【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑰~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
■
慶次朗は黒崎と約束した10分前にクラブMが入っているビルの前に着いた。早すぎたので、黒崎はまだ来ていなかった。
ビルのエントランスを見て、慶次朗は懐かしさを覚えたが、それよりもあれからまだ一週間しか経ってない筈なのに、何故かもう、この世界が遠いものに思えてきてる事に軽い衝撃を受けた。
見慣れた歌舞伎町の通り。
夜ならいつの時間でも人が多く行き交う。
昼間でも多いのかもしれないが、慶次朗にとって歌舞伎町とは夜の街であり、昼間の歌舞伎町を慶次朗は知らない。
最近再開発されたところもあるが、どの通りでも、大体が猥雑に見えるネオン、看板が妙に明るく輝いている。
クラブMが入るビルの前もご多分に漏れず明るく、行き交う人が多い。
慶次朗は、ビルの前で為すすべもなく立ち尽くしてしまった。
「おい、兄ちゃん!そこをどけよお!」
横から来たご機嫌に酔っ払っているサラリーマン三人組に絡まれると、慶次朗は行く手を阻まないように隅へと移動した。
何だ、これは?
俺、随分とおのぼりさんみたいじゃねえか…
ここは俺の街だったんだけどなあ…
でももう、ここに俺の居場所はねえ。違和感がすげえ。
まるで別の惑星に来ちまったみたいだ…
「ケイさんだよねえ」
慶次朗は後ろから鳩尾に何かを突き付けられた。
ピストルのような、細く長い…
慶次朗は全身を固くした。
「だったら…」
「振り向きなよ。僕だよ、僕」
そう言われて、慶次朗は後ろを向いた。
金木が薄ら笑いを浮かべて、そこにいた。
金木は183㎝ある慶次朗に見劣りがしないぐらいに背が高い。
そして、痩せている。というより「瘦せ細っている」という方が、正しいのかもしれない。
いつも顔色が悪く、どこか病的な雰囲気を醸し出している。
金木は電子タバコの器具を慶次朗に突き付けていた。
慶次朗は、身体中から力が抜けていくのを感じた。
「あれ、緩んじゃった?安心しちゃったのかなあ…まだ、早いよ、ケイ。安心するなら、全部終わってからにしてくれるかなあ?さあ、行こう」
慶次朗は、いつの間にか金木のチームの力仕事役を担っているマッチョマン二人に両腕を掴まれ、通りに止めてあったハマーのリムジンに押し込まれた。
車の中で、慶次朗は両サイドをマッチョマンに挟まれ、身動きができないでいた。
金木が最後に乗り込んできた。
車は動き出した。
■
5分程で車を降り、大久保のマンションへ入った。
エレベーターを8階で降り、二つ目のドアの部屋へ入った。
「ケイ、光栄に思ってくれよ。ここが金丸連合のヘッドクオーターだ。うちの連中以外は、この部屋に中々入れないんだぜ」と、金木が言った。
リビングには、L字のソファがあった。
慶次朗は、そこに押し込まれるように座らされた。
「さて、もうすぐここに、メロウがやって来る。それまで寛いでくれ。何か飲むかい?と言っても、ここには酒はないが、グレープフルーツジュースか、炭酸水ならあるぜ」
「何もいらない」
「そうか…じゃあ、僕は隣の部屋にいるから、横の二人は気になるかもしれんが、それは我慢してくれ」と言い、金木はリビングを出て行った。
二人とも肌が黒い外人で、体臭を気にしているのか、香水が臭い。
しかも、二人は別のブランドを使っているようで、二つの匂いは合わさって、咽そうになる。
湿度の高い部屋だな。
慶次朗は全身から冷たい汗をかいている。
特に頭頂部からの汗が酷く、髪は雨に濡れたかのようになっていた。
慶次朗の目の前に掛け時計があった。
10時17分。
この部屋に入ってから、まだ10分も経っていない。
黒さんは、どうなっているのか…
こんなところに連れ込まれるとは思ってなかった。
もし、黒さんが来なかったら、俺はどうなるんだろう?
慶次朗は本当に心配になった。
ますます汗が出た。
ピンポーン!
インターフォンが鳴った。
リビングの外で誰かが応答した。
メロウが来たんだろう…
でも、黒さんは?
慶次朗は半ば観念した。
リビングのドアが開いた。
黒崎が入ってきた。
