッションも道半ばだからね。こんなところで頓挫させる訳にはいかない」
衝撃だった。
浅野君は、遺書で私に何かを伝えようとしていた。
そんな話は全く知らない。
それどころか、A界では私は彼の存在ごとない事にしていた。
彼は私に、何を伝えたかったのか?
知りたい…
「それは十分に心得ておりますので、ご心配になられなくて結構です。では、私は近藤局長と打ち合わせがありますので、これで失礼します」
「ああ、私は早速、自室に戻り、佐伯社長へ電話で報告するとするよ」
そう言うと、二人とも会議室を出て行った。
窓の外を見ると、街路灯に赤いタペストリーが一つだけ掛かっていた。
他の街路灯には掛かっていない。明らかに不自然だ。
これ以上は、情報がないという事か…
悟った私は、そのタペストリーを凝視した。
すぐにスリットが現れ、私は吸い込まれた。
