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失敗を避けて、何を手に入れたんだろう


情報が手に入りすぎるようになってから、
失敗を事前に避けることができるようになった。
レビューを読めば地雷を踏まずに済む。
口コミを調べれば、行く前から結末がわかる。
でも、それと引き換えに何かを失った気がしている。
「行ってみたら意外とどうにかなった」という経験が、人を育てていたんじゃないか。
転んで、恥をかいて、それでもなんとかなった記憶が、次の一歩を踏み出す根拠になっていたんじゃないか。

昔は大引けしても、どこかに逃げ道があった。
別の学校に行けばリセットされた。
地元を出れば知らない顔ばかりだった。
失敗が「その場だけ」で済んだ。

今は逃げた先にもスマホがある。SNSで記録され、拡散され、物理的に離れても傷は消えない。失敗の練習をしてこなかった分、一回の失敗が自分の全否定に感じてしまう。逃げ道もない、
免疫もない、その両方が重なって、
死を選んでしまう子どもがいる。

失敗のリスクを避けることが、あまりにも合理的に見えてしまう時代。そのまま部屋から出られなくなった子どもたちのことを、ときどき考える。

思えば、インターネットが始まる前から、
その罠はあった。

昔、音楽雑誌の評論家が低い点数をつけた
レコードは、なんとなく聴かずにいた。
でも何年か経って手に取ってみると、
意外と良かったりする。
当時はたまたま、
はまらなかっただけかもしれないし、
そもそも評論家のフィルターと自分のフィルターは別物だ。 

良いか悪いかは、
実際に自分で試してみないとわからない。

情報の民主化は、身を守る鎧にもなれば、
そのまま部屋に閉じこもるための言い訳にもなる。
他人のフィルターを自分のフィルターだと思い込んだまま、試さずに終わってしまうものが、
人生にはどれだけあるだろう。

失敗は経験値だ。転んだ分だけ、
人はレベルアップする。
つまらないプライドより、
試さないまま終わることの方が、
よっぽどもったいない気がしている。


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