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【ギリシア哲学】『アカデメイア学派5代目学頭クラテス(アテナイ)』

――静けさを受け取り、学園を次へ渡した人

〖はじめに〗

二人の哲学者が、
同じ墓に葬られたと伝えられています。

一人はポレモン。
かつては放蕩の青年だった人です。
酒に酔い、飾り立てた姿で歩き、
荒れた生活を送っていた人。

もう一人は、クラテス。
ポレモンの弟子。
そして、のちにアカデメイアを継いだ人です。

二人は、ただの師弟ではありませんでした。
同じ場所で学び、
同じように暮らし、
同じ方向へ自分を整えていった。
だからでしょうか。

死後、二人は同じ墓に入った。
ポレモンの隣に、
クラテスは眠りました。

その距離の中に、
クラテスという人の哲学が見えてきます。

① 乱れた青年が、静かな師になる

クラテスを語る前に、
まずポレモンの話から始めます。
ポレモンは若いころ、
かなり乱れた生活をしていたと伝えられます。

酔っていた。
騒がしかった。
身なりも派手だった。
哲学者というより、
町の快楽に引っぱられている若者です。

ある日、彼は仲間とともに、
クセノクラテスの講義の場へ入り込んだとされます。
まじめに学ぶつもりではなかったのでしょう。

冷やかし半分。
酒の勢い。
場を乱すつもり。
ところが、クセノクラテスは動じませんでした。

怒鳴らない。
追い出さない。
相手にしないわけでもない。
ただ、話を続けた。

そのとき語られていたのは、
節度についてだったとも伝えられます。
人は、どうすれば欲に引きずられずに生きられるのか。

快楽に負けず、自分を保てるのか。
酔って入ってきた青年の前で、
まさにその話が続いていた。

それは、説教よりもきつかったはずです。
騒いでいたポレモンが、
黙って座る。

飾り立てた外見よりも、
内側の乱れのほうが恥ずかしくなる。

ここでポレモンは変わったと伝えられます。
人は、議論に勝って変わるのではない。
静かな人の前で、
自分の乱れに気づいて変わることがある。

クラテスが見たのは、
生まれつき静かな師ではありません。
乱れたところから、
静けさへ変わっていった人でした。

② クラテスは、言葉ではなく距離で学んだ

クラテスは、
ポレモンのそばにいた人です。
ただ講義を聞いた弟子、
というだけではありません。

古い伝承では、
二人は同じ場所で暮らし、
深く結びついていたように語られます。

クラテスが受け取ったのは、
ポレモンの思想だけではなかったはずです。

朝、どんな顔で人に会うのか。
議論が熱くなったとき、どう黙るのか。
腹を立てそうな場面で、どこまで踏みとどまるのか。

若者が得意げに話すとき、どう聞くのか。
哲学は、言葉だけなら簡単に立派になります。

正義を語る。
善を語る。
魂を語る。
けれど、目の前の人に乱暴な言葉を返した瞬間、その人の哲学は崩れます。

クラテスは、
ポレモンの言葉だけを聞いたのではありません。
師のそばにいることで、
哲学が生活になる瞬間を見ていた。

近くにいる人の呼吸が、
少しずつ自分に移っていくように。
クラテスの学びは、
その距離の中にありました。

③ 感情に勝つのではなく、感情を荒らさない

クラテスの哲学には、
大きな発明があったわけではありません。
けれど、ひとつの姿勢がありました。

感情を荒らさないこと。
これは、弱さではありません。
怒らないふりでもない。
何も感じない人間になることでもない。

怒りそうになったとき、
自分の声が大きくなるのに気づく。
言い返したくなったとき、
一呼吸だけ置く。

褒められたとき、
自分が少し膨らみそうになるのを知る。
クラテスが学んだのは、
おそらくそういう小さな稽古でした。

誰かが挑発する。
誰かが若さにまかせて言い過ぎる。
誰かが浅い知識で得意になる。

そこで、すぐに乱れない。
感情に勝つのではありません。
感情に引きずられて、
自分の姿を崩さないこと。

クラテスの静けさは、
その小さな稽古の中にありました。
アカデメイアの人格教育とは、
きれいな標語ではありません。

目の前の人に、
どう返すか。
その積み重ねでした。

④ クラテスは、静けさを学園の空気にした

プラトンのアカデメイアには、
大きな問いがありました。

善とは何か。
正義とは何か。
魂とは何か。
国家はいかにあるべきか。

けれど、クラテスの時代に強く見えてくるのは、もう少し近い問いです。
では、それを考える人間は、
どう生きるのか。

善や正義を語っても、
日々の振る舞いが乱れていれば、
哲学は言葉だけになります。
正しいことを語る口で、
人を見下してしまう。

魂を語りながら、
自分の欲に引きずられてしまう。
節度を語りながら、
すぐに怒りに呑まれてしまう。

それでは、
言葉だけが立派になってしまう。
クラテスが受け継いだアカデメイアは、
知識を積む場所であると同時に、
人間の姿勢を整える場所でした。
歩き方。
黙り方。
人の話を聞くときの顔。
反論されたときの呼吸。
そういうところに、哲学が出る。

クラテスは、
新しい理論で学園を変えた人ではありません。
ポレモンから受け取った静けさを、
アカデメイアの空気として残した人でした。

⑤ 目立たない人が、次の時代へ渡す

哲学史では、
どうしても大きな名前が前に出ます。
ソクラテス。
プラトン。
アリストテレス。
彼らは、たしかに巨大です。

けれど、学園を続かせるのは、
いつも天才だけではありません。
天才が残した場所を、
毎日開ける人がいる。
若者を迎える人がいる。
議論が荒れたとき、空気を戻す人がいる。
派手な結論より、穏やかな生活を大事にする人がいる。
クラテスは、そういう人でした。

時代を切り裂く人ではない。
けれど、切れそうな糸をつないだ人です。
ポレモンから受け取り、
次の世代へ渡す。

その先には、
アルケシラオスがいます。
クラントルもいます。

アカデメイアはやがて、
「本当に知っていると言えるのか」と問い直す場所へ進んでいきます。
その大きな変化の前に、
ポレモンからクラテスへ、
生活としての哲学が渡されていた。
クラテスは、
そのつなぎ目にいた人でした。

目立たない。
けれど、
いなければ流れが途切れてしまう。
学園とは、
そういう人によって続いていくのだと思います。

おわりに

クラテスは、
ポレモンの隣で学びました。

乱れた青年が、
静かな哲学者へ変わっていく。

その変化を、
知識ではなく、生き方として受け取った。

そして、
その静けさを次の世代へ渡した。

最後に、
彼はポレモンの隣に眠りました。

師の隣で学び、
師の隣で生き、
師の隣に葬られた。

クラテスの哲学は、
その距離の中にありました。

【哲学者データ】
名前 クラテス
生没 前4世紀後半〜前3世紀前半頃
出身 アテナイ
系統 アカデメイア学派
所属 アカデメイアの5代目学頭
活動 アテナイ、アカデメイア
師  ポレモン
弟子 アルケシラオス、クラントルなど
思想 人格形成・節度・穏やかな生活を重視
立場 ポレモンの哲学を継承し、アカデメイ 
   アを人格教育の場として維持
逸話 ポレモンと深く結びつき、同じ墓に葬   
   られたと伝えられる

アカデメイア学派一覧

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