【プラトン全集第13巻『法律』】まとめ5/7
〖はじめに〗
前回までで、プラトンは国家を細かく設計してきました。
子どもの育て方。
音楽。
祭り。
運動。
酒宴。
つまり、人々の毎日そのものです。
では、それでも誰かが悪いことをしたらどうするのか。
どれだけ教育しても、人間は間違えます。
怒りに飲まれ、欲望に負け、誰かを傷つける。
ときには、人の命を奪う。
ここで法律は、本当の試練を迎えます。
犯罪者は、ただ罰すればよいのか。
悪い人間を、社会から切り捨てればよいのか。
プラトンは、意外な方向へ進みます。
悪人とは、単に「悪を選んだ人」ではない。
むしろ、魂が病気になった人なのだ、と。
今回の中心は、殺人、暴力、親への不敬、裁判です。
けれど本当のテーマは、刑罰そのものではありません。
人間の魂は、どうすれば壊れるのか。
壊れた魂を、どう扱うべきなのか。
『法律』第5回は、犯罪と罰を通して、プラトンの人間観が最もはっきり見える部分です。

① プラトンは、「悪人」を少し違う目で見る
普通に考えると、犯罪者は悪い人です。
悪いことをした。
だから罰を受ける。
それで終わりに見えます。
しかしプラトンは、少し違います。
誰も、本当には不幸になりたがらない。
誰も、自分の魂を壊したいとは思っていない。
それなのに人は、悪を行う。
なぜか。
善いものを見誤るからです。
目の前の快楽を、本当の善だと思う。
怒りの勢いを、正義だと思う。
欲望の満足を、幸福だと思う。
つまり悪とは、単なる意地悪ではありません。
魂の判断が狂った状態です。
ここには、ソクラテス以来の考え方があります。
人は、善を本当に知れば、善へ向かう。
悪を行う時、その人はどこかで見誤っている。
だから犯罪とは、魂の病でもある。
刑罰とは、悪人を叩きつぶすことではない。
壊れた魂に、どう向き合うかの問題なのです。

② 罰は、「復讐」のためではない
プラトンは、不正を行う人間を、ただ憎んではならないと考えます。
むしろ、病んだ魂として扱わなければならない。
アテナイ人は語ります。
「自ら進んで悪人になろうとする者は、誰一人いない」
人は、悪を愛して悪を行うのではない。
善いものを見誤る。
欲望に支配される。
怒りに飲まれる。
その結果として、不正を行う。
もし悪が魂の病なら、罰の目的は復讐ではありません。
治療です。
医者は、患者を憎んで手術しません。
病気を治すために、痛みを伴う処置をする。
プラトンは、刑罰もそれに近いものとして考えます。
痛みを与えることが目的ではない。
魂を、できる限り正しい方向へ戻すことが目的です。
もちろん、すべての人が改善できるわけではありません。
魂の病が深すぎる場合、共同体から切り離すしかないこともある。
それでも、刑罰の出発点は怒りではない。
「苦しめたい」ではなく、
「治したい」なのです。
ここで『法律』は、ただの罰則集ではなくなります。
犯罪を通して、人間をどう救うかを考える本になります。

③ 殺人には、「種類」がある
プラトンは、殺人を一つにまとめません。
事故なのか。
怒りに任せたのか。
計画して行ったのか。
同じように人が死んでも、魂の状態はまったく違うからです。
口論の末に感情が爆発し、相手が死んでしまう。
これは重大な罪です。
けれど、冷静に準備し、相手を殺す機会を待っていた場合とは、魂の暗さが違う。
プラトンは、結果だけを見ません。
その行為が、どんな魂から出たのかを見る。
古代アテナイには、ドラコンという立法者がいました。
彼の法はあまりに厳しく、「血で書かれた」と言われるほどでした。
盗みのような罪にまで、死刑が定められたと伝えられています。
ある伝承では、なぜ小さな罪まで死刑なのかと問われたドラコンは、こう答えたとされます。
「小さな罪にも死刑がふさわしい。大きな罪には、それ以上の刑が見つからなかった」
真偽はともかく、それほど苛烈な法として記憶されたということです。
それに比べると、プラトンの議論は細かい。
怒りなのか。
欲望なのか。
計画なのか。
偶然なのか。
それを分けて考える。
同じ結果でも、魂の病の種類が違えば、処置も変わる。
プラトンにとって、裁きとは魂の診断でもあるのです。

④ 親への不敬は、国家への攻撃である
この範囲で印象的なのが、親への不敬です。
現代人には、少し重く見えるかもしれません。
なぜ親への暴力や侮辱が、ここまで大きな問題になるのか。
プラトンにとって、親はただの家族ではありません。
命を与え、育て、教育した人です。
そして家庭は、子どもにとって最初の共同体です。
親を軽んじることは、最初の共同体への敬意を壊すことになる。
そこから、教師への軽視が生まれる。
年長者への軽視が生まれる。
法律への軽視が生まれる。
国家への軽視が生まれる。
つまり親への不敬は、単なる家庭問題ではありません。
共同体の根を傷つける行為なのです。
『法律』では、親に暴力をふるった者への扱いはかなり厳しい。
アゴラに立ち入れない。
神殿へ近づけない。
葬儀にも参加できない。
これは、身体を縛る罰ではありません。
「あなたは共同体の一員として振る舞う資格を失った」
と示す処置です。
家庭の秩序が壊れる時、国家の秩序もすでに傷つき始めているのです。

⑤ 裁判官は、「怒る人」ではない
犯罪が起きれば、裁判が行われます。
しかしプラトンにとって、裁判官はただ怒る人ではありません。
復讐を代行する人でもありません。
むしろ医者に近い。
患者を診るように、犯罪者の魂を見る。
なぜ、その人はそうしたのか。
怒りに飲まれたのか。
欲望に支配されたのか。
無知のせいなのか。
それとも、治しがたいほど魂が腐っているのか。
裁判官は、行為の結果だけを見るのではありません。
その奥にある魂の状態を見なければならない。
プラトンは、裁判官は年長者でなければならないと考えます。
若い裁判官には、魂を見る目がまだ育っていないからです。
長い人生の中で、怒りにも欲望にも触れてきた。
人間がどれほど弱いかも、どれほど見誤るかも知っている。
その経験があって初めて、他者の魂の病が見える。
法律を知っているだけでは足りません。
人間の魂を見ようとする目が必要です。
プラトンの理想では、裁判官は社会の医師なのです。

⑥ 本当に恐ろしいのは、「小さな正当化」である
プラトンが本当に恐れているもの。
それは、犯罪そのものだけではありません。
犯罪を生み出す、魂の腐敗です。
人間は、ある日突然、悪人になるわけではありません。
誰かに侮辱された。
言い返した。
相手は謝らなかった。
「自分こそ正しい」
その確信が、少しずつ怒りを大きくしていく。
プラトンが恐れるのは、この最初の一歩です。
大きな犯罪は、いきなり生まれない。
小さな正当化の積み重ねから生まれる。
つまり犯罪は、魂の病が外へ現れた症状です。
ここで、これまでの回がつながります。
なぜ音楽や祭りが重要だったのか。
なぜ子どもの遊びまで国家が気にしたのか。
すべては、犯罪が起きる前に、魂を整えるためでした。
刑罰は最後の処置です。
本当はその前に、教育が必要だった。
習慣が必要だった。
よい毎日が必要だった。
プラトンは、犯罪が起きてから慌てて直す国家を考えていたのではありません。
犯罪が起きにくい魂を、時間をかけて育てようとしていたのです。

⑦ 法律は、「魂の医術」になる
ここで、プラトンが到達した地点が見えてきます。
法律とは、命令ではない。
法律とは、脅しでもない。
法律とは、魂を導くためのものだ。
この問いは、今も続いています。
刑務所は、改善のための場所か。
それとも、社会から切り離すための場所か。
犯罪者は、治療されるべき存在か。
それとも、排除されるべき存在か。
プラトンは、この問いに簡単な答えを出してはいません。
国家とは、人間の魂をどう扱うかという、終わらない実験の場なのです。

