【プラトン全集第11巻『ティマイオス』後編】まとめ
〖はじめに〗
前編でプラトンは、宇宙そのものを語りました。
世界は偶然できたのではない。善なる知性によって、秩序あるものとして作られた。時間もまた、宇宙とともに生まれた。
では、その宇宙の中で、人間はどう生きればよいのか。
『ティマイオス』後編で、プラトンは視線を宇宙から人間へ移します。
快楽。苦痛。身体。病気。魂。そして転生。
ここから語られるのは、単なる医学ではありません。
人間はなぜ乱れるのか。どうすれば整うのか。
『ティマイオス』後編は、宇宙論の続きでありながら、同時に人生論でもあるのです。

① 快楽とは、回復である
真夏の炎天下を歩き続けたあと、冷えた水を飲む。
あの瞬間、身体の奥からほっとする。私たちはそれを快楽と呼びます。
けれどプラトンは、そこで立ち止まります。
それは新しい喜びが加わったのでしょうか。それとも、乱れた状態が元に戻っただけなのでしょうか。
ティマイオスによれば、苦痛とは自然な状態から急に引き離されることです。火傷をする。強くぶつける。空腹で苦しくなる。身体の調和が崩れる。それが苦痛です。
では快楽とは何か。
プラトンにとって快楽は、乱れた状態が回復することでした。
空腹のあとに食べる。渇いたあとに水を飲む。疲れた身体を休める。
快楽とは、壊れたものが修復される感覚なのです。
だからプラトンは快楽を完全には否定しません。
しかし、最高のものとも見ない。
理想は、乱れてから回復することではなく、そもそも大きく乱れないこと。
つまり、穏やかな調和です。

② 身体は、魂のために作られた
次にティマイオスは、人間の身体へ入っていきます。
プラトンにとって身体は、ただの肉体ではありません。魂を収める器です。
しかも魂には三つの部分があります。
理性。気概。欲望。
理性は、ものを考える力。
気概は、不正を見て怒れる力。臆病者はそれを失い、無法者はそれを暴走させる。
欲望は、食べたい、飲みたい、楽しみたいという力です。
神々は、それぞれを身体の中に配置しました。
理性は頭へ。気概は胸へ。欲望は腹へ。
頭には統治者。胸には兵士。腹には市場。
まるで人間の身体そのものが、小さな国家のようです。
プラトンにとって身体は、理性が欲望を導くための設計図だったのです。

③ 肝臓は、欲望を映す鏡だった
ここで突然、肝臓が登場します。
現代人には奇妙に見えますが、古代ギリシアでは肝臓は特別な臓器でした。供犠では動物の肝臓が観察され、そこに神々の意志を読もうとしたのです。
プラトンは、そのイメージを哲学に取り込みます。
理性は頭にある。欲望は腹にある。
しかし理性の声は、そのまま欲望には届きにくい。
そこで神々は、肝臓を作った。
肝臓は、理性の命令を映す鏡のようなものです。欲望が暴れそうになったとき、そこに理性の影を映す。夢や予言も、この肝臓と関係すると考えられました。
もちろん、これは現代医学ではありません。
けれど、この奇妙な話にはプラトンらしい核心があります。
人間の中には、支配するものと、従うべきものがある。
身体は、魂の秩序を守るために作られていたのです。
④ 生きるとは、壊れながら直ること
さらにティマイオスは、生命の仕組みを語ります。
人間の身体は、じっと同じ形で存在しているわけではありません。
食べる。呼吸する。血が流れる。
身体は常に変化しています。
言い換えれば、私たちは少しずつ壊れ続けている。
それでも生きていられるのは、栄養によって補修されているからです。食べ物は血となり、全身へ運ばれ、失われたものを補う。
生命とは、完成した建物ではありません。
むしろ、絶えず修理され続ける家のようなものです。
若さとは、修理がうまくいく状態。
老いとは、修理が追いつかなくなる状態。
死とは、魂と身体の結びつきがほどけること。
ここでもプラトンは、秩序という視点を失いません。
健康とは、身体の調和が保たれていること。
病気とは、その調和が崩れることなのです。

⑤ 悪人は、病人だった
そして後編で、もっとも重要な思想が出てきます。
病気は、身体だけに起こるのではない。
魂にも起こる。
プラトンにとって悪とは、単なる性格の悪さではありません。魂の病気です。
無知。欲望への支配。節度のなさ。怒りに飲まれること。
これらはすべて、魂の調和が崩れた状態です。
この考えは、プラトン自身の経験とも重なります。
彼はかつてシチリアへ渡り、若い支配者ディオニュシオスを哲学によって導こうとしました。
しかし宮廷では、理性よりも快楽や疑いが優先された。哲学の議論は笑いに流され、プラトン自身も奴隷として売られかけたと伝えられています。
欲望に支配された魂が、そのまま王座に座ればどうなるのか。
プラトンはその危険を、身をもって知ったのです。
だから悪人とは、好きで悪くなった人というより、魂が病んでいる人でした。
悪を病気と見るなら、必要なのは復讐ではありません。
治療です。教育です。訓練です。
魂を整えることです。
ここには、後の『法律』につながる考えがあります。
犯罪と罰は、ただ苦しめるためにあるのではない。魂を治すためにある。
人間は間違える。欲望に負ける。怒りに飲まれる。
だから悪人は敵ではなく、治療を必要とする魂なのです。

⑥ 身体だけでも、魂だけでも足りない
では、人間はどうすれば健康に生きられるのか。
ティマイオスの答えは、とても現実的です。
身体だけを鍛えてはいけない。魂だけを鍛えてもいけない。
運動ばかりして考えることを怠れば、魂は粗くなる。
反対に、考えてばかりで身体を動かさなければ、身体は弱り、魂も不安定になる。
何か一つに全力を注いだとき、人間はいつのまにか、それ以外を捨てていることがあります。
だから必要なのは、両方の調和です。
プラトンにとって健康とは、単に病気がないことではありません。
身体と魂が、互いに支え合っている状態でした。
⑦ 宇宙を見よ
ここでティマイオスは、再び宇宙へ戻ります。
なぜ人間は、星を見るのか。なぜ天体の運動を学ぶのか。
それは知識を増やすためだけではありません。自分の魂を整えるためです。
前編で語られたように、宇宙は秩序ある存在でした。
星々は規則正しく動く。太陽は昇り、月は満ち欠けし、季節は巡る。
その秩序を見ることで、人間は自分の中の乱れを正すことができる。
プラトンにとって、宇宙は教科書でした。
空を見上げることは、ただ遠くを見ることではない。
自分の魂を、より大きな秩序へ合わせることだったのです。
哲学とは、机の上だけで行うものではありません。
星空を見ることからも始まる。
人間は宇宙を学ぶことで、自分自身を学ぶのです。

⑧ 人間は、生き方によって変わる
最後にティマイオスは、転生の話をします。
理性を育てられなかった魂は、次の生で別の姿を取る。
鳥。獣。魚。
欲望に支配されるほど、魂は理性から遠ざかっていく。
これは比喩なのか、本気で信じていたのか。今でも解釈は分かれます。
ただ少なくともプラトンは、魂の生き方が次の姿を決めるという考えを、真剣に語っていました。
現代の生物学ではありません。
けれど寓話として読むと、意味は分かりやすい。
人は、何を繰り返すかによって変わる。
怒ってばかりいれば、怒りっぽい人になる。
欲望に従ってばかりいれば、欲望に支配された人になる。
考えることを避け続ければ、理性は弱っていく。
プラトンはそれを、転生の神話として描いたのです。
人間は生き方によって、魂の形を変えてしまう。
これが『ティマイオス』の最後に置かれた、厳しい警告でした。

