夏目漱石「三四郎」23 三四郎の父親は広田先生?野々宮父?
夏目漱石の小説「三四郎」、明治41年(1908年)連載。
この話の主人公:小川三四郎の人物設定について確認しています。
前回は「度胸がなくて子供の時から損ばかりしている」と。
その続き。
1、料理が得意?
何十回も「三四郎」を読んでいるのにいまさら気が付いた。
三四郎は普通に包丁を扱える。しかも人の家の。
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。(略)手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。
(略)
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
私は包丁が怖くて扱えないため、余計にここで三四郎がさらりと包丁を持ってきたことに驚いた。
しかも場所は広田先生の家である。他人、それも目上にあたる人間の家の包丁でも普通に扱えるのか。
そういえば三四郎は野々宮宗八に「ひめいち」という謎の魚の調理法も説明していた。
意外にも三四郎は「美味しんぼ」の海原雄山のように、自らで調理するタイプのグルメなのか。
「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」
「ええ赤い魚の粕漬けなんですがね」
「じゃひめいちでしょう」
三四郎はつまらんものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。
2、実家は迷信深い
三四郎本人は新時代の青年として都会での成功+美女との結婚を夢見ているが、九州の実家は迷信深い。
じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。
三四郎の母が「三輪田のお光さん」との縁談を勧めるのも、お稲荷様のご託宣があったのだろうか。
あるいは三四郎も、私が読み落としているだけで実は迷信深いのだろうか。
3、三四郎の父親は?
3(1)高校時代には亡くなっている
上で引用した「十一」の、熊本高等学校時代の母からの電報。
熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで
ここで「母の病気に違いないと思い込んで~」とある。
換言すれば、父の病気とは思わなかった、と。
すなわちこの時点で、既に父親は亡くなっていたのだろう。
「君はたしかおっかさんがいたね」
「ええ」
「おとっさんは」
「死にました」
「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」
小川三四郎の父親は、この「死にました」の一言だけで片付けられている。
この一言以外には、小さい頃の思い出とか、亡くなった時の描写とか、死因はなんだったのかについても、まったくなに一つ、父にはふれられていない。本当にまったくなにもふれられていない。
3(2)父の可能性がある男達
いま勝手に想像した。
もし「三四郎」の登場人物もしくは存在がふれられている人物に、実は小川三四郎の父親であり得る人間は、どれだけいるだろうか。
とりあえず野々宮宗八は三四郎が二十三歳と聞いて、「ぼくより七つばかり若い」(二)としているからなし。その野々宮宗八から呼び捨てで呼ばれている画家の「原口」や、野々宮と「同年の卒業」(五)である、美禰子のすぐ上の兄:里見恭助もなしとする。あとさすがに学生の佐々木与次郎はないであろう。
するとあり得るのは以下の男達だ。
・広田先生(広田萇(ちょう))
・・・年齢の明記はないが、「男はもう四十だろう」(一)とされている。一応あり得る。
この妄想をしてみると、一つ解決するネタがある。
三四郎が上京する汽車に、なぜか名古屋から広田が乗り合わせ、さらには社交的人物とも思われない広田が、初対面の三四郎にあれやこれや語り掛けている。
これは、息子が上京すると三四郎の母なり誰かなりから連絡が広田に入り、あえてその汽車で待ち受けていた、という可能性もあるのでは。
・亡くなった里見長男(下の名不明)
・・・広田先生の「お友達」であったと。同世代と考えれば、これもあり得る。
(しかし広田と同世代ということは、里見長兄と美禰子とは、間に恭助がいるとはいえかなり年の離れたきょうだいとなる)
そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」
もし、里見長兄が三四郎の父親であれば、三四郎と美禰子とは「甥-叔母」の関係となる。
ちなみに歴史上有名な夫婦でいえば、奈良の大仏建立で知られる聖武天皇-光明皇后夫妻が、「甥-叔母」の関係である。光明皇后の父親が藤原不比等。聖武天皇の祖父も藤原不比等。
・野々宮宗八・よし子きょうだいの父親
・・・作中に野々宮母は一応登場するが、父についてはその存在は語られるものも、姿は見せない。
これも妄想してみると、ネタが二つ、説明可能になる。
・三四郎の母が、三四郎自身は全く知らない野々宮宗八について、上京したらその人を訪ねろと指示したこと
・野々宮よし子が、三四郎と妙に親し気で終盤には一人で三四郎の下宿に見舞いにもくるほどだが、なんとなく異性としての恋愛感情はあまりないように思える。異母きょうだいだと知っているから?
国元の母から手紙が来た。(略)勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八どのと書いてあった。
ここで「勝田の政さん」と小川家との関係性が不明であるが、なんとなく遠い親戚のようである。
しかし、あらためて考えたら先述のように三四郎は野々宮宗八の存在をまったく知らなかったようであるし、手紙の書きようからは、母も野々宮の名前を覚えていなかったようである。
そのような関係性の相手に、いきなり「万事よろしく頼むがいい」としているのである。
もしかして、ここは夏目漱石がなにか仕込んでいるのだろうか。
とりあえず、今回はここまで。
三四郎の父親が、広田先生である可能性・野々宮父である可能性、それぞれまた考えてみたい。
