夏目漱石「三四郎」17 父の不在・野々宮宗八とよし子
夏目漱石の小説「三四郎」、明治41年(1908年)連載。
この「三四郎」は、たとえば「こころ」とは異なり、主要登場人物が物語中に死去することはない。
しかしいくつかの「死」は描かれている。
先日ふと、それを確認したくなり、振り返ってみた。
そのさなかで気付いた。
主人公:小川三四郎の、その父親については、台詞でも想起でもほぼ全く語られていない。ただ一か所でのみ、既に死去したことが示されていた、と。
広田先生(広田萇)と、三四郎との会話
「君はたしかおっかさんがいたね」
「ええ」
「おとっさんは」
「死にました」
「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
ここから、小川三四郎を含めた「三四郎」登場人物たちの、父親の不在について確認したくなった。
今回は野々宮宗八・よし子兄妹の父について
1、野々宮母は確かにいる
野々宮家について、母は存命で少しだけ登場もする。
それを含めて野々宮家の人達を確認する。
1(1)野々宮宗八のプロフィール
三四郎が動く東京のまん中に閉じ込められて、一人でふさぎこんでいるうちに、国元の母から手紙が来た。(略)勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八どのと書いてあった。
この「勝田の政さん」が一体どこの誰なのかは、その後も含めて全く語られていない。
三四郎実家の親族かなとは推察される。単なる知人の従弟に対して、上京した息子の世話を頼むことはないだろうから。そうなると三四郎と野々宮とは遠い親戚、もしくは血のつながっていない遠い親族か。
外見だが、野々宮宗八は背がかなり高く、痩せている。服にはあまりこだわらなさそうだ。
顔についてはよくわからない説明がされている。
穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があって、その戸があけ放してある。そこから顔が出た。額の広い目の大きな仏教に縁のある相である。縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある。背はすこぶる高い。やせているところが暑さに釣り合っている。
野々宮宗八の年齢は30歳ぐらいと思われる。
自称で23歳の三四郎の、7歳ほど上だからだ。
三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女のところへいってまったく困ってしまった。
(一)
「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、
「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。
(二)
1(2)野々宮よし子のプロフィール
妹:野々宮よし子は、目が大きく、額がかなり広いと。
肝心の?顔の良し悪しであるが、悪くはなさそうだがどうも美人・可愛いというのも違う感じだ。
目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。(略)
三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。(略)
「おはいりなさい」
女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。(略)その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。
若い女の顔を見て、その第一印象が、「最も尊き人生の一片」と。
ここだけ見たら一目ぼれしたか、よほどの美人でも見たのかという感じである。
しかしこの後、「純粋の子供」「あらゆる男児に接しつくした婦人」「母の影」と続けられる。
どうも恋愛・性愛の対象ではなさそうである。
そして野々宮よし子も、背が高い。
庭を出る時、女が二人つづいた。
「背が高いのね」と美禰子があとから言った。
「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だから、なりたけ草履をはくの」と弁解をした。
※ この記事から話はそれるが、里見美禰子と野々宮よし子とは、少なくとも数年以上前からの知り合いかのように私は思っていた。
しかし引用した「五」における会話(菊人形見学への出発時)を見ると、まるで美禰子は、よし子の背の高さにこの時はじめて気が付いたような口ぶりである。
これはどういうことか。この二人は「最近知り合ったばかり」なのか、あるいは「知り合いではあったが立ち姿・歩く姿をみたことはほぼなかった」ということか。
それともこうか。
「よし子の背が高さを当然美禰子は知っていたが、あえてそれを周囲にいた男達、三四郎・広田先生・野々宮宗八に、なんらかの意図でアピールしたくて、わざわざ口にした」ということか。
1(3)野々宮母
そして、野々宮母であるが、確かに存在しており三四郎とも対面し口もきいているが、物語中に存在感はなくすぐに消える。
戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものとみえる。
「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。
野々宮母は、どこかは不明であるが東京以外の地方に居住していると思われる。
「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。それにぼくが夜実験をやるものですから、おそくまで待っているのがさむしくっていけないんだそうです。もっとも今のうちは母がいるからかまいませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女だけになるものですからね。臆病者の二人ではとうていしんぼうしきれないのでしょう。
こうして数度とはいえ、野々宮母の存在にはふれられている。
なのに、野々宮父には全くふれられていない!これはひそかに対比されているのだ!
と、そう思っていた。しかし違った。
2、野々宮父も、少しだけ出ていた
私はこの記事を、こう書こうと思っていた。
「野々宮母は一瞬ではあるが物語に登場し三四郎と会話もしている。なのに野々宮父については全くなにもふれられていない」と。
しかし見直してみたら、野々宮父も存在していたのである。
2か所出て来る。
与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達てもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。
野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。
自分の思い込みの弁解を書くが、野々宮宗八が既に野々宮家の主人の立場だと思ったのである。
この三四郎の心の声からだ。
野々宮宗八が、妹を含めた生活費獲得責任を一身に負っているように見えた。
野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。(略)聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか、大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……
しかしこれは、三四郎の勝手な思い込みということだろうか。
あるいは父は存命であるが、野々宮実家はあまり裕福ではないと三四郎は知っていた、ということなのだろうか。
3、本郷文化圏の上下関係
転んでもただは起きぬではないが、野々宮父について私が間違った思い込みをしていたのがわかったついでに、また気が付いたことがあった。
いわゆる「本郷文化圏」の、上下関係だ。
「三四郎」論において、登場するインテリ男性達の世界、もしくは男性登場人物らをまとめて、「本郷文化圏」と称することがあるらしい(石原千秋氏作のフレーズか?)。
「本郷」とは、三四郎と佐々木与次郎が通い、野々宮宗八が卒業し研究を続けている東大(帝大)が、東京都文京区本郷にあるからか。
そのインテリ男性達の、上下関係について気が付いた、というか見落としていた。
野々宮宗八は画家の原口を「原口」と呼び捨てにしている。一方原口は「野々宮さん」と敬称で呼んでいる。
「この空を写生したらおもしろいですね。――原口にでも話してやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工の名前を知らなかった。
(二)
「里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかいて展覧会にでも出そうかと思って」(七)
原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。
「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。(十)
しかし、少なくとも三四郎は、原口を野々宮よりも年上に見ている。
もっといえば、作者夏目漱石は、三四郎が原口を野々宮よりも年上に見た、との描写を、わざわざ書いている。
与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。
さらにその原口は、広田先生(広田萇)とはため口、里見恭助のことも呼び捨てにしている。
広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。
「やっぱり一中節を稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないか。(略)それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。
さらに、まだ三四郎と同様の学生にすぎない佐々木与次郎が、本人のいないところでは原口を「原口」と呼び捨てにし、里見恭助も呼び捨てにしていた。
「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。
広田萇、原口、里見恭助、野々宮宗八、佐々木与次郎。
気が付いてみると、夏目漱石は明らかにこの5人の中に、作中で明記されていないなんらかの上下関係を、仕込んでいる。
面白いことに気が付いた。
これもまた考えたい。
