その後の、エリオ・アルターレとルチアーノ・サンドローネ
Vol.057
前回のコンテンツ「“バローロボーイズ”ってだれ、なに?」のトラフィックが結構よかったので、その続きを展開します。
“バローロボーイズ”を読んだ方は、イタリアワインの王様と呼ばれる「バローロ」の近代的な変革がどんな意味を持っていたのか、ある程度は理解することができたのではないでしょうか。ワインに限らず、どんなジャンルにも新旧の闘いはあります。1980年代に“バローロボーイズ”が登場したことで、新たにアメリカのマーケットが広がり、旧態依然といたイタリアワイン界を震撼させました。
“バローロボーイズ”を代表するふたりは、エリオ・アルターレとルチアーノ・サンドローネ。彼らは話題になったあと、どんな道を歩んでいたのか。いまや、彼らが造るワインは、超高価格帯に属するため気軽には手をだせません。結果、“バローロ革命”を起こした主役のふたりであっても、ワインとの結びつきがみえにくくなってしまいました。
当時、“バローロボーイズ”が大きくメディアに取り上げられたのは、やはり、エリオ・アルターレの奇行といえる、チェーンソーでワインの大樽を破壊したからです。古いワイン造りを否定するにはうってつけのパフォーマンスだったため、注目を集めました。
一方で、バローロの新しいワイン造りを、淡々と進めていたルチアーノ・サンドローネは、名前こそ知られていたものの、やや影に隠れた存在といえるかもしれません。
さて、エリオ・アルターレは現在何歳なのでしょうか。
推定74歳。推定? あれほど話題になったアルターレですが、なんと生年月日が不明なのです。当時、報道された年齢から計算して74歳あたり、としています。
アルターレの活躍をみてみましょう。
いわゆる「チェーンソー事件」は、1983年に勃発しました。改革を狙った事件を経て、1980年代半ばに、短期のマセラシオンと回転発酵槽を使い、24か月のフランス産バリック熟成をはじめます。現在まで続くワイン造りの骨格を確立しました。
1990年代は、あまり目につくような話題はありません。あえていえば、慈善団体との共同ラベル「リンシエーメ」を創設しました。
2003年には、長女のシルヴィア・アルターレが事業に本格参画。新たなワインレーベルを続々とつくり、ワイナリーの不動の位置を築きました。
2020年代は、家族経営体制を強化し、ワイナリー名を“アヅィエンダ・アグリコーラ・エリオ・アルターレ・ディ・シルヴィア・アルターレ”としました。いよいよ、やんちゃだったエリオからの引継ぎを整えはじめたのです。リリースされた最新のワインも高評価を獲得。エリオ・アルターレは、革命から実践、ワイナリーのステイタスを築き安定、という多くの造り手にとって憧れの人生を歩んできたようです。
ルチアーノ・サンドローネは、惜しいことに2023年鬼籍に入りました。享年76。それまでの彼の活躍はどうだったのでしょうか。
国際的にブレイクしたのが1989年。主力のワインレーベル「カンヌ―ビ・ボスキス」がいくつものワイン専門誌で高得点を挙げて、一躍、サンドローネの名が世界に浸透しました。
1990年、複数のクリュからブレンドするワイン「レ・ヴィーニェ」の誕生を皮切りに、90年代は、砂質でできた急斜面の畑を手に入れて、土着品種によるワイン造りの可能性をみいだしたほか、精密化された品質管理ができるワイナリーの本格稼働を開始し、チャレンジングかつ着実なワイナリーの運営を行いました。
2000年代は、「カンヌ―ビ・ボスキス」を「アレステ」に改名。「アレステ」とは、ルチアーノの孫、アレッシアとステファノを合わせた造語です。改名後のファーストヴィンテージは2013年で、リリースは2017年でした。
イタリアを代表する赤ワイン、バローロを改革したふたりは、現在、数多のワイナリーが参考にしている醸造の新しい方法論を編み出しました。いまや、“バローロボーイズ”を知るひとは少なくなりましたが、歴史に名を残した偉大なるふたりの造り手を、ときおり思い返したいですね。


ときおり、こちらも覗いてみてください。
次回の“ディアリオ ヴィーノサローネ”に続きます。
