想いが伝わって初めて意味を持つ―「礼に始まり、礼に終わる」 #45
■ コミュニケーションの本質とは何か
コミュニケーションとは、社会学的には社会組織の中で人と人のあいだに行われる、知覚・感情・思考の伝達とされています。
一方、心理学の観点では、自分自身との対話もまたコミュニケーションの一つと捉えられます。
このように考えると、優れたコミュニケーションとは、単に発信することではなく、相手に正しく「伝わる」ことによって初めて成立するものだと言えるでしょう。
■ 挨拶をしているのに伝わらない
息子が小学生の頃、担任の先生から「挨拶をしない」と指摘されたことがありました。
しかし、息子自身は「挨拶をしている」と主張します。
嘘をつくような子ではなかったため、不思議に感じたのを覚えています。
そのとき、ある禅問答を思い出しました。
「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」
音波自体は確かに発生します。
ですが、それを知覚する存在がいなければ、それは“音”として成立していると言えるのでしょうか。
この問いに対しては、「音はしない」とする考え方があります。
音とは、知覚されて初めて成立するものだからです。
息子の挨拶も同じでした。
確かに彼は挨拶をしていました。
しかし、それは小さな声で、先生に届いていなかったのです。

■ 挨拶と「礼」の関係
では、そもそも挨拶とは何かです。
その意味を考えるとき、「礼」という視点から捉えることが大切ではないかと思います。
「礼に始まり、礼に終わる」
これは柔道の創始者である嘉納治五郎師範の教えです。
礼とは非常に奥深いものですが、ここではひとまず「感謝の表現」として捉えてみたいと思います。

■ ゴルフのマスターズに見る「自然な礼」
2021年のゴルフ・マスターズ大会で、松山英樹選手が日本人として初めてメジャー優勝を果たしました。
その際、キャディーの早藤将太さんの行動が注目を集めました。
ウィニングパットの後、彼は帽子を取り、コースに向かって静かに頭を下げたのです。
この振る舞いは現地で大きな称賛を受けました。
「これが日本の礼儀」
「コースに敬意を払うのは素晴らしい」
といった声が上がったといいます。
しかし、ご本人は特別な感情があったわけではなく、
「ありがとうございました。ただそれだけでした。」
と語っています。

■ 人は一人では成長できない
人は決して一人では成長できません。
親や先生、上司や先輩はもちろん、同僚や時には後輩からも学ぶことがあります。
ゴルフにおいても、素晴らしいプレーは選手一人の力だけでは成り立ちません。
整えられたコースがあり、それを支える多くの人の働きがあるからこそ、最高のプレーが生まれます。
■ 出会いの意味を深めるということ
挨拶は一つの「行為」です。
しかし、どれほど「自分は挨拶をした」と思っていても、相手に伝わらなければ、それは成立しているとは言えません。
さらに言えば、声が届いたとしても、そこに礼の心が伴っていなければ、本来の意味は失われてしまいます。
頭を下げるという形だけでは、礼とは言えないのです。
ただ漠然と出会うだけでは、
それはすれ違いにとどまってしまいます。
いつ、どこで、誰と、どのように向き合うか。
その関わり方によって、そこから何が生まれるのかが決まります。
そして、その積み重ねによって初めて、
「なぜ出会ったのか」という意味が、静かに深まっていくのではないかと思います。
■ 礼で始まり、礼で終わる日々へ
人が成し遂げられることには限りがあります。
何かを成そうとするなら、必ずどこかで誰かの助けを受けています。
だからこそ、
礼で始まり、礼に終わる。
感謝で始まり、感謝に終わる。
日々の中で受けている支えに気づき、謙虚に、そして丁寧に、感謝の気持ちを礼として表していきたいものです。
それこそが、本当の意味でのコミュニケーションの在り方ではないでしょうか。
コミュニケーションとは、社会学的には、社会組織の中で、それを形成する人間の間で行われる知覚、感情、思考の伝達と言えます。
また、心理学的には、自分自身との対話もコミュニケーションとも言えるようです。
つまり、優れたコミュニケーションとは、人間から人間に知覚、感情、思考などの情報が正確に伝わることと解釈されます。
息子が小学校の頃に担任の先生から挨拶をしないことを指摘されたことがありました。
対して息子は、挨拶をしていると主張します。
嘘を着く様な子ではなかったので不思議に思いました。
「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」
•••これは、ある禅問答らしいです。

私は有名なビジネス書であるピーター・F・ドラッガーの「マネジメント」を読んだときに知りました。
確かに、木が倒れた際の音波は発生しますが、そこには、その音波を耳にする誰もいません。
音波は、人に〝知覚〟されることによって、初めて音となります。
つまり、「無人の山中で木が倒れたとき、音はしない」と言うのが答えです。
息子ですが、挨拶をしていました。
しかし、小さな声で先生に認識してもらえないような挨拶でした。
そもそも、挨拶とは何か、どんな意味があるかですが、武道などの挨拶でもある礼から考えてみるべきかと思います。
礼に始まり 礼に終る
これは柔道の創始者である嘉納治五郎師範の教えです。
正直、礼とは奥の深いものですが、ここでは、感謝の想いと捉えてみたいと思います。
2021年のゴルフのマスターズ大会で、松山英樹選手が日本人としてメジャー初優勝しました。
そして、その際にキャディーを勤められた早藤将太さんが注目されたことがありました。
それは、ウィニングパットの後に、帽子を取ってコースに頭を下げたのです。

現地では、
「これが日本の礼儀」
「コースに敬意を払うのは素晴らしい」
「アメリカ人ではこの礼儀を理解できないだろう」
と称賛されました。
当のご本人は、
「特別な感情はありませんでした。ありがとうございました、ただそれだけでした。」
と心境をコメントしています。
人は決して一人では成長することはできません。
親、先生、上司、先輩などの目上の方々は当然ながら同僚、場合によっては後輩から学ぶことも少なくありません。
ゴルフであれば、素晴らしいプレーも、プレーが出来るコースがあるからこそです。
そして、その素晴らしいコースを仕上げてくれた人たちの存在があったからこそ。
決して自分一人で、素晴らしいプレーができるものではないと思います。
挨拶は行為です。
一方が挨拶をしたと主張しても挨拶、さらには礼は成立しないのです。
もちろん、声が大きくて相手に「知覚」されたとしても、そこに礼が備わっていなければ意味がありません。
頭を下げるだけの行為が礼ではないのです。
人は一人で成すことには限界があります。
何かを成そうとしたのなら何らかのカタチで多くの方々の助けが必要となります。

礼で始まり 礼に終わる
感謝で始まり 感謝に終わる
日々の大切な習慣として、受けた助けや相手に対して、謙虚に感謝の想いを礼で表したいところです。
