【連結経理課・和服ちゃん】(PMI編7営業日)苦悩、機会、正当化
営業部は営業1課と2課とで構成されている。1課は主に既存顧客対応、2課は新規顧客の発掘と関係強化が主な役割である。エコペンテック社は既存顧客との取引が八割を占めたが、近年の2課創設と営業部全体で取り組んだ新規顧客発掘プロジェクトによる成果により新規取引先の売上高は全体の四割まで増えることとなった。ただし、新規顧客からの受注は小口であることが多く、ここ2年間では全体として売上は横ばいとなっている。
(アーサー&マーク・アドバイザリーからのDDレポート 29ページ)
伊原は八年前に先代社長に拾われた。
先代社長――このエコペンテックを営業面で作り上げたカリスマ。
商談の詰め方、顧客との距離の取り方、空気を読む技術、伊原はこの先代社長から盗めるものはすべて盗んだと自負している。
先代社長は自分が拾った伊原を可愛がった。それに応えるかのように、伊原は社内の誰しもが認める営業マンとなった。
――ただ、先代の数値を謙虚に受け止めるという姿勢を見ることができなかったのは、伊原にとって一番不幸なことだった。
三年前。
先代社長が大病を患い、会社は大きく変わった。
開発部にいた先代の息子――三枝陽太郎が、二代目社長に就任した。
運が悪かったとしか言いようがない。二代目は、目の前の顧客より将来性という名の幻想を追いかける男だった。
それに、営業はいい月があれば悪い月もある。先代は長期的な成果を重視し、短期的な評価は行わないスタンスだった。
だが、二代目は違った。
「先月より大きく落ち込んでいるじゃないか! 理由は? 答えろ!」
「理由なく落ち込んでいるのは営業の怠慢じゃないか?」
「減給も有り得るぞ?」
営業主任以上を全員集めた営業報告会での社長は普段とは全く違っていた。気まぐれに社長が参加した報告会は公開処刑場に様変わりをした。
実際、ある主任が減給され、誰にも告げぬまま去っていった。
その恐怖は、営業部全体を黙らせた。
二代目に代替わりをした時、伊原には人数は少ないものの自分を慕ってくれる部下がいた。決して高くはない年収でも、彼を信じてついてきてくれる奴らが。
そんな理不尽な扱いを、部下にだけは絶対にさせたくなかった。
そんな時だった。偶然、田端が机に置き忘れた資料を目にした。
XX年X月 取締役会 X月業績説明資料
伊原は、迷わず手に取った。
開かれた資料には、売上高、原価、人件費、経費と項目が分かれ、それぞれの項目にはごく簡単な説明だけがあった。
……そうか。とにかく、売上だ。
売上さえ維持できれば、他の数字は、誰も深く見ていない。
伊原は覚悟を決めた。
手始めに、彼は社内の何でも屋になった。部門を超え、若手の相談に乗り、総務がなかなか手が回らなかった作業を率先し、時には開発部への御用聞きもした。
それも、自分や自分のチームの営業成績は落とさずに。
血のにじむような努力だった。
その努力は報われ、たった三ヶ月で営業兼総務という立場を手に入れた。
管理部全体を統括する田端が総務のポジションを深く理解していなかったことも大きい。
しかし皮肉なことに、伊原の努力は自身をさらに苦しめた。総務との兼務が始まった後すぐに、伊原は営業2課長へ昇進した。
伊原にとって守るべき対象となる部下が増えたのだ。
伊原にとって幸運だったのは、経理の山口が近頃は仕事に張りが無く、目に見えてミスが増えていることだった。
これなら、いける。誰も気づかない。それに…俺は今の部下を社長から守らなければならない。
――そう、これは戦いなんだ。
伊原はそう自分に言い聞かせた。
でも本当は、こんなインチキ――
言葉にならない、何かが喉元にまで上がってきた。しかし、伊原は部下の顔を思い出し、自分の感情を捨てた。
そして……伊原は人知れずパソコンをたたき始めた。
*
伊原が経理を偵察したその日、連日の疲れもあり経理課は田端部長も含め全員早めに帰った。
夜、誰もいないオフィス。
休憩室で、伊原は紙コップのコーヒーを無理やり胃に流し込んだ。
三和福子――あの子は危険だ。
彼女は、既に核心に近づきかけている。
あの可愛らしい笑顔に騙されてはいけない。そう、彼女は……他所から来た異物だ。
しかしこのままでは、間違いなくバレる。自分も、部下も、地獄に落ちる。
心臓が、バクバクとうるさい。伊原は必死に考えた。
――方法は、まだある。
「これは部下を守る、戦いなんだ」
そう自分に言い聞かせながら、伊原は紙コップをぐしゃりと握り潰した。
そして、静かに休憩室を後にした。
未来を、守るために。
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