【推理しない探偵小説】探偵里崎紘志朗 Episde4. I loved you
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梅雨時。今日も朝からずっと雨は止まない。
午後2時。私は、弁護士の吉岡拓三氏のオフィスに来た。
時間通り、間に合った。
彼のオフィスは神楽坂の坂の途中にあり、車を止めるスペースを捜すのに、多少てこずった。
坂をだいぶ上ったところにあるタイムパーキングに車を入れ、坂を駆け足で降りてきた。
オフィスには、吉岡弁護士と、今回の依頼人である結城誠二氏が応接セットのソファに腰かけていた。
「間に合ったのだが、少しお待たせしたのかな?」そう言って、私は部屋に入った。
「いや、彼も今しがたお見えになったとこだよ。コーヒーでいいかい?」
「もらうよ。もちろん、熱いヤツで。」
「分かってるよ。」
吉岡弁護士との付き合いは古い。従って、彼は私がコーヒーにうるさい事もよくご存じだ。
そして、このオフィスの下にある喫茶店のコーヒーは美味いのだ。
吉岡弁護士は、隣の部屋で部下にコーヒーを3つ頼むようにと伝えて、応接セットに戻ってきた。
「じゃあ、コーヒーが来る前に、一応ご紹介をしておこう。里崎君、こちら、今回の依頼人の結城誠二さん、結城さん、こちらは、私が最も信頼している探偵の里崎さん。」
「里崎さん、今回はお世話になります。」
「あの、お世話になると言っても、私はまだ、詳しい内容をお聞きしていないので、まだ、何とも言えません。まずは、今回のご依頼内容をお聞かせいただけませんか?」
「私の絶縁した兄を捜して欲しいのです。」
「絶縁したお兄さん?」
「ええ、10年前に、派手に兄弟喧嘩をしまして、兄は家を出ました。そして、それ以来、兄は帰ってこないのです。」
「なるほど、詳しくお聞きしましょう。」
コーヒーが来た。
会話は、中断された。
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喫茶サンタモニカのコーヒーは、相変わらず美味かった。
結城誠二氏が大体の話をした。要約するとこうだ。
結城家は、父の結城恒美氏が一代で興した結城宅配で財を成した。
恒美氏は、10年前に他界したのだが、そこで兄亮一氏と、誠二氏との間で跡目騒動が起きた。
騒動と言っても、実際には亮一氏と、誠二氏は何も起こしてはいない。結城宅配の中で、亮一氏を推す者と、誠二氏を推す者が、互いにいがみ合い、会社の中を分断させた。
そこで、亮一氏は最終的に折れた。後継社長の座を誠二氏に渡した。しかし、それには、誠二氏が納得しなかった。何故なら、誠二氏は後を継ぐ気がなかったからだ。亮一氏は逃げた、咄嗟に誠二氏は思ったそうだ。元々、子供の頃からそうだったと、誠二氏は語った。亮一はズルい。いつも、都合が悪くなったり、場が荒れたりすると、すーっといなくなる。そして、ほとぼりが冷めた頃に、いつの間にか、元の場所に座ってる。誠二氏は、亮一氏について、そのように思っていたそうだ。
誠二氏は、出来れば会社を継ぎたくなかったそうだ。大学卒業後、すぐには結城宅配には入らず、外国資本のコンサルティングファームに就職した。出来れば、そのままで、結城宅配とは縁のない暮らしをしたかったのだが、父恒美に呼び戻され、泣く泣く会社を辞め、結城宅配に入った。いきなり取締役のポジションで。恒美氏には、コンサルティングファームで培ったスキルで、結城宅配の財務分析をし、構造改革をするように申し付けられた。まだ、30前の誠二氏は、父のその言葉を額面通りに受け取り、かなり大胆な構造改革を実行したらしい。そして、それは痛みを伴うもので、改革を実行する度に、誠二氏は、社内に敵を沢山こさえる事になった。
その敵は、全員で亮一氏を持ち上げた。亮一氏は、これと言ってとりえもなく、愛想もない、いてもいなくてもいいような存在だった。その人畜無害さを敵になった社員が利用したのだ。
恒美氏亡きあと、取締役会は大荒れに荒れた。その最中に突然、亮一氏が辞意を申し出た。会議は騒然さを増し、もはや収拾がつかないところまでになってしまった。
誠二氏と反目する取締役たちは、亮一氏を慰留し、全力で、辞意を撤回させようとした。しかし、亮一氏の意志は固く、長い話し合いの後、結局、亮一氏は会社を去る事になった。
この時、亮一氏は、誠二氏に、絶縁も申し出た。誠二氏はこれを受け入れ、亮一氏が保有する会社の株を全部引き取り、配当を渡す事で手切れ金としたそうだ。
そして、この10年間、二人は会っていない。
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「お話は、凡そのところ分かりました。で、その亮一さんを捜さないといけなくなっているんですね?」
「そうです。」
「どうして?絶縁しているんじゃないんですか?」
「母がもうもたないんです。それで、兄と会わなければならないのです。」
「お母さまが、ご病気?」
「そう。余命宣告を受けております。」
「という事は、財産分与とかですか?」
「いや、そんな生臭い話ではないです。ただ、」
「ただ?」
「お袋がね、会いたがってるんですよ。兄貴に。だから、死ぬ前に会わせてやりたいだけです。」
「なるほど、分かりました。それで、お兄さんの今の住所は分かってない?」
「ええ。兄貴は家を出てすぐに、仙台に行きました。実は、兄貴と僕は腹違いの兄弟なんですが。兄貴を生んだお母さんという人は、仙台の国分町でクラブのホステスだった人なんですね。兄貴を生んですぐに亡くなってしまったんですけども。その人が恋しいのかなあ?家を出たら、真っ直ぐに仙台へ。その時はまだ、株の配当なんかの手続きをしている最中だったので、兄貴の住所と携帯の番号だけは、こっちに知らせてもらってたんです。」
「その仙台の住所は今は、どうなっているんですか?」
「いや、つい3か月ほど前なんですが、お袋が余命宣告を受けた時に、ウチのセールスドライバーに、その住所を訪ねさせたんですよ。そしたらねえ、表札は兄貴のまま、結城だったんですけど、女が一人で住んでたんですよ。それでね、興信所を使って、その人にアプローチさせたら、なんと、その人、兄貴の内縁の妻だと言うんです。で、兄貴は、ずっと前に行方不明になってしまっていて、帰るところがなくなっちゃいけないと思って、その女性は、ずっと兄貴の家を守ってるんだそうです。」
「その女性とは、直接は話をされていない?」
「ええ、何しろ絶縁中ですからねえ。内縁とは言え、妻を名乗る人に会うのは、どうにも憚られて…」
「なるほど、分からんでもないですね。しかし、お母さまは亮一氏に会いたいんでしょう?」
「そうなんです。自分の腹を痛めた子でもないのにね。不思議と兄貴にずっと会いたがっている。」
「じゃあ、あなたがその女性とお会いになり、亮一さんの手がかりを聞きに行けば良いではないですか?」
「それは、会社の体面上、宜しくないんですよ。お察し下さい。」
「で、私に仙台に行けとおっしゃるんですね?」
「その通りです。」
「分かりました。」
その後、吉岡弁護士立会いの下で、今回の契約を交わした。
そして、私は車を取り、オフィスへと戻った。
夜になってもまだ、雨は止まない。
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翌日は、朝から曇りだ。
昼前に仙台駅に着いた。
タクシーで、誠二から聞いた住所へと向かう。青葉城が見える閑静な住宅街に亮一の住所はあった。
6階建てのマンションの4階、角部屋。
私は、エントランスのインターフォンで、409号室を指定し、ボタンを押した。
誰も出ない。もう一度、やっぱり出ない。留守か?
私は、マンションの亮一の部屋が見える高台の公園へ向かった。そこからは、亮一の部屋の南と西の大きな窓がよく見えた。一眼レフのカメラの望遠レンズで部屋を見る。中では、女が掃除をしていた。
やはりいるのか? でも、どうして、出ない?
動きがあっては困るので、ずっとここにいる事にしようと思った。しかし、雨上がりの公園だ。どこもかしこもぬかるんでいる。私は、自慢のウィングチップが泥だらけになり、多少憂鬱な気分になっていた。
それに、ベンチも濡れており、座るところもない。
公園にレインコートを着て、一眼レフを持って、ずっと佇む中年の男。通報されたら、たまらない。
私は諦めて、公園を出た。
女の顔は分かった。だから、今度はマンションのエントランスを見張る事にした。
エントランスが見えるビルの2階の喫茶店を見つけた。
窓際の席に着くと、あまり愛想の良くないウェイトレスにコーヒーを頼んだ。
私は、店をいったん出て、誠二に電話した。
誠二は、すぐに出た。
「結城さん、お仕事中にすいません。一点だけ、お聞きしたい。」
「手短になら大丈夫です。」
「亮一さんの家の固定電話の番号は、ご存じですか?」
「いや、知りません。お役に立てず、すいませんが。」
「そうですか。じゃあ、結構です。」私は電話を切った。
席に戻ると、コーヒーは運ばれていた。
一口飲む。温い。味のバランスはいいのに…
私は残念な気持ちのまま、窓からエントランスを見張り続けた。
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この喫茶店で粘った。
温いコーヒーを3杯も飲み、それでも、愛想の良くないウェイトレスが追加注文を取りに来るので、要らないモンブランまで頼んだ。しかし、モンブランは意外にも美味かった。新鮮な栗のペーストを使っているようで、栗の旨味を楽しめた。
3時になった。女が和装でエントランスに出てきた。私は、慌てて、勘定を済まそうと、レジに向かった。会計は何と2900円もした。コーヒー1杯、700円、モンブランは、ケーキセット単価で800円。ケーキだけだと、なんと1000円もする。
3000円を支払い、領収書を取ってから、外に出ると、女はタクシーに乗り込んでいた。私もタクシーを捜す。少し遅れて、タクシーに乗れた。
「あの黄色いタクシーを追ってくれ。」
「お客さん、ストーカーじゃないでしょうねえ?」若いチャラっとした運転手が言った。
「ストーカー?まさか、捜査だよ。昔から、前のタクシーを追ってもらうのは、捜査だと決まってるだろう?」
「いや、最近はそうじゃないんすよねえ。スゲエ、ストーカーが多いみたいで。俺らもいちいち警察から質問されて、面倒臭いんすよ。」
「いや、僕はそうじゃないよ。あの車に乗っている女性の不貞の証拠を捜すために雇われた探偵だ。」
「探偵?スゲエな。俺、張り切っちゃいますよ。」
女のタクシーは、国分町で止まった。私もタクシーを降りた。支払いの際、運転手が、「じゃあ、気を付けて、頑張ってください!俺、応援してますから!」と言ったので、私は「ありがとう。しかし、この事は3週間は、誰にも言わないでおいてくれ。3週間。いいかい。それまでには、きっと事件を解決してみせるから。」と言った。運転手は神妙な顔つきで「分かりました。決して誰にも言いません。」と答えた。
女は、歓楽街のはずれにある落ち着いた雰囲気の美容院へと入っていった。
私は、コンビニの前の電柱の陰で、美容院を見張った。
しかし、このコンビニはあまりにたくさん客が来るため、長い間はいられないと悟った。そして、コンビニの隣にある喫茶店に入った。
どうか、今度こそ美味いコーヒーにありつけますように…
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中に入るなり、フルオーケストラの大音量に圧倒された。
ここはクラシック音楽を聞かせる喫茶店だった。
昭和初期の店構え。古いが、年季の入った調度品の数々。薄暗い店内。そして、音楽以外の雑音が入ってこないお行儀の良い客、店のスタッフ。全てが、音楽を聴くためにある空間だ。
私は、幸い空いていた窓際の席に座り、コーヒーを頼んだ。
ブラームスの交響曲第1番。
やや不穏なメロディライン。
音楽に聴き入ってると、コーヒーが運ばれていた。
一口飲む。すごく濃いのだが、味わいの良い上品なコーヒー。店の重厚さにとても良く似合っている。
気に入った。
私は、コーヒーをもう一口飲んだ。
音楽に聴き入る。
全てが完璧だ。
時間を忘れそうになる。
第2楽章に入ってすぐ、女が美容院から出てきた。
私は、後ろ髪を引かれる思いで、店を出た。
また来よう、そう思ったが、そうするには、仙台は中々遠い事に、気がついた。
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女は、定禅寺通りの一角にある雑居ビルへと入っていった。
エレベーターで上階に行ったようだ。
私は、ビルの入口にある案内看板を見た。
3階、「小料理屋結城」
間違いない、ここだろう。
私もエレベーターに乗って、3階へ行ってみた。
小料理屋結城は、準備中の札が出ていた。オープンは、17時からのようだ。
あと1時間ぐらいある。
私は、出直す事にして、いったんビルを出た。
そして、そのビルの真向かいにあるハンバーガーショップに入り、チョコレートシェイクを頼んだ。
コーヒーは飲み過ぎたし、私は、実はチョコレートシェイクが好きなのだ。
そしてまた、2階の窓際に席を取り、シェイクを飲んだ。
ここからは3階の踊り場と店の窓が見えた。
そこには、開店の準備をする女の姿があった。
一人でやっている店のようで、中々忙しそうだった。
私は、スマホを充電しながら、写真を撮り、それを念のため吉岡弁護士に送った。
シェイクのストローをずっと吸い続けたまま、スマホで作業していると、やがて、ストローから、「ズズズっ」と、下品な音がした。慌てて、ストローから口を離す。
後ろの女子高生が爆笑した。
その笑い声を背中に、私は店を出て、女のいる店へと向かった。
顔が赤くなっているのがバレないように伏し目がちに、顔を下げて、通りを渡った。
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小料理屋結城の引き戸の前に、営業中の札が出ているのを確認し、戸を引き開けた。
「いらっしゃいませ。」
カウンターだけの店。カウンターの上に大皿の料理が10個以上並んでいる。
カウンターの内側にはおでんの四角い釜があり、ぐつぐつと音を立てており、白い湯気を天井まで上げている。
その湯気越しに女将が一人立っている。
「すいません、一人なんですが。」
「どうぞ。お好きなところにお掛けになってくださいな。」
私は、レインコートを壁のハンガーにかけ、オーバーナイターのブリーフケースをその下の荷物置きに載せた。
そして、カウンターの女将の正面の席に腰かけると、女将がすぐにお絞りを渡してくれた。
「何をお飲みになる?」
「ビールを。」
「ウチは瓶ビールしかないけど、それでよろしいかしら?」
「ええ。」
女将は、ビールの冷蔵庫から瓶を1本と、華奢なグラスを1個出した。そして、グラスを私の前に置き、瓶の栓を抜いてから、私の前に瓶の口を差し出した。私はグラスを取り、ビールを注いでもらった。
次に彼女は、お通しの載った皿を私の前に置いた。お通しの料理は全て、おばんざいの大皿のものだった。
「で、お客さん、東京から?」
「ええ、そうです。よくお分かりで。」
正直、ちょっとビックリしたが、私にも確信があった。彼女は全部を見通していても不思議ではない。
「結城さんの家から、何か頼まれた?」
「結城亮一さんに会いに来ました。」
「前に来た興信所の人に言っておいたんだけど、亮一さんは行方不明なのよ。聞いてない?」
「それは、聞いてます。」
「じゃあ、何で、ここに来たのよ?」
「あなたは、彼がどこにいるかをご存じじゃないのですか?」
「知らないわよ。知ってたら、すぐに呼び戻すわ。」
暫し、沈黙の時が流れた。
ビールを手酌で飲む。
「何を召し上がります?おばんざい、それとも、刺身がいいかしら?」
「刺身は何がありますか?」
「今日は、貝ずくしね。赤貝、ツブ貝、それに青森産のホタテもあるわ。」
「美味そうだ。じゃあ、それをください。」
「飲み物は?」
「焼酎、ありますか?」
「芋と麦なら。」
「芋をお湯割りで。」
「濃さは?」
「濃いめで。」
私は、残りのビールをグラスに注ぎ、お通しのなますを食べた。程よい酸っぱさで、美味かった。
焼酎が届いた。少し遅れて、刺身の皿が私の前に置かれた。
そして、私は確信を深めた。
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貝の刺身は、どれも新鮮で美味かった。
焼酎をゆっくり飲み、貝をつまむ。
午後6時半。他の客はまだ、誰も来ない。
「やっぱり、コロナの影響は出てますか?」
「そうね。この1週間で、あなたが初めてのお客だもの。」
「そうですか、そりゃ、大変だなあ。女将さん、さっきの亮一さんに関する事をもう少し、話をさせてもらってもいいですか?」
「結構ですよ。私に分かる事なら。」
「まず、女将さんのお名前をお聞きしたいのですが?」
「若松芳美です。」
「結城亮一さんとは、結婚されてはいない?」
「事実婚ですけども、籍は入れておりません。」
「女将さんは、ずっと仙台の方?」
「ええ、ずっと仙台。」
「この店は、何年前からやっておられる?」
「この店自体は、たいへん古くて、昭和57年にオープンしたの。ウチの母が一人でやっていた店。8年前に母が死んで、私が継ぎました。」
「そうですか。因みに、お母さまのお名前は?」
「芳江です。若松芳江。」
「なるほど。」
「おでん、もらえますか?」
「おでんは、何にします?」
「はんぺんと、大根を。」
私は、残っている焼酎を飲み干した。
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有線もなく、カラオケもないこの店の中では、ただおでんが煮えるぐつぐつという音と。女将の包丁のリズミカルな音だけが、BGMだった。
多分、普段ならもっとうるさいのだろう。時折、隣のスナックのカラオケを歌う声が届く時がある。しかし、それは遠くの声のように聞こえ、この店に何ら影響は出ていない。
「すいません、熱燗をもらいたいのですが。」
「1合?」
「ええ。」
「お酒は何にします?」
「宮城の地酒でお薦めのものを」
「分かりました。」
女将は、酒をおでんの釜で燗にして、後ろの棚から徳利とお猪口を出した。
私の前にお猪口を置く。
私は、決意したように話し始めた。
「女将さん。」
「何でしょう?」
「ちょっと、これから、私の妄想に付き合ってもらえませんか?」
「妄想?どんな?」
「悲しい姉妹と、兄弟の話です。」
「そう…」
「今から40年前に遡ります。」
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「大体40年ぐらい前、結城恒美氏は、新橋の芸者をやっていた若松芳江さんと恋に落ちました。恐らく、芸者をやってる頃に、子供を身ごもる事になったんだと思います。そして、恒美氏は芳江さんを身請けし、結婚しました。子供が産まれました。男の子です。それが結城亮一氏です。亮一さんが生まれてすぐぐらいに、お母さんの芳江さんは、急に結城恒美さんから離婚を言い渡されたのだと思います。そして、芳江さんは生まれ故郷の仙台に戻ってきた。そして、この店を開いたのです。多分、恒美さんから手切れ金か何かをもらったのでしょう。」
「随分、リアルな妄想ですわね。でも、それって、妄想、それともあなたの推理?」
「多分に事実のこじつけです。だから、妄想の域を出ない。もう少し聞いていただけますか?」
「妄想なら、いいわよ。私も飲むわ。熱燗。お酒のあてに妄想を聞くの。」
「ぜひ。」私は自分の徳利から彼女のお猪口に酒を注いだ。酒が無くなった。
彼女は、何も言わずにもう1本つけた。
「芳江さんの後、恒美さんはあろう事か、芳江さんの妹で、同じように新橋で芸者をしていた幸江さんと二度目の結婚をします。」
「酷い人ね。」
「そうですよ。普通では考えられない。でも、恒美さんはそうした。で幸江さんとの間にもう一人、男の子を授かった。それが誠二さんです。」
「そうなの。そんな酷い事だったの。知らなかった。」
「嘘でしょう。あなたは、全部、よくご存じのはずですよ。」
「そんな事ないわ。亮一さん、何も話してくれなかったの。だから、私は何も知らない。」
「あなたは、芳江さんとの続柄は何になるのですか?」
「他人よ。」
「そんな事は無いはずだ。芳江さんの旧姓の若松を名乗ってるし、芳という字ももらっている。」
「ああ、そんな事。それは若松芳美は偽名だからよ。」
「そうでしょうね。結城亮一さん。」
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「どうして分かったの?」彼女は言った。
「歩き方ですよ。あなた、多分ですが、学生時代に柔道か、剣道をやってたんじゃないですか?」
「どっちもハズレ。空手をやってたわ。」
「和装なのに歩く時、どうしても膝が外に向く。割れてるんです。ほんの少し。だから。」
「そう。じゃあ洋服なら、分からなかった?」
「いや、こっちに来る時、あらかた推理してましたから、やっぱり分かったと思います。」
「なら、仕方ないわね。もっと、お飲みになる?」
「いただきます。」彼女は、新しい徳利を差し出し、私のお猪口に注いだ。
そして、彼女は残りの酒を全部コップに注ぎ、一口飲んだ。
相変わらず、店の中は静かだ。隣のカラオケですら聞こえてこない。
ただ、おでんのぐつぐつ煮える音だけが、リズミカルに小さく響く。
「分からないのが、三つあります。」
「何かしら?」
「一つ目は、何故あなたのお母さんである芳江さんを恒美さんは追い出すような真似をするに至ったのか?」
「それから?」
「何故、恒美氏は死ぬ前に後継を決めておかなかったのか?という事です。」
「最後は?」
「何故、あなたは結城家を去ってしまったのか?です。」
「そう。」
「教えてくださいませんか?」
「誠二には言わないと、約束してくれるのであれば…」
「分かりました。約束します。」
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「すべては、干支のせいなの。」
「干支?」
「父は、最初はトラックのドライバーをしていて、それから一代で、あんなに大きな会社にまで育て上げた。」
「ええ。」
「そのためには、人を見る必要があった。寄ってくる人全部に対して。こいつは自分に役に立つか、敵になるか?そういった事を判別しなければならなかった。」
「それを判別するために、干支を使った?」
「そう、相性診断みたいなものなんだけど。父は兎に角干支で、全てを判断した。」
「で、芳江さんは相性が悪かったのですか?」
「そのようね。でも、芳江と付き合いだした時には、まだ、父はそこまで干支に拘っていなかったみたいで、私が生まれてすぐぐらいから、干支を気にし始めたらしいの。」
「それで、調べたら、芳江さんの相性が良くなくて、追い出される羽目になる。」
「そう。でもね、おかしいのは、父はその時、母に散々謝ったらしいの。それにたっぷりお金も渡して。その金で、今はこの店と、住んでるマンションの土地が買えた。」
「えっ!じゃあ、あのマンションは全部、あなたの持ち物なんですか?」
「そうよ。初めは、1000坪の広大な日本家屋の屋敷だったんだけど、母が亡くなってすぐに、マンションにしたの。」
「そうですか。それはスゴイですね。」
「いや、そんな事もないわよ。」
「それで、お父様は、何故、お母さんの妹と再婚するのですか?」
「それも干支のせい。馴染みの新橋の料亭で、妹の幸江さんと会うんだけど、干支ですぐに惚れちゃって、運命の出会いだとか、何とか言って、すぐに結婚したのよ。」
「幸江さんは、芳江さんの妹だと知ってて?」
「もちろんよ。お座敷で、実の妹ですって、紹介も受けてたらしいわ。」
「分からんなあ…」
「簡単じゃない。」
「えっ?」
「幸江は、毒女なのよ。」
「毒女?」
「そう、毒女。あの人は、私の母を追い出して自分が後釜に入った。母が国分町でホステスやってたとか、私を生んですぐに亡くなったとか、そういうデマを流してね。母が仙台に帰っただけだというのは知ってたくせに。」
「そうなのか?」
「私は、まだ小さすぎて、その当時はよく分からなかったんだけど、今は確信している。父が干支に拘ったり、占いや、風水にハマっていったのは、全部幸江のせいなのよ。」
「幸江さんの?」
「そう。彼女はお座敷でも、その占いや、風水でお客をつかんでいたと。母から聞いた事がある。そして、父も同じ手で捕まえたと、私は思ってる。つまり、うちの母、芳江は干支的に父と相性が良くないと伝える。父は悩む。何故なら、待望の長男が産まれていたからよ。それが私。でも、幸江から何度も囁かれて、ついに父は芳江と別れる事を選ぶ。しかし、父はそこまで鬼のような人ではなかったので、別れて追い出す母に余るほどのお金を渡した。その金は手切れ金であり、母から私を取り上げるための身代金みたいなものだったはず。で、母は、生まれ故郷のここ、仙台に戻り、土地付きの家を買い、定禅寺通りの一等地にビルも買った。」
「えっ?じゃあ、このビルもあなたの持ち物なんですか?」
「そう。私は会社を出る時に得た株の配当金もあるから、一生金には困らないの。」
「それは素晴らしい。まあ、あなたのお母さんと誠二さんのお母さんとの確執のお話は分かりました。でも、そうなると、ますます、恒美さんが亡くなる前に後継者を指名しなかった理由が分からなくなる。」
「それはね、父は後継者を私にしたかったの。干支的にね、私と父は最高に相性が良い、それは分かっていたから。でもね、幸江は何とかして、誠二を後釜に据えたかった。何故なら、彼女は芳江を恨んでいたからよ。」
「この期に及んで、まだ芳江さんを恨むのですか?」
「そう。実はね、芳江と幸江も腹違いの姉妹なの。で、芳江は可愛がられて、幸江はそうでもなかった。二人の父は早く死んだんだけど、死んだ後、芳江は中学を卒業してすぐに芸者の見習いについて、お金を稼ぎ始めた。幸江はまだ、幼かったので、実の母からも足手まといのように扱われた。貧乏になっちゃったからね。小さい子供は金を食うばかりだと言われ続けたみたい。」
「それは可哀そうですな。傷ついたでしょう。実のお母さんからでしょう?」
「そう、その傷がそのまま、芳江への恨みに変わったのよ。その恨みをいつか晴らすと、ずっと思っていたんじゃないかなと思う。」
「それで、芳江さんから恒美さんを奪い、更に恒美さんが死ぬと、今度は会社をあなたから、奪うような真似をしたという訳ですか?」
「その通り。」
「最後に、あなたは何故、それでも会社を去ったのですか?」
「それは、私が女だと気づいたからよ。」
「女だと気づいた?」
「そう、私たちが若い頃はまだ、性同一障害なんて言葉なかったからね。私は自分が女っぽいなとは思っていたけど、世間体もあるしね。だって、そうじゃない、仮にも一部上場企業の取締役がよ、若いとは言え、オカマだったなんて事になったら、途端に会社が転覆しちゃう、ぐらいの時代だったの。」
「それは分かりますが、それでも会社を辞めなくとも、他に方法はあったんじゃないですか?」
「方法なんてないわ。だって、私は、誠二の事を愛しちゃったんですもの。」
「えっ?」
「誠二は、子供の頃からずっと一緒で、今思えば、その頃から私はずっと誠二が好きだったんだと思う。」
「それは誠二さんには?」
「もちろん、言ってないわよ。でね、会社を去る事にしたの。それで、こっちに戻ってきて、母さんの家に住んで、店を手伝って。その時は、母さんを悲しませたくないから、まだ男のままで。で、母さんが亡くなった後、家をマンションにするために仮住まいのアパートを借りた時に女の姿に変えたの。」
「なるほど。」
「これで、質問には全部答えたわ。納得した?」
「ええ…」私は口ごもった。
「まだ、何か?」
「いや、今聞いた話を誠二さんには伝えられないなら、どういう風に報告書をまとめたら良いかが、難しくて…」
「簡単よ。内縁の妻に会った。亮一は、8年前から行方不明のままで、時折メールで生存確認のように連絡してくる。未だに居場所は特定できていないので、お母さまが会いたがっている事はメールで知らせるけれども、実際、会えるか、どうかは分からないと、言っていた。そう答えてくれれば良いわ。」
「分かりました。そうします。他に誠二さんにお伝えする事はありますか?」
「一つだけ。」
「何でしょう?」
「愛していた、そう伝えて。」
「分かりました。」
私は店を出た。午後8時になろうとしていた。もうこの街は出たい。そう思って、駅へと向かった。
