【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑱~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
黒崎の顔を見た瞬間、慶次朗はまだ状況がよく分かっておらず、緊張したまま、二人の黒い肌のマッチョマンに挟まれていた。
黒崎は左側のマッチョマンAの肩を軽き叩き、「ちょっと、どいてくれ」と言った。
「NO!」
マッチョマンは黒崎の侵入を阻むべく立ち上がろうとしたが、黒崎の手先で軽くいなされ、ソファに座り直す羽目になった。
黒崎は合気道の有段者だ。
「いいんだよもう頑張らなくっても。第一、お前日本語分かるんだろう?もう5、6年は、歌舞伎町をうろついてるよな?ジャッキーブラザーズって、名乗ってるらしいけど、お前さんたち、赤の他人だろう?似てるのは、肌の色とゴツイ身体だけなんだから、日本人騙すような真似は止しとけよ。分かるヤツは分かるぜ。さあ、どいてくれ」
「いや、それじゃあ、金木さんに…」マッチョマンBが流ちょうな日本語で話し出した。
「何だい、金木は「さん」づけかい?金木は心配しなくていいよ。ヤツはもうここにはいないから」
「えっ、どこへ行ったんだ?」マッチョマンBが、慌てたように言った。
「俺は、このマンションの入口でさあ、たまたま京極会の若頭の池田さんと一緒になったんだよ。聞けば、池田さんも金木君の用があるらしくって、俺は、厳密に言えば、金木君に用がある訳ではなくて、金木君に拉致された花房君に用がある訳で…そんな事で、池田さんに、金木くんを任せて、俺はこの部屋に入ってきたという訳だ」
「京極会の池田が何の用なんだ?金木はどこにいる?」と、マッチョマンBが訊いた。どうやら、話すのはBの役目のようだ。
「金木君は、池田さんが連れて行ったよ。ここに警察が踏み込む前に、金木君を押さえたかったようだ」
「警察?」
「そうだ。さっきクラブMに国税のガサ入れが入ったんだよ。あの店悪どく所得隠しをやってたみたいで…メロウ君は身柄を押さえられたよ。拘置所に入れられるんじゃないかなあ?でさあ、その所得隠しだけど、店の売掛金回収のために、払えない女の子を地方の風俗店に行かせて、稼がせてたらしいんだよな。それで、その地方の風俗店への斡旋業務をここがやっていたと…これは明らかに風営法違反だからなあ。それで、警察が来るのさ。分かったかい?」
「風俗店への斡旋?俺たちはそんな事、知らんよ」
「俺にシラを切ってもしょうがねえよ。何の役にも立たねえ。そんな芸は後で来る警察官に見せなよ」
「お取込み中、失礼するよ。新宿東署の岩田だ。今からこのオフィスを調べさせてもらうから…ああ、令状は入口でもう見せたからね。じゃあ、始めるよ」
「岩田さん、遅せえよ。ちょっと、ビビってたよ。じゃあ、俺らは出るから。さあ、花房君、行こう」
「ええ…はい…」
黒崎に手を取られて、慶次朗はソファから立ち上がった。
玄関に向かう廊下には警官が沢山いた。
黒崎と慶次朗はマンションを出た。
マンションの前には黒のアルファードが止まっていた。
黒崎はドアをノックした。すぐにロックが解除された。
黒崎が先に乗り込んだ。続いて、慶次朗が中に入った。
ドアが閉まると車は動き始めた。
十分ほどで、新宿二丁目にある石堂のジムに着いた。
中に入ると、慶次朗は驚いた。
ルミーがいたからだ。
「ケイさん、大丈夫でしたか?」
「ああ…ひょっとして、今日のガサ入れとか、仕組んだのはお前?」
「ええ、全部じゃないっすけど…最初、島野さんと話して、その後、黒崎さんの店に行って、昨日初めてここのジムへ来て、石堂さんにも会って…そんな感じです」
「メロウが身柄を捕られたって聞いたけど…」
「ええ、開店十分前の朝礼の時に、スーツ姿のおじさんがドドドって、店になだれ込んで来ましてね。あっという間に、メロウは去りました」
「で、店は?」
「今日は臨時休業ですが、明日は開けると、レイが言ってました」
レイが…ヤツはもうナンバー2気取りか…
「それで、事の顛末を一から分かるように、話してくれないか?」
「花房君、それはルミー君にはムリだから、代わりに僕が話そう。立ち話も何だから、奥のソファに腰掛けて、何か冷たい物でも飲みながら…」と黒崎が言った。
「ああ、そうしよう、そうしよう。冷たいビールが待っている…」石堂が同調した。
奥の事務所のソファセットは二セットもあり、10人以上は座れそうだった。
慶次朗は黒崎に促されて、左のセットの三人掛けソファに、ルミーと二人で座った。
その前に黒崎が座り、隣にはいつの間にか来ていた島野瑤子が座った。
石堂と石堂の部下たちは、隣のソファセットに腰掛けた。
「黒さん、ビールでいいか?」
「ああ、いつもなら俺は夜は酒を飲まねえんだがな。今日は特別だ。ビールをもらうよ。花房君も、ルミー君もビールでいいかい?」
「俺はバイクなんで、ノンアルでお願いします」
「なんだ、そうかあ…これからずっと飲むつもりだったんだが、帰らないといけないのかい?」
「ええ、姉の息子が俺を待ってるもんすから…すんません」
「ああ、小学生の子だね。それは仕方がない。じゃあ、ビールで乾杯して、さっさと話してしまおう」
みんなに缶ビールがいき渡ると、石堂の発声で乾杯をした。
慶次朗にはペットボトルのお茶が渡された。
驚くべきは、黒崎の飲みっぷりだった。
石堂の乾杯の掛け声の後、黒崎は一気に、一本目を飲み干した。
そしてテーブルにあった二本目を開け、これもすぐに飲み干した。
空になった缶をテーブルに置き、「クーーーー!やっぱ、効くなあ、夜の酒は…」と言い、三本目を開けた。そして、それを半分ぐらい飲んだ後、「じゃあ、話そうか」と、慶次朗を見ながら言った。
「あっ、はい…お願いします」と慶次朗は答えた。
「花房君がうちの店に来た翌日の夜に、ここにいる島野君にクラブMへ行ってもらったんだよ。お友達と二人でね。そこで、島野君はルミー君と会い、ルミー君の話を聞くうちに、こっちの仲間になってもらえそうだと判断して、手伝ってもらう事にしたんだ。花房君は、ルミー君がクラブMの経理をやってた事を知ってるかい?」
「いや、知りませんでした。ルミー、お前、そんなんやってたの?」
「ええ、俺がこの店に入った時点からですから、もう二年以上、俺が店の経理をやってたんですよ。実は俺、こう見えて経理の専門学校を出てまして…店に入る時に、それを履歴書に書いてたら、それをメロウが読んでて、メロウって、ケチですからね。俺に経理全般をやらせたら、会計士雇わなくて済むって言って…それから俺がずっと経理やってました。でも、少しして、会計士雇いたくなくって、俺に経理やらせてる訳じゃない事に気づきました」
「所得隠しか?」
「です」
「ルミー君って、真面目で律儀な子でね。最初は何にも話してくれなかったのよ」と、島野が割ってきた。
島野がビールを飲むピッチも中々だった。
彼女は缶が開く度に、缶を凹ませるので、もう5本目を飲んでいる事は分かっていた。そして、隣の黒崎はもっと多く飲んでいた。
おかしいのは、二人ともまだ全く酔ってる様が見て取れない事だ。島野の目は濁っておらず、口調も冷静そのものだった。
「それで、私、奥の手を使ったの」
「奥の手って、どんな?」
「島野さん、ズルいんすよ。俺に「ケイを助けたいの」って、いきなり言って、最初は分かんなかったんすけど、話を聞いてるうちに分かってきて…島野さんが来たの、ケイさんが店に出なくなったその日だったから、色々と思い当たる事もあって…それで店撥ねてから、アフターって言って、島野さんと一緒に黒さんの店へ行って…それで、仲間になりました」
「なるほどね。でも、何でお前がこんなリスクを冒してまでも俺を助けた?」
「そりゃ簡単ですよ、俺が「ケイさん推し」だからに決まってるんじゃないですか。ケイさんが店に来なくなった日の朝礼で、いきなりレイが仕切り出して…メロウさんが決めたって言われたんで、みんなすぐに従ったんっすけどね。正直、レイの事、良く思ってないヤツ多いですからね。俺も、レイは大嫌いなんで…だから、ケイさんを助けるんだって聞いて、すげえやる気になって…だから、俺、今回の事、前のめりで頑張ったんすよ」
「ああ、そうなんだあ。俺はレイは一年後輩だから、そんなに若い子たちに嫌われてるなんて分からなかったんだけどな。みんなそんなに嫌いなんだ?」
「給料制のヤツらは、レイの事、みんな嫌いなんじゃないっすか。レイさん、上と下じゃあ、態度、全然違いますからね。本当に嫌なヤツなんっすよ。ケイさんも、アイツは嫌なヤツだって事は知ってるでしょう?」
「ああ、アイツは嫌だなあ」
「でしょう」
「で、ルミー君、話し終わった?ここからは私のターンね」と、島野は空き缶の潰しながら言った。
「島野さん、まだ飲むんすか?」
「まだ?まだまだよ」島野は新しい缶を開けた。
「でね。アフターで黒バーへ行って、ルミー君からあの店の所得隠しの話を聞いて、すぐにみんなで作戦会議やって…後、黒さん話して…」
「何だ、島野?君が全部話すんじゃないのか?」
「ビール飲み過ぎた。トイレ行ってくるから、黒さん、話しておいて」
島野は出て行った。
黒崎と慶次朗とルミーは、走って出て行く島野の背中を見送った。
「スゴイっすね、あの人のマイペースぶり」慶次朗は、感心しながら言った。
「ああ、本当に。俺は振舞わされっぱなしだよ。じゃあ、続きは俺が話すよ」
「お願いします」
「ルミー君から聞いた後、俺の知り合いの弁護士から、国税の知り合いに話してもらってね。それであの店に立ち入り検査してもらう事になって。立ち入り検査だけだと、すぐにやれたんだが、その後、店の客で売掛金が払えない若い娘を地方に売り飛ばしてるっていう話を追加で聞いて、それの対応を考えてたら、今日までかかっちまった。金丸連合が相手になるだろう?クラブMから依頼を受けて、売春斡旋してた実働部隊が金丸なんじゃ、慎重にやらないといけないと思った。だから、京極会にも警察にも動いてもらう必要があると思ったんだ。でもなあ、今時はヤクザも警察もとにかく動きが遅いんだよ」
「で、京極会と新宿東署が来てたんですか。でも、何で、警察だけじゃなくて、ヤクザまで絡ませたんすか?」
「そりゃ保険のためだね。警察だけだと、金木は上手く切り抜けるかもしれない。アイツは高い弁護士をたくさん知ってるだろうからな。意外とすぐに釈放される事も予想される。でもな、京極会にチクっておくと、もしかして金木が出てきても、すぐに自分たちの良いようには動けない。京極会の池田は、今回の件を聞いて、トサカに来てるからな。自分たちの縄張りの中で、半グレ小僧どもが勝手なシノギをやってるんじゃ、メンツが潰れてしまう。だから、金木は警察の中にいるうちは安全だが、外に出たら、今度は京極会に追い回される目に遭う。だから、今は警察より早く京極会は金木の身柄を捕りたかったんだよ。ヤツはどっかで池田から死ぬほど怖い話を聞かされてるだろう。それから京極会が金木を新宿東署に届ける筈だ。池田の脅しだが、今は令和だから、まさか命を取られるまではないだろうが、扱いのシノギは大半を横取りされる事は間違いないだろう。そんな状況の中で、例え、国税の件を終えたメロウからの指示があっても、金木は花房君への復讐のために動いてる暇もなけりゃあ、義理もないという事になる筈だ」
「なるほど…じゃあ、今晩の動きの後、メロウや金木が釈放されてからも暫くは安心という事ですね?」
「まあ、100%の保証はできないが、恐らくは大丈夫だろう。ヤツらがサイコパスみたいなやつじゃなければね」
「じゃあ、この安心感は10%切りますね」
「えっ?どっちかがサイコ野郎なのかい?」
「二人ともです」
ジムの自動ドアが開いた。
「おい、黒崎!いるのか?」
「安心がやって来たぜ。いるよ、岩田さん。奥だ!」
短髪のオールバックで四角い顔で、四角い体つきのガッチリとした中年男が入ってきた。
「おう、みんなで飲んでるのか?今日は暑かったから、俺も喉がカラッカラだな。ビール、俺の分もあるのか、石堂さん?」
「あるよ、岩政。金次郎、刑事さんにビール、出してやれ」
黄色いジャージの男が冷蔵庫へ走った。
「黒崎、この子らが今回の立役者か?」
「ああ、元ナンバー2だったケイ事、花房慶次朗君と、今もあの店で働いてるルミー君だ」
「そうか…今回はありがとうな。俺の手柄になるよ。俺は新宿東署捜査一課の岩田政男だ。黒崎の警察時代の二年先輩だから、もうじき定年だけどな」
「岩田さん、まだ数年あるでしょうよ。還暦が近いのはあっちにいる石堂さんの方っすよ。石堂さんも、元警察官で、岩田さんの一年先輩なんだ」と、黒崎が黄色いジャージが持ってきたキンキンに冷えた缶ビールを岩田に渡しながら言った。
岩田は、すぐに開け、一気に飲み干した。
何だ、この人たちは?
いつの間にか、空き缶がフロアに散らばっている。
岩田は新しいビールをよこせと黒崎に手で示した。
「で、岩田さん。こないだもお願いした通り…」黒崎は新しいビールを渡しながら言った。
「ああ、分かってるよ。金木とメロウってヤツから、この二人を守ればいいんだろう?」
「出来るのか?今聞いたところだと、二人ともサイコパスみたいなんだが?」
「サイコ?ヤツらはサイコなんかじゃねえよ。本物のサイコは金じゃ動かねえ。ヤツらは金で動き過ぎる。だから、京極会と話をつけときゃ、恐らく大丈夫だ。もし、何か起きたら俺も動くしな」
「なるほど、確かにサイコ野郎が金に執着心を見せるなんてな事はあり得ないよな。じゃあ頼んだよ。岩田さん」
「頼むのはいいけどよ。借りは返せよ。俺は深夜残業までしたんだぞ。腹が減った」
「何が食いたい?」
「エビだな」
「赤坂だな?」
「そうだ」
「石堂も行くか?」
「赤坂でエビチリか…いいねえ。うちのリムジンで行こう。島野君も行くだろう」
いつの間にか、島野は寝ていた。
黒崎が起こして、「エビチリ食うか?」と訊いたら「お腹いっぱいになるまで」と答えた。
「しょうがねえなあ。島野は最近忙しいのか?」と、石堂が黒崎に訊いた。
「ああ、あのロリータ少女殺人事件で有名になってから、オーバードーズで相談に来る若い子が増えてるらしいからな。まあ、食べるって言ってるんだから、おんぶしてでも連れて行こうぜ。それで、花房君とルミー君はどうする?」
「俺は帰ります。姉ちゃんの息子が心配なんで…」と、慶次朗は答えた。
「俺は行ってもいいっすか?」ルミーは控えめに言った。
「花房君は帰る。ルミーは来る。車は運転手も入れて6人だ。じゃあ、ここを出ようか」
「あの黒さん、俺、お願いがあります。俺をどっかで雇ってもらえないでしょうか?」ルミーは控えめを継続しながら言った。
「何だ、あの店を辞めるのかい?」
「そうっす。レイが仕切る店が嫌だし、メロウが帰ってきたら、今回の件で俺が何かやったっていうのはすぐにバレるだろうし…大体、あの店、ケイさんがいなくなったらなんか陰気で、嫌なんですよ」
「あんた、経理できるんだろう?じゃあ、うち来るか?」と、石堂が言った。
「えっ?いいんすか?」
「ああ、メロウが言うように、あんたがやってくれたら会計士や税理士に頼まなくてもいいんだったら、俺が雇ってやるよ」
「あっ、いや、それは、メロウが脱税するために俺に言った事で…」
「冗談だよ。俺が刑事のいる前で脱税する話をする訳ないだろう?如何に岩政と言えどもよお。まあいいよ、うちに来なよ。報復が怖いなら、ここで寝泊まりしてもいいよ」
「ええ、いいっすか?マジ、助かります」
「もういいかい?俺は腹が減って唸りそうになったぜ」と、岩田が割って入った。
「大丈夫だ。出かけよう」
みんなでジムを出た。
慶次朗はバイクを止めてあるクラブMの近くまで歩く事にした。
他のみんなは、ビル前に止めてあったアルファードに乗り込んだ。
慶次朗は、ちょっとだけ羨ましかった。
エビチリが好物だからだ。
