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【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ④


本部会の後、私は立て続けに三本のミーティングをこなし、13時過ぎに自分の部屋に戻ってきた。自室のドアを閉める前に、CR本部のフロアを見渡すと、宮西が席に一人でいるのを見つけた。

私は部屋には入らないで、真っ直ぐに宮西の側に行き「メシ、食った?」と訊いた。宮西は「まだだ」と答えたので、一緒に出掛ける事にした。

会社ビルの玄関ロビーで、「どこへ行く?」と、宮西が訊いた。
「急ぐ?」
「いや…」
「じゃあ6丁目だな」
「えっ?この時間じゃあ、キスフライはもうねえぞ」
「いいさ、お前と二人で昼飯食うんだもん。懐かしいところへ行こうぜ」


宮西理は、私の同期だ。

彼は今、動画CMのチーフディレクターをやっている。
私が現場でディレクターをやってた時、彼はいつも私のライバルだった。
彼にも、何度か管理職になる話があったそうだが、彼は断りクリエイティブの現場で働く事を選択している。

私たちは、30代の頃、昼飯を一緒に食えるタイミングがあれば、ほぼ必ずと言ってもいい程、銀座6丁目の路地裏にある小さなとんかつ屋へ通った。

最初に、その店を見つけたのは宮西で、12時から先着15食で、キスフライ定食が食べられるという事だった。

キスは、揚げ物なら天ぷらだろうと思ってたのだが、宮西に唆されて、いっぺんキスフライを食べてみると、私はたちまちキスフライが大好きになった。

それからは宮西と一緒に、11時45分までに昼飯を食いに会社を出られるタイミングがあれば、必ずキスフライを食べに行った。

先着15名と言ったが、そもそもその店はとんかつ屋であり、とんかつを目指してくる人も多いので、12時までに店につけば、大体キスフライにありつける。ただ、東銀座から銀座6丁目は、少々遠いので、徒歩の移動時間として15分は見ないといけない。だから、11時45分なのだ。

私が管理職になってからは、宮西と昼飯を食うチャンスは激減し、私はもう3年はキスフライは食べていない。
今日だって、13時過ぎの今からキスフライにありつける訳はない事は分かっている。
でも、宮西と一緒に昼飯を食うのであれば、あの店に行きたい。


私たちが店に着くと、時刻は13時半を少し過ぎていた。
この店は、昼だけの営業で、しかも14時閉店のため、13時45分にはオーダーストップになってしまうから、ギリギリセーフだった。

古ぼけた引き戸を開けると、案の定、他に客はおらず、店主が一人カウンターの中で角に吊ってあるTVを見ていた。

「いらっしゃい。あれ、宮西さん、久し振りじゃねえっすか?そっちは、ひょっとして、鵜塚さん?これはこれは、お懐かしい」

店主は気さくな爺さんで、私たちの事を覚えてくれてたみたいだ。

「久し振りかなあ…そうそう、この前来たのは年末だったなあ。親父さん、あけましておめでとうございます」

そう言いながら、宮西はカウンター席に座ったので、私はその横に座った。

「僕はもう三年以上来てないんですよねえ。ホント、お久し振りです。今日はもうキスフライはないですよね?」
「それが一人前だけ、残ってるんだよな」

「じゃんけんだな」

私と宮西は、こんな時は恨みっこなしの一回勝負のじゃんけんで決めていた。

「いやいやいや、そこは取締役が…」
「バカ野郎。こんなんに役職は関係ねえだろう。行くぞ!」

私たちはじゃんけんした。

私は負けた。

「じゃあ、宮西さんはキスだね。で、鵜塚取締役はどうする?」

と、カウンターの中から、親父さんがお茶とおしぼりを手渡しながら言った。私と宮西はそれを順番に受け取った。

「親父さんまで止してくれよ」
「いや、さっき話してるのを聞いてさあ、腹落ちしたんだ。何かさあ、スーツなんか着ちゃってるから、調子狂っちゃったんだけど、突っ込まずにいたんだ。鵜塚さん、マジで取締役なの?」
「一応ね。まあ、いいじゃない。僕はアジフライをもらいたいんだけど?」
「あいよ。キスとアジね。すぐに揚げてくるから、待っててくれ」


親父さんは、カウンターの奥の厨房に引っ込んだ。


「なあ鵜塚、いっぺん訊こうと思ってたんだが…」
「何だ?」
「お前、現場のクリエイティブ作業に未練はないのか?」
「いや、まるでないとは言えんが、何でだ?」
「善処だよ、善処」
「ああ、今朝の本部会の事か…」
「そうだ。CMディレクターでバリバリだった頃、お前はあんな言葉使わなかったぞ。白か黒か、みたいに何でもバッサリいかないと気が済まないってな感じで」
「若気の至りだよ。俺も良いように大人になったんだ」
「嘘つくなよ。本当は役員のお歴々に上からデッカイ漬物石みてえな石で頭押さえつけられてるんだろう?」
「まあな、仕方ないよ。俺は役員の中で一番若いし、一期目だしな。役割として割り切ってるよ」
「そんなん止めちまって、「ギョギョっと」みてえなCMを自分で作って、ヒットさせたらどうだ?」
「いやあ、今更無理さ。「ギョギョっと、ギョーザ」は、斎藤君に渡してしまったし、第一、娘との約束も破れないしな」



「ギョギョっと」とは、「ギョギョっと、ギョーザ」という、私が作った餃子の冷凍食品の商品名であり、CMのキャッチコピーである。


このCMは、宇都宮にあるKU食品という小さな食品メーカーが、初めて全国展開した商品だ。
KU食品は、主に業務用や外食用の商品を作る会社だったのだが、コロナ禍に遭い、かなりのダメージを受け、会社倒産待ったなしというところまで追い込まれた。
社長の上田耕平は、傾いている会社の業績を立て直すべく、宇都宮と言えば「餃子」とイメージであるため、冷凍餃子の一般販売に打って出た。

その餃子の販売促進計画から広告計画までをうちの会社が手掛けた。

KU食品は、普段商品広告を頻繁に打つ会社ではないのだが、うちの親会社である日葉新聞社が年一回やっている「北関東の有力企業」という広告企画に出稿してもらっている関係で、うちの会社とはもう10年以上の付き合いがあった。そのお陰でKU食品が社運を賭けて挑むその冷凍餃子一般販売プロジェクトの販売促進計画をうちが立案・実施する事になったのだ。そして、そのクリエイティブを私が担当した。私は小枠広告を出稿していただいていた時からずっと、KU食品の広告原稿を制作してきたからだ。

私は、「ギョギョっと、ギョーザ」とネーミングし、それに合わせたCMプランやポスターやPOP等店頭でのセールスプロモーションプランを提案した。

KU食品の社長上田耕平は、私のプランを気に入り、即採用された。

「ギョギョっと、ギョーザ」の一発目のCMは、放送を始めてすぐにバズった。

それがトリガーになり、商品自体も初年度から爆発的に売り上げを伸ばす事が出来た。
上田社長は喜び、それからずっと「ギョギョっと、ギョーザ」のクリエイティブは私を指名してきた。それ以来、私が局長になる三年前まで、「ギョギョっと、ギョーザ」のクリエイティブは、私がずっと担当し続けた。

私は自分が担当していた五年間で、「ギョギョっと、ギョーザ」のCMを沢山作り、数ある国内の広告賞を何度か受賞した。CMの効果もあり、商品の売上も右肩上がりで伸び続けた。

お陰で、私は着実に出世し続け、部長を二年、局長を一年やった後、去年取締役CR本部長になった。



間もなく、私たちの定食がトレイに載って、供された。


会話が途切れた。


私は、アジフライにウースターソースをたっぷりかけた。
宮西は五尾あるキスフライを三と二に分け、三の方に塩を、二の方に醤油をかけた。そして、二人同時に食べ始めた。



暫く無言で食べていたが、不意に宮西が中断していた会話を再開した。


「そうかあ、娘な。そう言えば、お前、そんな事言ってたなあ。娘がお前にビジネスマンみたいな恰好で仕事に出掛けて欲しかったんだったよな」
「そうなんだよ。俺は局長になるまでビジネススーツなんて持ってなかったからな」
「そりゃ酷いな。俺でも、夏一着、冬一着ぐらいは持ってるぜ」
「ホントか?お前が?」
「俺、クライアントに公共機関を沢山持ってるだろう。コンペの時にはスーツ着たくなるんだよ」
「なるほどな。俺には、そんな堅そうななクライアントはなかったもんな…」
「でも、堅そうな娘がいる」
「うちは、娘だけじゃねえんだよ。かみさんの方がよっぽど堅物でな。実家が青葉台の高級住宅地にある一軒家だし、彼女自身が金持ちしか行けない私立の女子校で中高大とエスカレーターだったから、ちょっとは上流志向があるのかなとは、思ってたんだが、これがなかなかでな」
「すごいのか?」
「むちゃくちゃ上昇志向が強いんだ」
「奥さんがそれで、娘も同じように考えるんじゃ、お前、大変だな」
「分かってくれるか?」
「分かる訳ねえだろう。俺はバツイチだぜ」
「そうだな。お前は再婚しねえのか?」
「そりゃ無理だな」
「何でだ?」
「俺は、そんな目に遭いたくないからだよ。おい、お前、食うの遅いな。俺、次の打ち合わせが三時からだから、先に出るぞ。キス、一匹残したから、お前、食ってくれ」

そう言って、宮西は先に勘定を済ませ、出て行った。
私たちはいつも割り勘だからだ。

私は、宮西の皿にある最後のキスに皿に手つかずで残っていたタルタルソースをかけ、その上から醤油を少し垂らして食った。

私はこの店のキスフライをこうして食べるのが好きだ。

宮西は私もキスフライが食べたかったんじゃないかと察して、一尾だけ残してくれたのだろう。

三尾とも塩をかけたように見えたのだが、宮西は、この一尾には何もかけてなかった。


私も食べ終わり、自分の分の支払いを済ませ、急いで会社に戻った。



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