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夏目漱石「三四郎」22 度胸がなくて小供の時から損ばかりしている

夏目漱石の小説「三四郎」、明治41年(1908年)連載。

これまでこの「三四郎」の登場人物たちについて、佐々木与次郎は格が落ちる?「選科生」であったことや(三四郎は「本科生」)、ヒロイン里見美禰子は一部界隈で有名人であること等を、確認してきた。


しかし、肝心の主人公:小川三四郎を忘れていた。

今回は三四郎の人物設定を確認します。



1、23歳、本籍?福岡県


序盤、名古屋の宿屋で、宿帳に三四郎はこう記した。

 三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女のところへいってまったく困ってしまった。

(「一」)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

ここで語り手が、「正直に書いた」としていることから、少なくとも三四郎の主観では23歳であることは間違いないのだろう。
福岡県京都郡~」が、住所なのか本籍地なのかわからないが、まさに上京している途中でどこの住所を書くか迷ってはいないところをみると、本籍地であろうか。


しかし普通に「三四郎は~~~と書いた」だけでよさそうなところを、語り手はわざわざ「正直に」と記している。

三四郎が、「正直に」書こうかどうか迷っっていた、ということだろうか。
見知らぬ女といきなり宿泊し、ちょめちょめする(かもしれない)夜に、正直に自身の素性を書くのは少しはばかられたと。

それを明記はぜずに暗に示しているのか。



2、熊本の高等学校卒業→東大の文科に入学

汽車が名古屋駅を出発し、車内で三四郎は、後に広田先生とわかる中年男性と会話する。

「じゃ熊本はもう……」
「今度卒業したのです」
「はあ、そりゃ」と言ったがおめでたいとも結構だともつけなかった。ただ「するとこれから大学へはいるのですね」といかにも平凡であるかのごとく聞いた。(略)
「科は?」とまた聞かれる。
「一部です」
「法科ですか」
「いいえ文科です

(「一」)

文部科学省サイトによれば「当時の帝国大学における分科大学は、法科大学・医科大学・工科大学・文科大学・理科大学の五つであった。」と。
「三四郎」の登場人物であれば、野々宮宗八が理科、里見恭助が法科の卒業だ。



3、実家は大地主?

三四郎の九州の実家は、なかなかの規模の地主と思われる。
母との手紙のやり取り。

母に言文一致の手紙を書いた。――(略)今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。
(「三」)
母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。(略)
 新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。(略)
――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学を卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もある
(「四」)

三四郎の実家のみならず、「三輪田のお光さん」の家も、なかなかの地主のようだ。
三四郎と三輪田のお光さんとの縁談には、両家の「政略結婚」の要素もあるのだろうか。読んだ感じではお光さんは普通に三四郎を好きらしくはあるが。


4、色黒

広田先生の引越し先で、ヒロイン:里見美禰子や佐々木与次郎らも含めた文学談義。

「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」
「英国の閨秀作家だ。十七世紀の(略)ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが」(略)
 オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。(略)
「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。
「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」
黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」
「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、
「書いてもよくって」と聞いた。

(「四」)

ここで里見美禰子も「口の悪い」とたしなめつつ、三四郎が色黒なこと自体は特に否定していない。


5、意外と酒好き

イメージにはないが、三四郎はよく酒を飲むようだ。

 三四郎は熊本で赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である。熊本の学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフとフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ

(「六」)

美禰子に告白して完全スルー+ため息でかわされた日も、三四郎は酒を飲んだのだろうか。


6、運動は好きではない


 三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕(ボートきょうそう)の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授が鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。

(「六」)

ここで「ボート」が出て来たのを唐突に感じたが、これは漱石の趣味らしい。
どうしてもコテコテの文系の文学者なイメージの強い夏目漱石だが、器械体操・弓道・ボートもそれぞれ楽しんでいたと。


7、度胸がなくて小供の時から損ばかりしている

三四郎は、度胸がない、らしい。

また母の手紙である。(略)
 お前は子供の時から度胸がなくっていけない度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。

(「七」)

この母の手紙から思い出させる描写が、2つある。

1つは「三四郎」の序盤、「汽車の女」が名古屋駅で別れ際に残した台詞

三四郎は鞄と傘を片手に持ったまま、あいた手で例の古帽子を取って、ただ一言、
「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、
あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。三四郎はプラットフォームの上へはじき出されたような心持ちがした。

(「一」)

初対面の正体不明な女
・「あなたはよっぽど度胸のないかた
母親
・「お前は度胸がなくっていけない

このように母と、見知らぬ女のそれぞれから、三四郎は同じ指摘を受けてしまった。

もう一つ思い出したのは、むしろ逆の方向を示すフレーズである。
漱石の他作品「坊っちゃん」明治39年(1906年)の有名な冒頭

 親譲りの無鉄砲小供の時から損ばかりしている。

(「坊っちゃん」一)

・坊っちゃん
無鉄砲で小供の時から損ばかりしている
・三四郎
子供の時から度胸がなくてたいへんな損


無鉄砲でも、損ばかり
度胸がなくても、たいへんな損


まるでこのまんま、21世紀の男たち・令和の男たちにもあてはまりそうなフレーズだ。


「行動しなければ損でしかない」、しかし「行動をしても損ばかりする可能性が高い」。
夏目漱石は「坊っちゃん」と「三四郎」とで、男の悲哀を表していたのか。

(小川三四郎の人物設定の確認、続ける予定です。)


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