映画「QUEER」に向けてバロウズとビートを知ろう②:名もなき者が路上で吠える~ギンズバーグ「Howl」
はじめに
映画「QUEER」の原作者ウィリアム・バロウズを知ろうということで、興味を持ち始めたビート・ジェネレーション。
前回の記事はその始まりについてでした。
今回もウィリアム・バロウズ自体にはあまり触れてません😅。それを期待してアクセスした方がいらしたら申し訳ないです🙇。
ビート作家が世に出た順にとりあえず追っていっています。
毎度書いてますが、興味を持ったことを調べたり、関連本を読んだり、映画観たりした個人的記録&軌跡&感想なんかを綴っていますのでご了承くださいませ。
まずはビート作家代表三人衆(バロウズ、ケルアック、ギンズバーグ)のうちで一番早く世に出て、一番若かった、詩人アレン・ギンズバーグとその出世作である詩集「Howl」(または「Howl for Carl Solomon」)について、今回は掘り下げます。
「Kill Your Darlings」後のギンズバーグ
1944年にNYのコロンビア大学でルシアン・カーと知り合い、彼の伝手で未来のビート作家になる人物たちと交流を持ち始めたギンズバーグ。
この項では「Kill your darlings」で描かれたルシアン・カーの殺人事件後の彼の足跡を簡単に追ってみます。
ギンズバーグはニュージャージのユダヤ人家庭に生まれる。父ルイスは教師兼印刷業をしていた(映画「Kill your darlings」でも印刷業をしていた)。母ナオミはロシア出身の共産主義者で、会合に子供たちを連れて行くこともあった。一方彼女は統合失調症を患い、家に盗聴器が仕掛けられているとか、義母が自分を殺そうとしているなどと言い出したり、自分の手首を切ったりして、アレンの幼少期には入退院を繰り返していた。←結構過酷な家庭環境。「Kill your darlings」でも精神を病んでいるというのは描かれていた。しかし結果的にこの環境が、後の「Howl」に大きな影響を与えることになる。
映画「Kill your darlings」では、ルシアン・カーの殺人事件の後、コロンビア大を中退したような描写だった。実際は寮の窓を壊したか、同性愛行為が発覚したかの罪で一旦退学させられる。しかし翌年に復学し、1948年に卒業している。
その後、AP通信(Associated Press)のコピーボーイの仕事など、色々な仕事をする。同時に創作活動も並行して行う。詩を書き始めたのは同じく詩人でもあった父親の影響。それに加えてケルアックやその他のビート作家の仲間たちの影響もあった模様。
とはいえ、ここから1953年にサンフランシスコに引っ越すまでにも色々ある。
ケルアックの「On The Road」で描かれるように、デンバーに行ったりアフリカに行ったりもしている。「On The Road」に出てくる破天荒な男ディーン・モリアーティのモデルとなったニール・キャサディとも知り合う。この頃、ギンズバーグはカーと一緒に"New Vision"について唱えていて(これまた「Kill your darlings」で描かれていた。後のビート思想に繋がる考え)、ケルアックはギンズバーグにはダークなビジョン、キャサディに明るいビジョンを感じていたそう。それでギンズバーグとは少し距離を取り、キャサディの方により傾倒していくことになる。←それが「On The Road」を誕生させるわけですね。
ここでいう”ダークなビジョン”とは「共産主義」のことらしく(当時はマッカーシズムで赤狩りが厳しくなっていった時代、1947年にはハリウッドで大規模な赤狩り、1954年に共産主義者取締法が成立。)、それで「On The Road」ではギンズバーグの名前がカルロ・マルクス(←マルクス主義(提唱者がカール・マルクス)から付けている)となっている)。ただ実際には母親のように共産党員にはなったことはないそう。
結局のちに言論の自由、ベトナム反戦運動やゲイの権利獲得運動なんかに積極的に声をあげていくリベラル活動家の一面も持つようになる(気になるのはNAMBLAという組織も支援。North America Man Boy Love Associationの略だそうで、なんとペドの支援団体なんだと。これはちょっと…(;^_^Aグルーミングという考えがまだなかった時代だから正当化されてたのかな?)
一方のケルアックはそういう政治的活動には加わらなかったそうなので、方向性の違いはこの頃から生まれて来ていた様子。
NYのアパートは仲間のたまり場になっていて、ハスラーで詐欺師で窃盗犯のハーバート・ハンケが盗品を溜め込んでいた(彼も後のビート作家)。ある日、盗品を乗せた盗難車に一緒に乗っていたら事故を起こし、ハンケは捕まり、ギンズバーグも関与していると逮捕される。そして実刑を免れるために8カ月ほど精神病院に入ることに。
その病棟で、後に自身の病棟での体験を書いて作家になるCarl Solomonカール・ソロモンと出会う。彼は電気ショック等のかなりキツい治療を受けていた。彼のことを後に「Howl」の中で書き、タイトルも「Howl for Carl Solomon」として、彼に献辞を捧げている。
ビート=打ちひしがれたの意味で使われるので、精神病棟で心身ボロボロになるような治療を受け、まさにビートな状態にされている。そんな彼からギンズバーグはインスピレーションを受け(ギンズバーグ自身はそんな非人道的な治療は受けなかったそう)、ビート文学の始まりとなる「Howl」につながっていったという感じでしょうか?”Howl”というのも、そういう絶対的権威のようなものに対して”吠える”という意味もあるのかな?。
このソロモンの叔父が出版社をしていて、ギンズバーグを通してバロウズは処女作「ジャンキー」を出版することになる。
1951年頃、グリニッジ・ビレッジにできたレズビアン・バーでGregory Corsoグレゴリー・コルソという人物に出会う。とてもハンサムで魅力的だったのでゲイかな?と思って声をかけた。彼はストレートだったけど、刑務所から出てきたばかりでゲイ自体には慣れていて仲良くなった。このコルソが詩を書く人物で(ストリートキッズとして育ち、色々な犯罪を犯して少年院や刑務所に入る。そこの図書室で運よく勉強できる環境があり、詩を書くようになった)、自分の詩をギンズバーグに読んで聞かせる。それは自分の部屋の向かいに住んでいる女性が窓際で裸になって日光浴している詩だった(おそらく好意を抱いていた?)。すると偶然にもその女性がギンズバーグが当時付き合っていた女性だとわかる(ギンズバーグはゲイだけど、なんだかんだ数人の女性と付き合ったりもしている)。
それでコルソを家に連れて行き、コルソと寝てくれないかと頼むと彼女も承諾(←無茶苦茶やなw😅)。しかしいざ行為に及ぼうとするとコルソがビビッて逃げ出したそう(←刑務所に入るくらいのワルなのになぜか初心w)。
こんなことがあって、コルソをビートの仲間に紹介し、彼も仲間入りすることになる。(のちに彼がパリでビート作家が集う部屋を見つけ、ビートホテルと名付ける。そこでバロウズの代表作「裸のランチ」が誕生することになる)
あとマスタベーションとウィリアム・ブレイクの詩を読んでいた時に、神の声が聞こえる体験をする。それが何日か続き、宇宙との相互接続性を感じる。←薬をやっての幻覚ではないらしい。この辺りが後に東洋宗教にハマるきっかけになったのかも?
1953年にサンフランシスコに移り、市場調査員として働きながら、当時SFで盛り上がっていたサンフランシスコ・ルネッサンスという芸術家グループとも合流する。そして約2年ほどかけ「Howl」を書き上げることになる。
1955年にThe Six Galleryで読書会をやらないかと誘われる。最初は断るが、「Howl」のラフ原稿が仕上がったので"Six Poets at the Six Gallery"(六画廊での六人の詩人)と自分で銘打って参加することに。
結果、これが"The Six Gallery reading"六画廊での朗読会と呼ばれて、東海岸のビート・ジェネレーションが西海岸の新しい芸術家たちとつながり、ビートが新しい大きなうねりとなって世に出るきっかけとなった歴史的イベントとなる。10月7日。ケルアックもメキシコシティから駆けつけて観衆の中で聴いていた。コルソは朗読する予定だったが間に合わなかった。
この朗読会の成功を受けて翌年、City Lights Bookstoreから「Howl」が出版されることになる。(出版者のLawrence Ferlinghetti ローレンス・フェリンゲッティが朗読会を聴きに来ていて翌日にオファー)
その出版当時を描いた映画が制作されていました。
次項はその映画「Howl」について。
映画「Howl」
「On The Road」は映画化されているのは知っていたのですが、「Howl」の方もされていたとは知りませんでした。
2010年にジェームズ・フランコ主演で映画化。
(フランコも性加害?生徒に手を出したとかそういうのでしたっけ?続々と告発が続いてスッカリ干されちゃいましたねぇ)
あらすじ
どういう映画かというと、
ギンズバーグが詩集「Howl」を発表した時に、その内容がドラッグや過激な性描写、ホモセクシャルを想起させるObscene猥褻な内容だということで(当時はアメリカでもまだソドミー法があったらしい)、販売していた書店員が逮捕された。猥褻物頒布罪ということかな?
(そのサンフランシスコのシティ・ライツ書店の店員が日系二世のShig Murao村尾重芳という人物。彼はギンズバーグと終生友人だった)。
そして出版元であるシティ・ライツ書籍が発行禁止を巡って訴えられ、裁判になる。
映画は、
➀その裁判の様子と、
②裁判には出席していないギンズバーグ(彼自体は罪に問われていないので)へのインタビュー+彼が作品背景を語り回想している場面、
③彼が「Howl」をThe Six Galleryで朗読するシーン、
これらが同時進行で織り交ぜられながら進んでいく。
映画図解
簡単に図にしてみたので↓コチラを見て貰えばイメージしやすいかも?縦割りで3つに分かれてる感じ。
(クリックで拡大🔎)

ホーン判事役ボブ・バラバンって顔見れば知ってる俳優さんだけど、代表作って言われてもピンと来ない。調べたら「Friends」のフィービーの父親役をやってた。あの子供の頃に失踪した無責任な父親ね😅。
ジェフ・ダニエルズはいうまでもなく有名だし、
ストラザーンも「Good Night, and Good Luck」でオスカーノミネートされた後で露出が増えていた時期。
ジョン・ハムも「マッドマン」をやってる最中でノリに乗ってた頃。
トリート・ウィリアムズはドラマ「エバーウッド」のお父さん役が個人的には印象に残ってる。なんと2023年6月にバイクの事故で亡くなってる。71歳。
メアリー・ルイーズ・パーカーはドラマ「Weeds」で有名かな。映画「フライド・グリーン・トマト」ではあのシスターフッドの黒髪の方、「ザ・クライアント 依頼人」ではブラッド・レンフロの母親役。
アレッサンドロ・ニヴォラは顔は見たことあるけどあまり知らない。エミリー・モーティマーの夫。二人の息子のサム・ニヴォラも俳優で、最近第3シーズンが始まった「The White Lotus」に出てる。アーノルド・シュワルツェネッガーの息子パトリックが兄役で、弟役のサムと近親相姦の関係があるのでは?と話題になっているので楽しみ。
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裁判では詩集「Howl」が文学的に意味があるか?重要か?という観点で大学教授や批評家などのエキスパートたちが証言する。
ジェフ・ダニエルズ演じる英語(英文学?)の教授デビッド・カークは「Howl」には価値が無いと主張する。
その時に比較として出てくるのが、19世紀のアメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの「Leaves of Grass(草の葉)」。
(映画「The Whale」でもゲイの主人公が好きな詩として出て来ていた。ゲイ関連の作品で本当によく出てくる。ちなみに”Grass”というのは出版社がどうでもいい作品のことを呼ぶときに使っていた単語らしく(雑草みたいに価値の低いもの)、”Leaves”はルーズ・リーフに名残があるようにページのことを”葉”に例えていた。よって”しょうもない作品の寄せ集め集”的な自虐的洒落で付けられているらしい)
ギンズバーグは「Leaves of grass」の形式を真似している。というかおそらくオマージュとして狙って模倣している。「Leaves of grass」も当時、性的表現やホモエロティックなことを想起させる内容で批判の対象になったという経緯があり、「Howl」の状況と非常によく似ている。
しかし証言者の別のエキスパートはこんな感じのことも言う、「裁判にまでなるほどの論争に発展した時点で歴史的価値のある作品になるだろう」と。そして実際、20世紀のアメリカで、「Howl」とギンズバーグは最も重要な詩、最も偉大な詩人だと言われるようになっている。
ホイットマンの「Leaves of Grass(草の葉)」、映画「The Whale」の時にチラッと読んだけどあまりピンと来なかった。しかしこれだけゲイ・コンテキストで引用されるとなると、一度じっくり読み込んだ方がいいんだろうなぁ…。でも詩って、邦訳されたものだとその本来持ってる英単語の響きとか、言葉ひとつひとつに込められた背景とか、アメリカ人でもなく、時代も違う自分にそういう細かいニュアンスが理解できるのだろうか?と思ってしまう。かといって原書、英文で読んでも読解力が日本語よりさらに劣る状況でより無意味な気もするし…。外国人が日本の和歌の情緒を簡単に理解できないのと同じで、ハードルが高すぎて躊躇してしまうんですよね…。
感想など
回想パートではギンズバーグの恋愛経歴なんかも触れていく。
ケルアックへの恋情が「Howl」を書くキッカケになったと。彼への同性愛的感情を詩を通して伝えようとしたからだと。(ここではプラトニックっぽい描写)
キャサディとは一時肉体関係、肉欲を慰め合うような関係があったと。しかしキャサディには妻がいるのでずっと続けるわけにはいかないということで終了。
そしてサンフランシスコで生涯のパートナーであるピーター・オルロフスキーと出会う。
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「Howl」の朗読パートはアニメーションで表現されている。
確かに抽象的な詩を視覚化するのにアニメは最適。
その部分をまとめてくれてる動画がありました↓
どこまで詩に忠実なのかわからないけど卑猥な絵が時々出てきますね。男根の林、膣内からの脱出など😅。
このアニーメションで多用されている抽象的な表現とか、シュールレアリスム的表現とか、これは「ビート・ジェネレーション」の特徴とも言われている。映画「QUEER」でもシュールレアリスムっぽい映像があるそうなので、これは頭に入れておきたい部分かも。
ギンズバーグ自身が朗読している音源もYoutubeに上がってました。
ジェームズ・フランコはこの声、話し方を真似しているのかな?ちょっとクセある話し方。ギンズバーグはニュージャージー出身で、コロンビア大学に行っていた。よって当初の活動の場はNY。あるとしたら東部訛り?
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「Howl」はⅠ、Ⅱ、Ⅲの三部構成+”Footnote to "Howl”という脚注を加えた4部構成になっている模様。
この詩集にはその他に以下の詩も収められている。
「A SUPERMARKET IN CALIFORNIA」
「TRANSCRIPTION OF ORGAN MUSIC」
「SUNFLOWER SUTRA」
「AMERICA」
「IN THE BAGGAGE ROOM AT GREYHOUND」Ⅰ~Ⅳ
「AN ASPHODEL」
「SONG」
「WILD ORPHAN」
「In back of the real」
「Howl」に戻って、そのフットノートにはこういう部分がある。
Holy Peter
holy Allen
holy Solomon
holy Lucien
holy Kerouac
holy Huncke
holy Burroughs
holy Cas-sady
holy the unknown buggered and suffering beggars
holy the hideous human angels!
ギンズバーグの友人たち。ビート作家になっていく人たちの名前が並ぶ。
前記事の”Beat”の意味の項目で、”若者の秘められた聖性を表現する”というのがあった。このHolyと繋がっている気がする。
そしてケルアックの「On The Road」でも
"That’s what Dean was, the HOLY GOOF"(それがディーンだ。聖なるマヌケ)というくだりがある。これも同様の意味合いだと思う。
上記のビート作家たちは殺人者もいれば、窃盗犯、刑務所帰りの犯罪者、そんな連中ばかり。そんな罪人、乞食のような人間の中にも聖性は存在し、または聖性につながる行為をすることもある。どんな醜い人物でも天使であり、尊いんだということを叫んでいるのかな?という気がしました。
聖なる愚者…ロシア正教では”聖愚者”という考えがあるらしい。
「聖愚者とは、常軌を逸した言動をする「異常者」であるがゆえに、常人には見通せない真理を知っている神がかり的な人物として、ロシアにおいて崇拝されている存在のことである」
ビート作家たちは犯罪者や常軌を逸した行動をする人物が多い。そしてビート思想の既成概念を壊すという部分は”常人に見通せない真理を知っている”という部分に重なる。日本でも破戒僧だった一休宗純とかは聖愚者になるのかな?昔話の「三年寝太郎」なんかも寝てばかりの男が村を救う聖者になるわけで、昔から世界各地の民話なんかにも聖愚者伝説は存在する気がする。
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フットノートにある”Holy Peter”のピーターとはサンフランシスコで出会い、生涯のパートナーになったPeter Orlovskyピーター・オルロフスキー。

ピーターは結構お茶目な人物?
トップのタイトル画像に入れ込んだ背中合わせのカップルと、小鳥をみているのもこの二人。
左上の肩を組んでるのがギンズバーグとケルアック。
キスしてるのがギンズバーグとキャサディ。
彼はギンズバーグより7つほど年下。貧乏な家庭に育ち、朝鮮戦争に従軍。サンフランシスコの病院で衛生兵として働く。1954年にギンズバーグと出会った頃は画家のモデルをしていた。←おそらくサンフランシスコ・ルネッサンスの画家の友人を通して知り合った。
出会った頃はギンズバーグにはSheila Williams Boucherという彼女がいた(ゲイの自覚ある割に彼女がよくいるなぁ(;^_^A)。オルロフスキーもそのシーラと関係を持ったりしている(男女入り混じった三角関係はビート作家あるある)。しかしオルロフスキーと一緒になるためにシーラとは別れる。二人の関係は誓いによる結婚。しかしオープン・リレーションでもあった(オルロフスキーはバイ)←ORの割に別れて結婚とか、彼らの線引きがよくワカラン😵。ギンズバーグからの影響でオルロフスキーも詩を書くようになる(俳優なんかもしている)。21歳で出会い、ギンズバーグが亡くなる1997年まで40年以上関係は続いた。
Holy SolomonのソロモンはギンズバーグがNYの精神科病棟で出会ったCarl Solomonカール・ソロモン。先述した通り、彼の叔父が出版社をしていて、そこからバロウズの処女作「ジャンキー」がギンズバーグの尽力で出版されることになる。(ギンズバーグはビート仲間の出版エージェント的なこともしていた)
ルシアンは前記事でガッツリ書いたビートの生みの親であり、ストーカー殺人のルシアン・カー。
ケルアックとギンズバーグ、そしてルシアン・カーも映っている動画がありました。1959年のNYだそう。「Howl」出版は1956年。ケルアックの「On The Road」が1957年なので、まさに二人とも時代の寵児、イケイケな時代。
ケルアックはこのサムネの人物。ギンズバーグは髭面のメガネ。こうやって見るとギンズバーグの方がケルアックより背が高い感じ。意外でした。
ルシアンは4:20ぐらいで子供を肩車している口髭メガネの人物。1:55ぐらいから出てる男の子二人と乳母車の子がおそらくルシアンの息子たち(次男が作家になったケイレブ)。
0:35辺り、バーの入り口でギンズバーグと話してる男がニール・キャサディっぽい(ただwikiによると、この時期はマリファナを覆面捜査官に勧めて捕まり、2年の受刑期間の最中…じゃあ別人?)。彼がケルアックの「On The Road」に出てくるディーン・モリアーティのモデル。
この動画に出てこない(もしかしたらホームレスっぽい人物がそうかも?)Hunckeハーバート・ハンケはハスラーで窃盗犯のゴロツキ(先述したギンズバーグが捕まるきっかけを作った人物)。ケルアック曰く、小柄で肌が浅黒く、アラブ人のような男だ。顔にはいつも疲労感が漂い、実に不幸を絵に描いたような男。
そんな彼ものちにビート作家になる。彼が”Beat(くたびれたの意味)”という単語をよく使っていたので、ケルアックが作品内で多用してビート・ジェネレーションと言われるようになった。ハンケは”ビート”と言う単語を多用していただけでなく、実際見かけもくたびれた=ビートな男だったんですねぇ。
では上の動画の1959年当時、バロウズはどこにいたか?
wikiによると、モロッコのタンジールからパリのカルチェ・ラタン辺りのビート・ホテルに移ったような時期。タンジールでたばこや麻薬の密輸に関わり、当局から被疑者として追われた為と政情不安も相まってパリにやってきた。そこでギンズバーグと会って、彼の仲介で出世作の「Naked Lunch 裸のランチ」の出版の話がまとまることになる。
(いや、ホント、このグループ犯罪に関連すること多すぎない!?😅)
***
「Howl」の英語版wikiには、各パートの引用部分が丁寧に説明してくれている。
ウィリアム・ブレイクやランボーの詩からの引用や、ルシアン・カーやキャサディのことを言っていたり、マーロン・ブランドの映画「The Wild One 乱暴者」(1953)の引用なんかもある。
ちなみに、マーロン・ブランドは私が知った時にはもう結構年配だったので若い時の魅力的だった姿を知らなかった。しかしYoutubeで見つけたこのオーディション映像を見たら、ハァ~確かに超イケメン😍。
途中で目をクルっとするんだけど、「あのeye rollだけで妊娠しちゃうわ!」なんてコメントも付いていて笑っちゃうぐらい🤣。
勿論造形自体も美しいけど、自分がチャーミングだとガッツリ認識してる自信と余裕がさらに魅力的にしてる。しかしそこにいやらしいナルシストっぽさはそれほど感じない(実際はかなりのエゴイストだったようだけど)。これで両刀使いだったっていうんだから、そりゃジェームス・ディーンも惚れちゃいますよねw。(←この関係もただの知り合い程度だった、ディーンが一方的に熱烈なファンで真似していた、ご主人様と下僕的ロールプレイを楽しむような関係だったとか、いろんな意見があって真相は謎のまま)
ディーンの「エデンの東」とか、「理由なき反抗」とかは1955年の映画。先述の「The Wild One」(1953)からこの二作品、1956年のビート作家の台頭の前に既にハリウッドでもそういう流れができてきていたってこともあるのかも?🙄この時代が、新しく、反体制的で、過激な思想の台頭を望んだ、ビート・ジェネレーションは生まれるべきして生まれた…時代が望んだ…とも考えられそう。
***
ということで、詩集「Howl」自体の素晴らしさを理解したというレベルには至っていないけど、アレン・ギンズバーグと「Howl」についての基礎知識は一応理解できた気がします。
日本ではゲイの作家によるこういう発行禁止、禁書論争ってあったのかな?ゲイ雑誌「薔薇族」が発禁処分にあったとかそういう話は聞いた気がするけど、それが大きな論争にまで発展した訳ではないし。
猥褻ということでは「チャタレー夫人」の日本刊行においては最高裁まで行ってたりしている。猥褻や倫理的でないとか、昭和の頃は論争を巻き起こす本ってのは結構あった気がする。しかし最近では書籍出版で論争になることなんてトンと聞かない。本屋をブラブラしていると朝井リョウ氏の作品とか、凄く攻めてるような煽り文句が付いていたりするけど、本好きの人たちの中では話題になっても以前のようにそれ以外の人々が関心を寄せるところまで波及していない印象。それだけ限定されたメディアになってきたということか…。炎上するのはもっぱらSNSですもんね。
言論人で炎上する人もいるけど、なんというか営業炎上みたいなのが多くて、信念もって主張してる感じが全然しない。ポジショントークと金儲け。ああいうのに寄っていく人たちも同類。政党もどこも胡散臭いし、この膠着した日本社会にドカンと風穴を開けるような新鮮なオピニオン・リーダーみたいな人が出て来てくれないもんですかねぇ…。
なんか話がズレてきたので今回はこの辺で。
次はケルアックの「On The Road」についてです。
参照記事&参照サイト
