【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ㉕~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
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9月になった。
意人は、朝から元気よく学校へ出かけた。
今日は、慶次朗の定期診察の日だった。
病院へは、深雪が自分の軽自動車で連れて行ってくれた。
慶次朗が、医者から運転を止められているので、自分のバイクで行く事ができなかったからだ。
慶次朗は、深雪に迷惑をかける事を心苦しく思い、そう伝えると、深雪は今日の配送のシフトから離れて、病院に着いた後は、待合でずっとスマホでゲームをしてられる事を喜んでいると言った。
診察と検査を終え、午後2時過ぎに、二人は病院を出た。
残暑の午後の太陽が、真上から二人に照り付けた。
「慶ちゃん、この後、予定ある?」
「意人は、今日は水泳教室だから、竹内さんが送り迎えしてくれてるんで、夕方5時までに帰れば大丈夫だ」
「じゃあ、海行かない?」
「海?」
「そう。海でかき氷食べよう。私、早く帰ったら洗車の手伝いしないといけなくなるから。ねえ、お願い!」
「分かった。今日はサボろう」
二人は車に乗り、海を目指した。
深雪が言う「海」は、お台場海浜公園だった。
ここには海の家なんかはなく、二人はコンビニで、かき氷を買って、砂浜へ来た。
午後3時の海は、少しだけ太陽の威力が衰えているように感じたが、それでもうだるような暑さである事には変わりなく、買ってきたカップのかき氷は容器の中で半分溶けかかっていた。
二人は砂浜に座ってかき氷を食べようとしたが、砂が熱くて座れず、二人は立ったままで、さっさとかき氷を食べ終わり、速攻で、エアコンの効く車に戻った。
深雪が先に車に戻り、エンジンをかけ、エアコンを最大にした。
慶次朗は途中の自販機で冷たい飲み物を買ってきた。
慶次朗は少し遅れて車に戻ると、助手席に乗り込んだ。
すると、慶次朗の目に、池田の車の助手席に乗り込んだ時の景色がフラッシュバックされた。
慶次朗は、身構えた。しかし、その景色はすぐに目の前から消えてくれた。
「慶ちゃん、大丈夫?」
最近では、深雪も意人に倣って、慶次朗の事を慶ちゃんと呼ぶようになっていた。
「ああ、何とか…」
「すぐに帰る?」
「いや、落ち着くまではもうちょっとここで静かにしていたい」
「分かった」
慶次朗は、買ってきたペットボトルのお茶の一本を深雪に渡し、自分の分のお茶のキャップを開け、一気に飲んだ。
半分ぐらい飲んだ後、慶次朗は目を瞑り、休んだ。
深雪もお茶を飲み、慶次朗を見守った。
30分ぐらいすると、慶次朗は徐々に落ち着いてきた。
「深雪ちゃん」
「ミューでいいよ。みんなと同じで…」
「それって、何度か言われてるけど、中々言えないな。意人以外に深雪ちゃんの事ミューって、呼ぶ人見た事ないし。誰がミューって呼んでるの?」
「私の高校の時の友達全部と、会社では意人。あっ、それから恵美さんも」
「恵美姉も?」
「そう。恵美さん、ミュー、ミュー、猫みたいって言ってくれてた」
「そうか。じゃあ分かった。僕も、呼べるようになったら、君の事ミューと呼ぶよ」
「分かった。それで何?」
「何って?」
「何か私に訊きたい事があったんじゃないの?」
「ああ、山野辺社長の事なんだけど…」
「社長がどうしたの?」
「俺さあ、思いがけずに山野辺さんのところに厄介になる事になったじゃん」
「うん」
「恵美姉が死ななきゃ、俺は山野辺さんと、ここまで深く関わり合う事もなかったんよ」
「まあそうだろうね。それで?」
「いや、俺、あの人の事、疑っちゃうんだよね、いつも。何であの人、あんなに良い人なんだ?ってね」
「どういう事?」
「だってさあ…恵美姉は、赤の他人だぜ。恵美姉の旦那の栄作さんだってそうだ。他人なのに、二人が死んだら、あんなに悲しんでくれて…墓にまで入れてくれて…俺だってそうさ。確かに、俺は恵美姉の弟だよ。でも、俺にまで良くしてくれなくてもいいじゃねえか。赤の他人だぜ。意人だってそうだ。あの人、意人が可哀そうだから自分が後見人になりたいんだが、お前、どう思うって、会って間もない頃に、俺に訊くんだ。俺、勘ぐっちゃって…意人をこの人は横取りしようとしてるとか…でもさあ、普段の山野辺さんを見てると、とても悪い人のようには思えないんだよなあ。でも、あの人、俺らを騙そうとしてるんじゃねえかって…赤の他人の俺らの事を…」
「家族だと思ってるからじゃないの?」
「家族?」
「社長はさあ、15年前に奥さんに出て行かれて、その時、娘さんの望さんはまだ高校生で、望さんグレちゃって…クスリとかやって…補導された事もあるみたい。で、クスリが不味くて、入院したりしたみたいなんだよね。私はよく知らないんだけど…それで、そんな望さんを救うために、社長は奥さんを捜しまわったらしいんだけどね。見つからなくって…で、病院から帰ってきた望さんはあんな引き籠りの状態になってしまって…社長はさあ、自分の家族は、普通の家族になりたかったんだよ。でも、うまくいかなくてさ。だから、他人もどんどん家族にしちゃうんだと思う」
「そうなのか…」
「そうだよ、きっと。うちの会社さあ、食堂、あんじゃん」
「あるね」
「あんなん、やってるの、うち規模の会社じゃ、他にないんだよ。うちさあ、一見、スゴイ沢山社員がいるように見えるじゃん」
「ああ、見える」
「でもねえ、本当は社長を入れて、たった9人の会社なの。正社員は社長の他は8人だけ。それもその中に慶ちゃんも望ちゃんも入ってるから、実際は6人。私と竹内さんと、前に会った事がある柳原さん、それに大塚さんと、山本さんと、木塚さんっていうドライバーの人。それぞれ、担当が分かれてて、柳原さんは九州、四国、大塚さんは近畿と東海、山本さんは北陸と東北の日本海側、木塚さんは茨城から上の方ってね。うち、水槽が載ってるトラックで、鮮魚を運ぶからベテランドライバーばかりで、だから、正社員が少ないの。後のうちの制服着てる人は、パートナーって呼んでるフリーのドライバーの人たちで、その人たちは私と同じような都内周辺の軽貨便をやってて、うちから出て、大手の宅配便会社の仕事で都内で荷物運びをやってる。全員、フリーで歩合制なんだけど、社長は、その人たちも、食堂ではごはん食べさせて、人によったら、仮眠所を使わせたり、シャワーを浴びさせたりしてるんだ。それも、全部無料でね。そんなん他じゃないんだよ」
「だから、俺も最初に会社に行った時に、仮眠所に泊めてくれたのか…」
「そうだよ。社長はさあ、自分の家族で失敗したから、何とか取り返したいんじゃないかなって、私は思ってるんだ。社長がさあ、あんな風に会社やってるところ、絶対に望さんは見てるはずだもんね。いつか、望ちゃんも自分を取り戻してくれるはずって、思ってるんだと思うよ」
「そうか…」
「後、慶ちゃん、私から一つ注意しておく」
「注意?」
「あんたねえ、赤の他人、赤の他人って言い過ぎだよ。他人だったら、私も仕事、休んでまであんたの病院まで付き合ったりしない」
「ええ…まあ…俺は…」
「俺は、何?」
「恵美姉と離れてから、ずっと一人で生きてきたから…俺、家族とか知らないし…」
「私だって、そうだよ。私さあ、親父がクソで…酷いネグレクトで…今は小さくなったけど、昔は水着も着れないほど、身体中痣だらけで…社長が助けてくれたんだ」
「そうなのか…」
「そう。この話はもうおしまい。よし、じゃあ帰ろう。もう4時過ぎちゃう。意人より遅くなると、意人に怒られちゃうもんね」
「それはヤバいよ」
深雪は車を出した。
左に曲がる時、車のサイドウインドウに、オレンジの光が反射した。
暑くても、日の傾きは、秋の始まりを感じさせた。
