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【連載恋愛小説】Destin “運命” | Chapter1ー#4「戻るもの、動き出すもの」

二人を繋ぐモバイルバッテリー。SNSを通して探し当てた相手は、想像よりはるかに遠い世界に生きる存在だった。
それでも、すれ違いと戸惑いの中で、二人の距離は確かに近づき始める。
パリ、ソウル、そしてスイス——遠く離れた三つの街を舞台に、傷ついた心が再び動き出す瞬間、人は“運命”を信じたくなる。

翌日の夜。仕事を終えた Nana は、ホテルのフロントへ向かった。
「私宛に、何か届いていますか?」
スタッフは穏やかに微笑み、一通の封筒を差し出す。
中には、小さなメッセージカード。

――I’ll be waiting for you at the lounge upstairs. — Sion
(上の階のラウンジで、お待ちしています。Sion)

Nana の指先が止まる。
返却だけなら、フロントに預ければ済むはず。
それなのに、本人が来ている。……どうして?
小さな違和感を抱えたまま、Nana はエレベーターへ乗り込んだ。
胸の奥では、理由のわからない鼓動だけが、静かに速さを増していた。


ラウンジは静かだった。平日の夜。
客はまばらで、窓の向こうには、
宝石を散りばめたようなソウルの夜景が広がっている。
低く流れるジャズ。グラスが触れ合う、小さな音。
磨き上げられた木の香りが、落ち着いた空気をつくっていた。

その奥の窓際に、一人の男性が座っている。
黒いキャップ。黒のジャケット。
背中だけでわかる。──あの時の人だ。


Nana が近づくと、男性がゆっくり振り返った。
目が合う。
一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに柔らかな笑顔へ変わった。
「こんばんは」
「こんばんは」
空港以来の再会。まだ数日しか経っていないのに、どこか久しぶりに感じた。

Nana は英語で切り出す。
「モバイルバッテリー、ありがとうございます。受け取りますね」
その言葉を聞くと、Sion は立ち上がり、深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
真剣な表情だった。一つひとつ言葉を選びながら話す英語からは、
誠実さだけがまっすぐ伝わってくる。

「フロントに預けようとも思ったんですが……
ちゃんとお会いして、直接お詫びしたくて」
その一言に、Nana の警戒心が少しだけ和らぐ。

Sion は照れたように笑った。
「搭乗が始まっていて……しかも、その……寝ぼけていて……」
少しの沈黙。
Nana は思わず吹き出した。
「寝ぼけてたんですか?」
「……はい」
「それは、少しだけ同情します」
小さく笑って続ける。
「私も席を離れていましたし」
その一言で、二人の間の空気がほどけた。Sion もようやく笑う。

「DM を見た時、正直、怒られると思っていました」
「怒ってますよ」
Nana は真顔で答える。
そして、口元だけがゆるむ。
その表情に、Sion は思わず笑ってしまった。
静かなラウンジに、小さな笑い声が溶けていく。


少しして、Sion が静かに言った。
「もしよければ……一杯どうですか?」
「改めて、ちゃんとお礼を伝えたくて」

断る理由はいくらでもあった。
仕事帰りで疲れている。
明日も予定がある。
それでも。目の前の男性から伝わるのは、押しつけでも、下心でもなかった。誠実さだけだった。

Nana は少し考え、そして小さくうなずく。
「……一杯だけ」
その瞬間、Sion の表情が明るくなる。どこか少年のような笑顔だった。
グラスが運ばれ、静かな時間が流れ始めた。


「改めて。Nana Bride です。パリでデザイナーをしています」
「Park Sion です」
「それは知っています」
一瞬の間。
二人は顔を見合わせ、笑った。
その笑顔をきっかけに、会話は自然と弾み始める。
パリでの暮らし。新しいコレクションの準備に追われる毎日。
展示会の直前は、夜遅くまで仕事が続くこともある。
一方で、Sionは撮影現場の話を聞かせてくれた。
早朝から始まる撮影。長い待ち時間。
華やかな世界の裏側には、積み重ねるような地道な時間があること。
「追いかけられることもあります」
少し照れたように笑う。
「大変ですね」
「もう慣れました」
笑顔の奥に、ほんの少しだけ疲れが見えた。
Nana はそれ以上聞かなかった。


「韓国には、よく来られるんですか?」
「仕事で年に4、5回は」
Nana は微笑む。
「友達と会ったり……江陵に住む祖母の家へ行ったり」
「江陵?」
「はい。明日も午後から行く予定です」
少し懐かしそうに続けた。
「父が韓国人なんです。子どもの頃と高校は、韓国で過ごしました。
母は日本とフランスのルーツがあります」

Sion が少し身を乗り出す。
「もしかして……韓国語も話せますか?」
Nana は少しだけ間を置いた。
そして、韓国語で微笑む。
「もちろんです」
——静寂。

Sion は目を丸くしたまま、言葉を失う。
数秒後。額に手を当て、苦笑した。
「どうして……空港で言ってくれなかったんですか」
「聞かれなかったので」
あまりにも自然な返事に、Sion は吹き出した。
「でも、韓国語で話してくれたら……」
「最初に日本語で話しかけられました」
さらりと返す Nana。
その表情には、少しだけいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「なるほど……。それは僕の負けですね」
肩をすくめる Sion に、Nana も思わず笑った。
空港で感じたぎこちなさは、もうどこにもなかった。

少し笑いが落ち着いた頃。
Sion が照れくさそうに尋ねる。
「ところで……僕の英語、どうでした?」
Nana は少しだけ考えるふりをした。
真面目な表情で見つめる。
「……合格です」
その瞬間。二人は同時に笑った。笑い声が、静かなラウンジへ溶けていく。
気づけば、グラスは空になっていた。
それでも、どちらからともなく席を立とうとはしない。
沈黙さえ、心地よかった。

ふと、Sion の視線が、テーブルの上へ落ちる。
モバイルバッテリー。白いステッカーに貼られた文字を見つめる。
「最初は、読めなかったんです」
静かな声だった。
「気になって、調べました」
Nana の指先が、ほんの少し止まる。
Sion は、ゆっくりとその文字を口にした。
「Destin……」
少したどたどしい、フランス語の発音。
「『運命』……そういう意味ですよね」
——静寂。

グラスの氷が、小さく音を立てる。
Nana は、モバイルバッテリーへ視線を落とした。
その小さな文字を、しばらく見つめる。
やがて、ゆっくりと顔を上げた。Sion をまっすぐ見つめる。

「Sion さんは——」
少しだけ間を置く。
「運命って、――信じますか?」

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#5


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