見出し画像

【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ㉞~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。


慶次朗は、ずっと山野辺の横に座っていた。
山野辺はマスクをしていて、顔つきは分からなかった。
山野辺の周りにある機器は、規則的に発信音を立てていた。
普段なら、その音で寝てしまうところだが、慶次朗は寝る事はなかった。

3:40

まだ、夜明けまでは時間がある。

執刀医からは、明日のうちに山野辺が意識を戻さなければ、色々と覚悟を決めないといけないと言われていた。
とにかく、身体中を巡る血液が圧倒的に不足していた時間が、少々長すぎた。
「死」「脳死」「意識障害等の後遺症」の順番に、リスクは隣りあわせだった。


どうして…


慶次朗は、同じ事を考え続けていた。


どうして…


慶次朗は、親に捨てられ、施設で育ったし、決して普通の環境では育たなかった。
成人してからの仕事はホストで、昼夜が逆転する暮らしを何年も続けた。

「普通の生活」というヤツには、全然縁がなかった。

でも、これまでの人生の中で、慶次朗は身近な人間が殺されるという経験はなかったし、人が人を殺す場面に居合わせた事もなかった。
勿論、拳銃なんて見た事もなかった。


それなのに…


恵美姉が殺されてからというもの、慶次朗の周りにはあまりにも「死」がつきまとい過ぎた。

金、プライド、欲…



そんなんで、人は簡単に死んでいった。

山野辺だけは死なせたくない。

慶次朗は、山野辺の目が開く事を願って、静かに座っていた。




「慶ちゃん!起きなよ!」

えっ?

寝ていた。

5時までは、起きてたのを覚えてる。

今は、8時20分。

山野辺を見た。
少しも変化はなかった。

「慶ちゃん、社長、大丈夫?」

意人が慶次朗に身体をくっつけて言った。
意人の後ろには深雪がいた。

「慶ちゃん…社長…」

深雪は、目に涙を一杯溜めて言った。

「ミュー、泣くのは違うよ」

慶次朗は、自然にミューと言えた自分に少し驚いた。

「そうね。でも、寝てる社長が可哀そうで…」

意人は、山野辺の指を握り、腕を振った。

「社長、もう朝だよ。早く起きて!」

山野辺の眉がピクリと動いた。

「意人ちゃん、今、何時だ?」と、山野辺が目を閉じたままで訊いた。

深雪の涙は溢れてしまった。
慶次朗は、深雪を抱き締めた。
意人は、山野辺の身体の上に乗り、全身で山野辺を抱き締めた。
前に慶次朗もやられたヤツだ。
ひょっとすると、意人はいつもこうやって人を起こしてるのかもしれない。

山野辺は「意人は、あったけえなあ」と、言った。




いいなと思ったら応援しよう!