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アイデンティティを取り戻す

数年前から私に降りかかっていたのは,尊厳にかかわる問題だったのだと思う。何度も苦しいと訴えたが,待てど暮らせど助け船はやって来ない。そして気づいたときには,「自分がなぜこの道を選んだのか」「これからどうしていきたいのか」が分からなくなっていた。すっかりアイデンティティを見失った。

それでも何とか食いぶちを稼がねばならないので,他の道を模索していた。もっと穏やかで歩きやすい道はないだろうかと,一生懸命探した。しかし,なかなか見つからない。そもそも私に「やりたいこと」それ自体がないので,フィットするものなど見つかるわけがなかった。

無気力ながら,最低限やるべきことは何とかこなしていた。エネルギー消費が少ない代わりに,達成感や充実感は存在しない時間ばかりが過ぎていた。消化試合は苦痛だったが,たまに光が見え,心が動くこともあった。



先月末から取り組んでいた書類作成は,私にとって最低限やるべきことの1つだった。この書類では,これまで自分が取り組んできた内容をまとめ,今後取り組むものについて記載する必要があった。伝えたいことが読み手に齟齬なく伝わるよう,そして一貫性を保ちながら論旨を展開できるよう,推敲を重ねた。

有難いことに,このプロセスに伴走してくださった方がいた。ディスカッションを通じ,惜しみなく示唆に富む助言をくださる上,いかに意義ある取り組みかを呪文のように繰り返し伝え,ひたすらエンパワーしてくださった。

今日,とうとう書類が完成した。やりきったことに安堵しながら,資料が散乱した机を片付けていると,ディスカッションの中でいただいた助言が目に留まった。その瞬間,「自分がなぜこの道を選んだのか」「これからどうしていきたいのか」の答えが見つかった。


私がこれまで取り組んできたことと,今後取り組もうとしていることは,一見すると異なるものに見えるが,両者には共通性があった。どうやら私は,光の届きにくい場所を直視し,そこへ光をあてたいらしい。答えはずっと,自分の中にちゃんとあった。

見えているのに,見ないふりはできない。もとより,そんな生き方はしたくもない。おそらくこれは,祖父ゆずりの難儀な性分だ。祖父の辞書に,忖度という言葉はないのだろう。おかしいと感じたものごとに対し,祖父が口をつぐんだ姿は見たことがない。ちなみに,背が高く孫に甘い彼が,私に名前を授けてくれた。

光の届きにくい場所へ,光をあてる。
たしかにそこに在るものを,誰しも見えるように描き出す。
今日やっと,これが自分のアイデンティティだと思い出すことができた。

目指す先が明確になった今,もう迷いなく舵をきれる。
祖父にもらった名前が,まばゆい光を取り戻した。

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