【ギリシア哲学】『アカデメイア学派クラントル』
〖はじめに〗
人が泣いている。
大切な人を失い、
もう戻らない名前を呼びながら、
胸の奥が崩れていく。
その人の前で、
哲学者は何を言えるのか。
「悲しむな」と言うのか。
「死は誰にでも来る」と説くのか。
「理性で乗り越えよ」と命じるのか。
クラントルは、
そうはしませんでした。
彼は、悲しみを敵のようには扱わなかった。
悲しみは、消せばよいものではない。
人間である以上、避けられない痛みがある。
ただし、
その痛みに飲み込まれてはいけない。
クラントルは、
悲しみを消す哲学ではなく、
悲しみを整える哲学を考えた人でした。
彼の代表作は、
『嘆きについて』。
それは、子を失った友人のために書かれた、
一冊の慰めの書でした。

① 子を失った友へ書かれた本
クラントルの名を残したのは、
大きな国家論ではありません。
世界の成り立ちを語る宇宙論でもない。
人を論破する鋭い議論でもない。
彼の名を残したのは、
悲しんでいる友人へ向けた一冊でした。
友人ヒッポクレスが、
子を失った。
家の中から、
子どもの声が消える。
いつもいた場所に、
もう誰もいない。
机の上には、
子どもが触れていたものが残っている。
けれど、
それを使う小さな手だけが、もうない。
小さな足音も、
呼びかける声も、
食卓の気配も消えている。
その空白の前で、
父親は立ち尽くす。
そこへクラントルは、
哲学を書いた。
けれどそれは、
冷たい正論ではありません。
「泣くな」ではない。
「忘れろ」でもない。
「理性ある者は悲しむべきではない」でもない。
クラントルは、
悲しみを人間にとって自然なものだと見ていました。
問題は、悲しむことではない。
悲しみに壊されてしまうことです。
だから彼は、
悲しんでいる人の前に、
一冊の本を置いた。
悲しみとともに、
もう一度立つために。

② 「悲しむな」では、人は救われない
人が深く悲しんでいるとき、
正しい言葉は、ときに鋭すぎます。
「誰にでも死は来る」
「時間が解決する」
「前を向かなければならない」
どれも、間違いではありません。
けれど、
その瞬間の人には届かないことがあります。
胸に穴が空いている人に、
世界の仕組みを説明しても、
穴はすぐには塞がらない。
クラントルは、
悲しみを単純に悪いものとは見ませんでした。
悲しみがあるのは、
愛したものがあったからです。
嘆きがあるのは、
失ったものが軽くなかったからです。
もし何も悲しまないなら、
それは強さではなく、
心が硬くなりすぎているのかもしれない。
だからクラントルは、
悲しみを根こそぎ抜こうとはしませんでした。
悲しみを、人間の中に残す。
ただし、
暴れさせたままにはしない。
泣いてもよい。
けれど、悲しみが人生全体を支配してはいけない。
悲しみは消すものではない。
形を整えるものなのです。

③ 痛みを「なくす」のではなく、「持てる形」にする
クラントルの考え方は、
かなり現代的に見えます。
心の痛みを、
無理に否定しない。
けれど、
そのまま放置もしない。
割れた器を、
「割れていない」と言っても戻りません。
必要なのは、
割れた事実を認めながら、
もう一度、持てる形にしていくことです。
クラントルにとって、
悲しみもそれに近かったのでしょう。
悲しみは、
人から取り上げてはいけない。
しかし、
その人自身を傷つけ続ける形のままにしてはいけない。
だから哲学が必要になる。
悲しみを否定するためではありません。
悲しみと一緒に、なお生きるためです。

④ アカデメイアにいた、悲しみの哲学者
クラントルは、
プラトンのアカデメイアに属した人です。
そこには、
善や正義を語る声がありました。
魂とは何か。
国家はいかにあるべきか。
人間はどう生きるべきか。
大きな問いが、
日々交わされていたはずです。
けれどクラントルは、
その問いを、泣いている人の部屋へ持っていきました。
子を失った父親。
取り返しのつかない喪失。
すぐには立ち上がれない心。
そこに哲学を置いた。
哲学は、
広場で議論するためだけにあるのではない。
学園で賢さを競うためだけでもない。
人が泣いている部屋にも、
哲学は入っていける。
クラントルは、
その扉を開けた人でした。

⑤ ローマ人たちが読んだ「黄金の本」
クラントルの『嘆きについて』は、
後の時代にも読まれました。
特にローマでは、
慰めの文章の大切な手本になったとされます。
ストア派のパナイティオスは、
この本を「黄金の本」と呼び、
暗記する価値があるほどの本だと評したとも伝えられます。
そして、キケロ。
ローマを代表する政治家であり、
弁論家であり、
強い言葉を持っていた人です。
そのキケロが、
娘トゥッリアを亡くした。
人前では言葉を操れた人が、
娘の死の前では、
一人の父親になった。
強い言葉を持つ人が、
言葉を失う。
その悲しみの中で、
キケロは慰めについて考えました。
その背後にあった大きな一冊が、
クラントルの『嘆きについて』でした。
哲学は、
強い人だけのものではありません。
強い言葉を持つ人が、
それでも崩れるときがある。
そのときに必要なのは、
勝つための哲学ではなく、
壊れないための哲学です。
クラントルの本は、
その場所で読まれました。

⑥ 悲しみを持つことは、弱さではない
泣いてよい。
苦しんでよい。
失ったものを大切に思い続けてよい。
ただ、
その悲しみを抱えたまま、
もう一度立てる形にしていく。
クラントルの『嘆きについて』は、
そのための哲学でした。

おわりに
クラントルは、
悲しみを消そうとした人ではありません。
悲しみを、
人間から取り上げようともしませんでした。
彼が見つめたのは、
泣いている人の心です。
子を失った父の前で、
哲学は何ができるのか。
その問いに、
クラントルは一冊の本で答えました。
深い喪失の前に、
一冊の本が置かれていた。
それは、悲しみを消すためではなく、
悲しみとともに生きるための本でした。
【哲学者データ】
名前 クラントル
生没 前4世紀後半〜前3世紀前半頃
出身 キリキア地方ソリ
系統 アカデメイア学派
所属 古アカデメイアの哲学者
活動 アテナイ、アカデメイア
師 クセノクラテス、ポレモン、クラテス
弟子 アルケシラオスに影響を与えたとされる
思想 悲しみを否定せず、理性によって整えることを重視
立場 感情を消すのではなく、人間らしいものとして受け止め、過度に乱されない生き方を説いた
逸話 友人の死を悲しむ人物に向けて『悲しみについて』を書いたと伝えられる

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