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夏目漱石「三四郎」18 本郷文化圏の上下関係/野々宮は里見より格上?

夏目漱石「三四郎」、明治41年(1908年)連載。

この作品に出て来るインテリ男性達の世界、もしくはインテリ男性達をして「本郷文化圏」とまとめることがある、らしい。おそらくは石原千秋氏という学者が作ったフレーズ。「本郷」とは東京大学(帝大)の所在地「東京都文京区本郷」からであろう。

具体的には次の登場人物らである。
・主人公の帝大(東大)生:小川三四郎
・同じく帝大生で三四郎の友人:佐々木与次郎
・帝大卒業し研究者を続けている野々宮宗八
・高等学校(旧制)の英語教師である広田萇(広田先生)
・画家の原口
・そして作中には姿を見せないが帝大法学部卒業:里見恭助

合計6人である。

先日、野々宮宗八の家族について確認していて、この本郷文化圏の面々について「明記はないが上下関係が設定されている」と感じた。

なのでそれを確認します。


1、野々宮宗八と、原口

6人のうち、まず野々宮宗八と原口との関係から確認。

1(1)外見など

野々宮宗八

三四郎が動く東京のまん中に閉じ込められて、一人ひとりでふさぎこんでいるうちに、国元の母から手紙が来た。(略)勝田の政さんの従弟に当る人大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八どのと書いてあった。(略)
左の方に戸があって、その戸があけ放してある。そこから顔が出た。額の広い目の大きな仏教に縁のある相である。縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある背はすこぶる高いやせているところが暑さに釣り合っている。

(「二」)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

原口

たちまち与次郎が書斎の入口にすわって、
原口さんがおいでになりました」と言う。(略)
原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。(略)
三四郎は原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎は交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。

(「七」)

(引用の末尾、「三四郎は年長者の前へ出ると~」も、気付いた目で見てみると、三四郎の性質というよりも夏目漱石が「読者はここで年齢の描写に注目しなさいよ」と仕込んだように思える)


1(2)年齢

野々宮宗八は、おそらく30歳前後である。

 三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女のところへいってまったく困ってしまった。(一)

「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、
「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。しかし月日はたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。(二)

原口の年齢については引用した「七」で三四郎が、「野々宮さんより年が二つ三つ上に見える」としている。

野々宮宗八が30歳とすれば、原口は32~33歳と。

ここも私は作者夏目漱石が、「同年代ぐらいだろう」とは三四郎には言わせず、わずかの差であるにもかかわらず原口のほうが野々宮より「年が二つ三つ上に見える」と、あえて三四郎に想起させていると思える。
外見で30歳か32歳かを、普通区別つかんやろ、と

1(3)年下だが野々宮のほうが目上?

三四郎にあえて「原口のほうが年上に見える」と想起させながら、野々宮宗八のほうが、原口よりも目上の立場と思われるのだ。

野々宮は三四郎の前で、原口を「原口」と呼び捨てにしている。

野々宮君はただ
「そうですか」と言ったばかりである。しばらくしてから、
「この空を写生したらおもしろいですね。――原口にでも話してやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工の名前を知らなかった。

(「二」)

一方、原口は野々宮のことを、他者に対しても本人に対しても「野々宮さん」と、さん付けで呼称している。

「――絵といえば、このあいだ大学の運動会へ行って、里見野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかいて展覧会にでも出そうかと思って」
「だれの」
里見の妹の。(七)

その時向こうの端から、原口さんが、野々宮に話しかけた。(略)
野々宮さん光線の圧力の試験はもう済みましたか
いや、まだなかなかだ
「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」
(略)
「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。
あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。
(九)

原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。
「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。(十)

気付いた目で見てみると、原口の、野々宮宗八に対する呼称と、里見恭助に対する呼称とが、しっかり描き分けられていることがわかった。

野々宮は「野々宮さん」、里見恭助は、「里見」・「里見恭助君」なのである。

(なお、野々宮と原口との当人同士の会話では、引用の「九」のように、「さん付け・敬語で聞く」→「ため口で返答する」を、交互に返している。)

1(4)野々宮宗八と里見恭助とは?

上記の原口の使い分け、たとえば里見恭助が明らかに野々宮よりも年下であればまだわかるが、そのような明記はない。

むしろ「同年の卒業」とわざわざ示されている。
三四郎と野々宮よし子との会話。

「あなたは里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」
「私? そうね。でも美禰子さんのお兄さんにお気の毒ですから」
「美禰子さんのにいさんがあるんですか」
「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」
「やっぱり理学士ですか」
「いいえ、科は違います。法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」
「おとっさんやおっかさんは」
 よし子は少し笑いながら、
「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在を想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものとみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。

(「五」)


2、野々宮宗八・よし子は美禰子より格上!?

以上のように関係性を確認していて、ふと思った。

「野々宮は、里見より格上の家?」と。

2(1)野々宮宗八 > 原口

見て来たように、野々宮宗八→原口については、人前で「さん付け」で呼び掛けたこともあるが、本人のいない場では呼び捨てであった。

これに対し、原口は野々宮本人の前でも本人がいない時でも、「野々宮さん」とさん付けで呼んでいる。

なので、背景は不明であるがこの上下関係は確定する。
「野々宮宗八 > 原口」


2(2)原口 ≧ 里見恭助

一方、原口は野々宮を必ず「さん付け」で呼びながら、里見恭助のことは呼び捨てもしくは君付けである。

なので、これも背景は不明であるが確定する。
「原口 ≧ 里見恭助」

そして、これら二つを合わせれば以下も、いえるのではないか。

野々宮宗八 > 里見恭助


2(3)本家-分家関係?

私の上記推論がもし正しいとしても、背景はまったく不明だ。

野々宮宗八と里見恭助とは、同年の大学卒業、学部は理学部と法学部とで異なる。
なのでどちらかが完全に年長者であるとか、どちらかが学問の師や研究室の先輩とかではないだろう。

そうなると、実は親族で、本家-分家関係にある、等の事情だろうか。
漱石の他作品「行人」において、主人公一家(長野家)の母方の遠縁とされながら、完全に下の「階級」とみなされている岡田のように。


むろんそもそも、「野々宮宗八 > 原口」と「原口 ≧ 里見恭助」が成り立つからといって、「野々宮宗八 > 里見恭助」とは限らない。

しかし、野々宮家が里見家よりも「格上」であれば、以下の野々宮よし子・佐々木与次郎の、不自然にぞんざいな台詞が、一応説明つく。

「美禰子さんのにいさんがあるんですか」
「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」
「やっぱり理学士ですか」
「いいえ、科は違います。法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」
「おとっさんやおっかさんは」
 よし子は少し笑いながら、
「ないわ」
と言った。美禰子の父母の存在を想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。

(「五」)

「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」
「どこへ」
「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。

(「八」)


私は、里見美禰子の父は外国人ではと考えている。

外国人の父親がいたが、お金だけ残されて捨てられた子。かもしれない。

それ故に、野々宮よし子・佐々木与次郎から軽く見られているのだろうか。
漱石の他作品「彼岸過迄」に出て来る、小間使いとの子:須永市蔵のように。

また考えたい。


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