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夏目漱石「三四郎」19 本郷文化圏の上下関係/与次郎は三四郎より格下

夏目漱石の小説「三四郎」、明治41年(1908年)連載。

この小説に出て来るインテリ男性6人(1人は名しか出てこないが)、小川三四郎、佐々木与次郎、野々宮宗八、広田萇、原口、里見恭助らの世界を「本郷文化圏」と称するそうだ。

最近、その本郷文化圏の上下関係が気になって確認している。

今回は、主人公の友人にして帝大生・佐々木与次郎を確認したい。


1、佐々木与次郎のプロフィール

1(1)初登場時

与次郎は「ポンチ絵」の男として登場する。
(ポンチ絵=面白く書いた絵。マンガの原型の一つ)

午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。(略)隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。(略)
 講義が終ってから、三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。(略)さっきポンチ絵をかいた男が来て、
「大学の講義はつまらんなあ」と言った
。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができないのである。しかしこの時からこの男と口をきくようになった。

(「三」)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

久方の 雲居の空の 子規(ほととぎす)」
直訳すれば、「高い高い 高い空に ホトトギスがいる」だろうか。

「三四郎」は1908年の連載。1902年に死去した漱石の親友・正岡子規へのオマージュだろうか。

1(2)与次郎は「選科」、三四郎は本科

 昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。(略)赤門をはいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。

(「三」)

ちなみに「選科」とは、規定の学課の一部のみを選んで学ぶ課程。図書館の利用などに関して制限を受け、修了しても学士号は与えられなかった。
入学後に専検や高検に合格すれば本科に転じることが認められた
と、ウィキペディア写しで書いておく。

与次郎は三四郎に対して基本上から目線だが、学生としては三四郎よりも格下だったのである。
それでこの言い回しがあったわけか。
終盤、与次郎が書いた広田先生を称賛する論文が、三四郎の作だと新聞に書かれた時

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。(略)その門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、(略)
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから、
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。

(「十一」)

私が読んだ印象ではわからなかったが、与次郎は自身が三四郎よりも格下であると、実は意識していたのか。

また、ウィキペディアの「選科生は図書館の利用にも制限を受けた」というのを見た後だと、この意味がわかったような気になる。

高等学校の前で別れる時、三四郎は、
「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は
これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言で三四郎ははじめて図書館にはいることを知った
(略)
三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎を図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である
「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。

(「三」)

(しかし、三四郎のみならず小説の語り手も、与次郎が選科だから図書館利用に制限があるとはふれていないのは・・・・?)


1(3)都会生まれ?の24歳?

与次郎は、九州出身の三四郎を田舎者呼ばわりしている。

与次郎に向かって、どうも近ごろは講義がおもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。
「講義がおもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。」
(略)
 丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、
「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎は簡単に、
ぼくは二十三だ」と答えた。
「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、
「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。
「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」

(「四」)

「三四郎」は、明治41年(1908年)の連載である。
仮にであるが、物語中の時間も明治41年であるとする。

ここから佐々木与次郎の年齢を推測する。
明治十五年以後に生まれた」このフレーズからは、与次郎は明治16年~19年の間の生まれと思われる。
なぜならもし明治15年生まれであれば「以後」が余分であるし、明治20年かそれ以降の生まれであれば、「明治二十年以後に生まれた」と言うであろうから。

41-16は25、41-19は22 である。
つまり、佐々木与次郎は、22歳~25歳であると。

1(4)色黒ではない

「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。
「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」
「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから

(「四」)

1(5)顔は扁平(へんぺい)

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。(略)しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。

(「六」)

「扁平」-平たく高低が少ないさま

1(6)里見恭助より格上?

「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」
「どこへ」
「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。

(「八」)

前の記事でもこの与次郎の「里見」呼び捨てには少しふれた。

そこに先ほど確認した、与次郎は「選科」-三四郎よりも学生として格下、これを踏まえると益々不自然になる。
かたやちゃんと法「学士」の肩書を持っており、おそらく年上と思われる里見恭助を、同輩か格下のように呼んでいる。

やはり、「里見」家は、外国人の父親から、金だけ与えられて捨てられた子ども達なのか。


1(7)大きな坊主頭

三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。

(「十一」)

1(8)三四郎より年上?

とうとう焦れったくなって、与次郎に、美禰子に関するすべての事実を隠さずに話してくれと請求した。与次郎は笑いだした。そうして慰謝のためかなんだか、とんだところへ話頭を持っていってしまった。
「ばかだなあ、あんな女を思って。思ったってしかたがないよ。第一、君と同年ぐらいじゃないか。同年ぐらいの男にほれるのは昔の事だ。八百屋お七時代の恋だ」

(「十二」)

1(9)黙ってしまう与次郎

最終章「十三」から、佐々木与次郎に関する箇所を引用して終える。

 開会後第一の土曜の昼過ぎにはおおぜいいっしょに来た。――広田先生と野々宮さんと与次郎と三四郎と。四人はよそをあと回しにして、第一に「森の女」の部屋にはいった。与次郎が「あれだ、あれだ」と言う。(略)
「すてきに大きなもの描いたな」と与次郎が言った。
「佐々木に買ってもらうつもりだそうだ」と広田先生が言った。
ぼくより」と言いかけて、見ると、三四郎はむずかしい顔をして腰掛けにもたれている。与次郎は黙ってしまった。(略)
 二人は技巧の評ばかりする。与次郎が異を立てた。
里見さんを描いちゃ、だれが描いたって、間が抜けてるようには描けませんよ」(略)
 美禰子の結婚披露の招待状であった。披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生といっしょにフロックコートで出席した。三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期はすでに過ぎていた。
 野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に捨てた。やがて先生とともにほかの絵の評に取りかかる。与次郎だけが三四郎のそばへ来た
どうだ森の女は
「森の女という題が悪い」
じゃ、なんとすればよいんだ
 三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊ストレイ・シープ、迷羊ストレイ・シープと繰り返した。

(「十三」)

私はここの与次郎がとても好きだ。
「むずかしい顔」をした三四郎を見て黙ってしまう。ポンチ絵の男がだ。
ひとり、三四郎のそばに来る
「どうだ森の女は」と、三四郎の心境を聞く
「じゃ、なんとすればよいんだ」

私にはいつまでも、いまも、むずかしい顔をして座ったままの小川三四郎と、そのそばにたたずむ佐々木与次郎が見える気がする。


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