【プラトン全集第13巻『法律』】まとめ4/7
〖はじめに〗
前回、プラトンは語りました。
国家は、法律だけでは支えられない。
家庭。習慣。子どもの遊び。
そうした日々の積み重ねが、未来の国家を形づくっていく。
では、本当に国家を安定させたいなら、国家は人々の毎日にどこまで関わるべきなのでしょうか。
何時に起きるのか。
どんな歌を聞くのか。
何を美しいと思うのか。
どんな快楽を恥ずかしいと感じるのか。
ここから『法律』は、制度の話を越えて、人間の生活そのものへ踏み込んでいきます。
教育。音楽。祭り。運動。女性教育。欲望の管理。
プラトンは、「人間が毎日どう生きるか」そのものを、国家設計の中へ組み込み始めるのです。

① 教育は、「言葉」より前から始まる
プラトンは、教育を学校から始めません。
もっと前。
赤ん坊の頃からです。
赤ん坊が泣いている。
母親が抱き上げ、ゆっくり揺らし、小さな声で歌う。
すると、乱れていた泣き声が、少しずつ静まっていく。
アテナイ人は、この何気ない子育ての場面に、教育の原型を見ます。
ここで出てくるのが、コリュバントの祭儀です。
コリュバントとは、激しく踊りながら神に仕える人々のことです。
興奮した人間も、太鼓の音、足踏み、身体の揺れに身を任せるうちに、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
乱れた心が、外から与えられたリズムによって整えられる。
アテナイ人は、赤ん坊を揺らす行為を、この儀式と重ねます。
奇妙なたとえです。
しかし、言いたいことははっきりしています。
人間の心は、言葉だけで整うのではない。
まず身体が整う。
リズムが整う。
生活の型が整う。
そこから心も整っていく。
現代でも、睡眠や食事のリズムが崩れると、気持ちまで不安定になります。
プラトンにとって教育とは、知識を頭へ入れることではありません。
「整った生活に慣れさせること」
だったのです。

② 音楽は、「感情の型」を作る
古代ギリシアでは、音楽はただの娯楽ではありませんでした。
プラトンにとって音楽とは、人の心や感情の動き方を育てるものです。
どんな歌を聞くのか。
どんなリズムに親しむのか。
どんな踊りを美しいと感じるのか。
そうした日々の積み重ねが、人間の性格や価値観を少しずつ形づくっていく。
だからプラトンは、音楽教育を国家の重要な課題だと考えました。
前回、『法律』では「シアトロクラシー(劇場支配)」という話が出てきました。
本来は教育や伝統を大切にしていた芸術が、
「観客が喜ぶものが正しい」
という考え方に変わっていく現象です。
もっと派手に。
もっと分かりやすく。
もっと気持ちよく。
観客の好みに合わせることばかりが重視されるようになる。
すると音楽は、人を育てるものではなく、人を楽しませるための刺激の競争になってしまいます。
プラトンが問題にしているのは、音楽そのものではありません。
彼が恐れているのは、
「気持ちいいかどうかだけで物事を選ぶ習慣」
です。
楽しいものだけを選ぶ。
耳の痛い話は避ける。
考えるより先に反応する。
そんな習慣が続くと、人は少しずつ欲望に流されやすくなっていく。
これは現代にも少し似ています。

③ 祭りは、共同体の感情訓練だった
同じ理由で、祭りも重要になります。
現代では、祭りは娯楽に見えます。
楽しいイベント。非日常。気晴らし。
しかしプラトンにとって祭りとは、国家全体で同じ感情を共有する時間でした。
広場に人が集まる。
若者は若者の歌を歌う。
年長者は年長者の歌を担う。
子どもたちは、その姿を見上げる。
同じ歌。
同じ踊り。
同じ神への祈り。
そこには、ただの楽しさではなく、共同体の中で自分の位置を覚える働きがあります。
自分は一人ではない。
この声の中にいる。
この列の中にいる。
この町の一部なのだ。
スポーツ観戦やライブ会場でも、知らない人同士が同じ歓声を上げる瞬間があります。
名前も仕事も知らない。
それでも同じ歌を歌い、同じタイミングで手を上げると、一瞬だけ大きな共同体の一部になった感覚が生まれる。
プラトンは、その力を国家教育に組み込もうとしました。
祭りとは、国家の感情訓練だったのです。

④ 女性も、共同体を支える側として教育される
この範囲で、プラトンは女性教育についても語ります。
当時としては、かなり珍しい考え方でした。
古代ギリシアでは、女性は家庭中心とされることが多かった。
しかしプラトンは、女性も教育されるべきだと考えます。
国家を支える力を、男性だけに閉じ込めておくことはできないからです。
運動。音楽。祭り。共同体の活動。
そこに女性も参加する。
ここでアテナイ人は、サウロマタイ族の女性たちを例に出します。
彼女たちは、馬に乗る。
武器を扱う。
狩りや戦いにも加わる。
砂ぼこりの中で馬を走らせ、弓を引き、男たちと同じように共同体を守る。
その姿を見れば、「女性だからできない」とは言えない。
できないのではない。
訓練されていないだけだ。
もちろん、これは現代の男女平等とは違います。
限界もあります。
それでも、国家を支える力を一部の人だけに任せないという点で、かなり踏み込んだ発想でした。
半分の人間を教育しなければ、国家全体も弱くなる。
ここでもプラトンは、国家を「共同体全体」で考えているのです。

⑤ 運動は、身体に秩序を覚えさせる
スパルタ的な教育では、運動は戦争準備の意味が強くなります。
しかしプラトンは、それだけでは足りないと考えます。
運動は、身体を通して魂を整えるものでもある。
ここでも重要なのは、「型」です。
決まった動き。
決まった訓練。
決まったリズム。
若者たちが広場に並ぶ。
合図が鳴る。
一斉に動く。
一人だけ早く動けば、列は乱れる。
一人だけ遅れても、全体のリズムは崩れる。
隣の呼吸を感じる。
自分の速さを少し抑える。
全体に合わせて、もう一度動き直す。
身体をそろえる訓練は、ただ命令に従う練習ではありません。
共同体の中で、自分の速さを調整する訓練でもある。
頭だけでは、人間は安定しない。
だから国家は、運動も教育として扱うのです。

⑥ 欲望は、「消す」のではなく管理する
ここでプラトンは、かなり現実的になります。
人間から欲望を消すことはできない。
食欲。
名誉欲。
快楽への欲求。
それらは、人間の一部です。
だから問題は、欲望そのものではありません。
欲望が、共同体を壊すほど暴走することです。
この考えは、前回の酒宴の話ともつながります。
酒は、人間の欲望を表へ出しやすい。
酔った人は、大声で笑い、声が大きくなり、普段は隠していた感情を外へ出す。
ここで人間の弱さが見える。
怒りやすい人。
調子に乗る人。
人の話を聞けなくなる人。
自分を抑えられなくなる人。
しかしプラトンは、完全禁止には向かいません。
むしろ、管理された酒宴なら教育になると考えます。
ここに『法律』全体の特徴があります。
人間を、完全な哲学者にはできない。
だから欲望を消すのではなく、欲望の扱い方を訓練する。
自由そのものより、自由を扱う力が重要になる。
ただし、ここには危うさもあります。
毎日を整える国家は、毎日を管理する国家にもなりうる。
よい習慣を作る力は、そのまま、人間の感じ方を縛る力にもなる。
プラトンの国家は、自由を奪いたいだけではありません。
けれど、自由に飲み込まれない人間を作るために、生活の奥まで入り込もうとする。
ここが『法律』の面白さであり、少し怖いところでもあります。

⑦ 国家は、「毎日の習慣」で作られる
この範囲を読むと、プラトンが国家をどこまで広く見ていたかが分かります。
教育。音楽。祭り。運動。家庭。酒宴。
生活習慣そのものが、国家を作る。
つまり国家とは、法律の集まりではありません。
「毎日の積み重ね」です。
人間は、命令だけでは変わりません。
けれど、環境には少しずつ慣れていく。
毎日聞く音。
毎日見る姿。
毎日くり返す動き。
毎日恥ずかしいと思うこと。
毎日美しいと感じるもの。
それらが人間の内側に沈み、いつかその人の「普通」になる。
国家を守りたければ、法律だけを整えても足りない。
人々の「普通」を、どう育てるか。
プラトンは、そこまで考えていたのです。

