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「内なる戦争」が終わるとき。本当の「自分を愛する」が始まる

「自分を愛そう」「自分を大切にしよう」

そう言われるたびに、心のどこかで、ちょっとした戸惑いを感じていませんか。

分かってはいるつもりなのに、なぜか素直に受け取れない。頑張れば頑張るほど、自分にだけは優しくできない。そんな矛盾を抱えたまま、日々を過ごしている方も多いのではないかと思います。

今日は、そんな私自身が、鏡の前でのささやかな習慣をきっかけに、長年続けてきた「自分との戦争」に、少しずつ終止符を打っていったこと、体感レベルで変化を感じれる実体験を踏まえて書いていきますね


1. 「自分を愛する」という言葉に、ずっと違和感があった


「自分を愛しましょう」

そんな言葉を、これまで何度も目にしてきて、頭では分かっているつもりでも、正直、具体的に何をどうすればいいのか、ずっと分からずにいました。

「幸せになりなさい」と言われても、その方法までは教えてもらえない・・そんな感覚に近かったのかもしれません。

私たちは、そもそも「幸せについて」「愛について」「自分を大切にすること」について学んできてないものね、どちらかというと「いかにテストでいい点数を取るか」「褒められるにはどう立ち振る舞えばいいか」「優等生とは」「いい高校、大学に入るには」「いかに人に嫌われないようにするか」「親や周りに迷惑をかけないように生きるか」ここが重要課題だった気がします。

自分を愛するというのは、自分を甘やかすということなのか。それとも、ただ都合よく自分を肯定することなのか。ここすごく繊細な部分でもあり、分かったつもりでいながら、実はずっと、その言葉から目を逸らしていたのだと思います。

正直に言うと、そもそも私は「愛」という言葉自体が好きではありませんでした(今思えば、随分こじれていたのだと思います・・笑)。嘘くさくて、重たくて、どうにも苦手で。だから「愛」という言葉を軽やかに使う人のことも、なんだか苦手に感じていたのです。

そんな私が今、「愛」という言葉を、自分の口から一番よく発するようになっています。それどころか、この言葉が、今では大好きになりました。あんなに避けていた言葉が、いつの間にか自分を一番表す言葉になっていた、、その変化こそが、これからお話しする体験の始まりでした。


2. 24時間一番近くにいる「最強の味方」を、真っ先に攻撃していた私


2度目の離婚を経て、シングルで子育てと仕事を両立させていた日々。仕事は順調に回っていたはずなのに、心のどこかにポッカリと穴が空いているような、言葉にできない空虚感がありました。

「自分を愛するって、一体どういうことなんだろう」

そう悶々と考えながらも、答えは見つからないまま。今思えば、24時間、誰よりも自分のそばにいて、誰よりも自分を助けてくれるはずの「自分」という味方を、私は真っ先に攻撃していました。

誰かの言葉に傷ついたとき。思うように結果が出なかったとき。本来なら、まず自分自身に寄り添うべきなのに、私は自分を責めることから始めていたのです。これは、小さ頃からの癖、アダルトチャイルドの声でもあったのです。


3. 鏡の前で起きた奇跡ールイーズ・ヘイの「ミラーワーク」との出会い


正直、最初は半信半疑でした。本に書かれている通り、鏡の前に立ち、自分の目を見つめながら「私は私を愛しています」と声に出す。それだけのことに、本当に意味があるのだろうかと。

けれど実際にやってみると、胸の奥にじわじわと何かがこみ上げてくる感覚がありました。そして翌日も、また翌日も続けてみたある日、感極まって号泣!!まさの連日、号泣!!笑

「ずっと、気づけなくてごめんね」

鏡の中の自分に、そんな言葉が自然とこぼれ出ました。

何とも言えない感覚でした。胸の奥がじんわりと暖かくなり、乾いていた何かが、静かに満たされていくのが分かりました。

「私は、ここにいてもいいんだ」

そんな感覚が、初めて胸の中に広がっていきました。それは悲しみの涙ではなく、初めて、内なる自分の気持ちに寄り添えたという涙でした。


4. なぜ「自分に素直に謝る」と、心が救われるのか?


ミラーワークを日々続けるうちに、私は「泣くだけ泣いて、そんな自分も許す」ということを覚えていきました。

思えば小さい頃から、「泣くな」と言われて育ってきました。感情を出すことが、どこかいけないことのように感じていたのかもしれません。

けれど続けるうちに、父を恨むのではなく、「父にもそうならざるを得なかった背景があったんだ」と理解しようと思えるようになっていきました。それすらも、悪い経験ではなく、自分が経験する必要があったプロセスの一つだったのだと、過去を丸ごと受け入れられるようになったのです。

なぜ、「自分に素直に謝る」というシンプルな行為に、これほどの力があるのでしょうか。

① 心の中の「内なる戦争」が終わる

私たちは知らず知らずのうちに、自分の中に「責める自分」と「責められる自分」を作り出してしまいます。まるで、自分自身を相手に、終わりのない戦争を続けているようなものです。

「ごめんね」という一言は、その戦いに白旗を上げる合図です。攻撃する必要がなくなったとき、初めて心は休戦を迎えます。


② 条件付きの愛から、無条件の自己受容へ

「結果を出せたら自分を認める」「うまくやれたら自分を好きになる」そんな条件付きの愛では、心は永遠に満たされません。

謝るという行為には、条件がありません。「できてもできなくても、あなたはそのままでいい」という無条件のメッセージが、そこに込められているのです。


③ 脳と身体が「もう安全だ」と認識する


自分を責め続けている状態は、脳や身体にとって、常に敵に囲まれているのと同じ緊張状態です。

特に中年期以降は、その負担が体に現れやすくなると言われています。心拍数が上がりやすくなったり、夜眠りが浅くなったり、不眠が続いたり・・気づかないうちに、自分を責める習慣が、体にもじわじわとダメージを与えていくのです。

そこで自分に謝り、寄り添う言葉をかけることで、脳と身体は初めて「もう戦わなくていい」「ここにいて安全だ」と認識します。緊張が緩み、心拍も、眠りも、少しずつ落ち着きを取り戻していく。その安心感こそが、深い癒やしにつながっていくのだと思います。

5. 自分を愛するとは、完璧になることではなく「自分と仲直りすること」


「仲直り」って、本来は相手を許すことですよね。

けれど、その"相手"が、自分自身だったとしたらどうでしょうか。

責めてきた自分、傷つけてきた自分、ずっと気づいてあげられなかった自分、そんな「もう一人の自分」を許し、手を取り合うこと。私にとって「自分を愛する」とは、まさにそういうことでした。

そしてこれは、自分自身との関係だけの話ではありません。私たちが目の前の誰かに対して感じるイライラや、うまくいかない関係性の多くは、実は自分自身とまだ仲直りできていない部分が、相手を通して映し出されているだけ、ということが少なくないのです。

これを「投影」と呼んでいます。自分を許せていない部分は、相手の中にも同じ姿を見つけて、責めたくなってしまう。逆に、自分の中の「もう一人の自分」と仲直りできた分だけ、目の前の相手のことも、不思議と許せるようになっていきます。

「自分を愛する」というのは、特別な誰かになることでも、完璧になることでもありません。

これまで置き去りにしてきた自分と、もう一度手を取り合うこと。ただ、それだけなのかもしれません。

私自身、この習慣は今も続けていますし、これからもずっと大切にしていきたいと思っています。

もしあなたも、心のどこかに満たされない思いを抱えているなら、今日、鏡の前で自分の目を見て、こう言ってみてください。

「ここまで、よく頑張ってきたね」

たったそれだけのことですが、私はこの一言で、長年続けてきた自分との戦争が、少しずつ終わっていくのを感じました。


私自身がどんな経緯でこの学びにたどり着いたのか、幼少期からのストーリーは自己紹介記事にも書いているので、よろしければ、あわせて読んでいただけると嬉しいです。

▶︎ [自己紹介記事はこちら]

もし今、パートナーシップや恋愛の中で「同じようなことで悩んでしまう」と感じているなら、それもまた、自分自身との関係を見直すサインなのかもしれません。

また、今回お話ししたミラーワークの体験については、動画でもお話ししています。

▶︎ ミラーワークについての動画はこちら


もし今、パートナーシップや恋愛の中で「同じようなことで悩んでしまう」と感じているなら、それもまた、自分自身との関係を見直すサインなのかもしれません。


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