【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑪ ~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
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慶次朗は、メロウの住むタワマンの前でタクシーを降りた。
このマンションには自分も住んでいるのだが、慶次朗はこのマンションを見上げる度に、「メロウが住んでいるマンション」だと認識し、まるで自分はそれには関係がないように感じていた。
今は正午前で、マンションを見上げると、昨日とは打って変わって晴れ渡った夏の日差しで、目が翳みそうになった。
慶次朗は自分のカードキーでエントランスのドアを開けようとしたが、エラーが出た。
メロウはヒステリックな男だ。
昨夜、慶次朗が取った行動のすべてが、彼の癇に障ったのだろう。
カードキーを無効にされたと、すぐに悟った。
仕方がないので、慶次朗は普通にインターフォンを鳴らした。
押しても無駄なはず。この時間、メロウはジムへ行ってるから。
出直そう。
俺は敢えて、この時間を狙って来たんだ。
メロウに会わずに済むように…
「はい。どちら様?」
えっ?
「あっ、俺です」
「俺って、誰?」
「ケイです」
「ああ、花房君か…インターフォンを止めて、電話で話そうか?インターフォンは他の人用に空けてやってくれ。俺のスマホにビデオ通話でかけてくれないか?」
「ああ、分かりました」
花房君?
メロウの怒りは相当な物だと理解した。
慶次朗はエントランスの端へ移り、メロウへ電話を掛けた。
メロウはすぐに出た。
「で、ご用件は?」
「えっと…メロウに謝りに来ました」
「謝る?何で?どうして?何のために?君が何をした?君は僕に謝らないといけないような事をした?」メロウの口調は冷たい。
慶次朗は、今メロウは酩酊状態である事が分かった。
メロウは、慶次朗よりも酒が強い。
だから、酔っている姿を見た事がない。
だが、今日のメロウは違う。
スマホの画面越しでも、メロウの目が据わっている事が分かる。
メロウは薬をやらないので、こんな目になっているのは酒のせいだ。
酔っているメロウ。こんなに厄介な存在はない。
「昨夜はすいませんでした」
「ああ、昨日の事を詫びたいの?何で?」
「俺、急に店を出て行って、売上に穴を開けてしまいました」
「大穴だよね。大損だ。それで詫びを言いに来たと?」
「そうです」
「それは言葉じゃ無理なんじゃないかい?お金の事はお金で解決してくれないと…」
「やっぱりそうですか…いくら積めばいいんですか?」
「億と言いたいところだが、昨日は君が店からいなくなってからね、若いヤツらが頑張ってくれて、売上の大幅減を食い止めてくれたんだ。だから、君には一億の半分の5千万ほど負担してもらおうと思ってる」
「分かりました。昨日の事を客全員にお詫びメールを出して、その後すぐに再度パーティをやるようにします。準備があるので、俺に二週間下さい。二週間後にはその売上をやってみせます」
「バカだねえ、君は…君はもうクビなんだよ。あの店に席はないの」
「えっ?」
「当たり前だろう。僕は昨日、君に何と言った?今朝7時には家に戻ってくるようにって言ったよねえ。何年か前に、二人で行った湯河原の寿司屋、覚えてるかい?」
「ああ、覚えてます。やたらと凝った寿司を握ってくれた店ですね」
「大将に無理言って、今朝7時からウチで寿司を握ってもらう事にしてたんだよ。君はそれを台無しにした。大将には朝早くにウチに来てもらってだよ」
「そんな…俺、何も聞いてなかったじゃないですか…」
「僕は7時には帰ってこいと言ったよ。君の誕生日だからお祝いしたいともね。聞いてないかい?」
「いや、それは聞いてました」
「だろう。俺はこれでも歌舞伎町のメロウだぜ。俺がお祝いって言ってるんだから、そりゃそれなりのスペシャルなものになるのは分かるよね?」
「まあ…でも、何も辞めさせられなくてもいいんじゃ…」
「いや、無理だね。君は昨日、僕の大事なゲストである山崎先生を押しただろう?」
「ええ、確かに…でも、それは…俺の姉ちゃんが刺されたと聞いて、慌ててた性で…」
「それは俺は知らないし、山崎先生には全く関係のない事だ」
「そんな…」
「あの後、僕が山崎先生のご機嫌を取るためにどれだけ苦労したか、君は知ってるか?」
「いや…」
「だから、君はもう僕の店にいてはいけないんだ」
「そうですか…という事は、そこに僕の部屋はもうないという事ですか?」
「そうだね」
「じゃあ、今から部屋に入っていいですか?俺のものを全部出さないといけない」
「いや、それには及ばない。引越屋に来てもらって、君の部屋はもう空だ」
「ええ?」
「今、メッセンジャーが下に降りたから、後はそいつから聞いてくれ。じゃあな、ケイ。君と一緒だった日々はそれなりに楽しかったよ。ありがとう。携帯番号とメールアドレスは、5千万を入れてもらうまでは生かしておくよ。ああ、そうそう。金の期限は一週間後という事にするから、宜しくね」
メロウは電話を切った。
エントランスの自動ドアが開いて、レイが出てきた。
ああ、そういう事か… 俺の後釜はレイなんだ…
「ケイ、メロウからのお届け物だ」
そう言って、レイは慶次朗に2枚の紙を渡した。
一枚は、5千万の借用書であり、もう一枚は慶次朗の荷物を運ぶ引越屋の納品書だった。
「借用書には押印して、明後日までに速達で返信して欲しいそうだ。運送屋さんは、ここの地下で待機してもらってるから、お前が自分のバイクを取りに行く時に、トラックへ行って、どこに運んだらいいかを知らせてやってくれ。運送屋にはメロウがもう金を払ってくれてるから、お前が場所を指定すればすぐに動いてくれる。それと、ヘルメットだ。メロウは、ホントはお前のバイクも取り上げるつもりだったんだけど、名義がお前なんで、色々とややこしいから、お前が乗って行ってもいいと言っていた。その分、メロウに感謝した方がいいよ」
レイは、業務連絡のように淡々と説明した。
そんな風だけど、しゃべっているレイの口調の端々に、何となく勝ち誇ってるような感じがした。
「これで説明は全てだ。ケイ、分かったかい?」
「ああ、ありがとう」
「じゃあな、ケイ。来週、金を入れる時には俺も立ち会う事になるから宜しく。後、金の件に関してはメロウが金丸連合にも相談してるから、もしかして金を返さないとなると、金木さん辺りが出てくる事になると思うから気を付けて」
「分かった」
金丸連合…
半グレの組織だ。
という事は、メロウは本気だ。
レイはエントランスのドアを開けてくれた。
慶次朗は、地下に降りた。
レイはメロウが待つ部屋へと上がっていった。
慶次朗は、トラックを見つけて、山野辺の会社の住所を教えた。
それから、スマホを取り出し、デビッドへ電話を掛けた。
デビッドはすぐに出た。
「ケイ、聞いたよ。お姉さんが刺されたって?」
「ああ、呆気なく死んじゃったよ。それでさ、俺、店を辞めなきゃならなくなってさ。金丸連合も関わって来そうになっててさ」
「金木かあ、それは厄介だね。で、俺はどうすればいい?」
「前にデビッドから聞いた、萬相談の人、いたろう?」
「ああ、黒さんだね。相談したいのかい?」
「そうなんだ。口きいてくれないか?」
「分かった。いつ、相談に行く?」
「できれば今晩」
「アレンジするよ」
慶次朗は電話を切った。そして、バイクに跨り、駐車場を出た。
