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じぃじのこと

noteに祖父のことを書いてから、祖父と一緒に過ごした時間を思い出してばかりいる。今日は、いつもお世話になっている美容師さんに、祖父の話をたくさん聞いてもらった。それなのに、まだ祖父との思い出が溢れてくる。


祖父にとって私は初孫だったし同じ町内に住んでいたから、ともに過ごした時間は他の孫たちに比べて長かった。

祖父の服装は、スティーブ・ジョブズのように固定化されたものだった。暑い季節はワイシャツとジーンズ、寒い季節はそこにワインレッドのベストとネクタイ、グレーのジャケットを加える。見慣れていたので何も思わなかったが、よく友人から「おしゃれなおじいちゃんだね」と言われた。

学校帰りは、毎日のように祖父のもとを訪れた。一緒にお茶を飲み、他愛もない話をたくさんして、時代劇やアニメの再放送を一緒に見た。お互い煙草をたしなんでいた時期は1本ずつ交換したこともあったが、メンソールは彼の口に合わなかった。祖父は煙草の箱に入っていた銀紙を丸め、大きな球を作っていたこともあった。なんでそんなことをしているのかと尋ねたら、「こんなにタバコを吸ったぞ」と示すことが目的だと教えてくれた。

祖父から、病気が見つかったとこっそり打ち明けられたこともあった。経過観察は必要だが急いで治療を要するものではなく、「みんなには内緒だ」と言われたので、本当に誰にも言わなかった。数年後にそれを知った叔母からは、どれだけ律儀に秘密を守るんだと呆れられた。 

散々祖父に甘えさせてもらった私だが、一度だけ彼に優しくできない日があった。祖父に悪気はなかったし、今となっては全然大したことじゃない。それでも、寝不足が続いていた当時の私は全く余裕がなく、怒ってしまった。大分時間が経ってやっと、ひどいことをしたのだと気がついた。もう謝れないし、この後悔は一生拭えない。

過去と現在の記憶が混じるようになっても、筋が通らないことを嫌い、自分より幼いものに優しくあるべしという祖父の姿勢は変わらなかった。「なんたることか」とか、「優しくするんだぞ」と、何度も口にしていた。周囲に対して苛立つ日もあったそうだが、孫には最期まで甘かった。

祖父が授けてくれた名前は、私の宝物だ。小中学生の頃は、音の響きが古臭い、土産物屋のハンコ売り場に同じ名前がない、習字で書くのが難しいといったくだらない理由で不満を感じたこともあった。でも、初孫への惜しみない愛情がこもった名前だという事実を忘れたことはない。無論、大人になった今は、「本当にいい名前だ」といつも誇らしく感じている。

好きなお菓子やヨーグルトを美味しそうに食べる表情、真剣な表情で新聞を読む姿、左折の際にウィンカーを出すタイミング、旺盛な好奇心と変化を受け入れる柔軟さ、私を見つけて「おぅ!」と声をかけるときの笑顔……到底書ききれない量だけど、全部ちゃんと覚えてる。

私は祖父のことを「じぃじ」と呼ぶ。幼い頃に覚えた呼び方は、大人になってからも変わらない。じぃじのことを大好きな気持ちもずっと変わらない。

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