90歳から詩を書き始めた人がいます。
90歳から詩を書き始めた人がいます。
新聞の片隅に載っていた一篇の詩を読んでいたら、
最後に「柴田トヨ 92歳」と綴ってあった。
この方、90歳を過ぎてから詩人になったという。
詩を書き始めたきっかけは、驚くほど日常的だった。
背中が痛くなって、日本舞踊をやめた。その代わりに、息子に勧められて鉛筆を持った。ただ、それだけ。
それは、人生の大転換というよりも、玄関の段差でつまずいた拍子に、別の道へ足が出た、そんな感じに近い。
詩は、技巧でも、テクニックでもない。
難しい比喩も、時代を切り裂く刃もない。
あるのは「今日も生きている」「ありがたい」「まだ夢はある」という、肩の力がすっと抜ける言葉だけです。
けれど、その素朴さは90年分の重さをまとっている。
軽い言葉なのに、腰が据わっている。深く椅子に座ったような安定感がある。
98歳で出した初の詩集が150万部を超えたと知った時、少し驚いた。
出版は売れない、詩集はもと売れない、という昨今の常識を打ち破った。
世の中は派手な成功談より、「まだ間に合う」という静かな実例を待っていたのだと思う。
成功は派手ですが、「間に合う」は切実に心に響く。
100歳を超えても、彼女は書き続けた。
老いを美化もしないし、卑下もしない。
ただ、「今日は今日で、悪くない」と言う。
その言葉が、不思議とこちらの背筋を伸ばす。
説教はない。あるのは体温です。
柴田トヨさんの人生が教えてくれるのは、「挑戦に適齢期はない」というありふれた言葉ではないのです。
もっと実務的で、もっと使える話なんです。
やめたものの代わりに、何を残すか。
人生は、いつからでも再編集できる。
編集点は、案外、痛みのすぐ横にある。
101歳でこの世を去った後も、彼女の詩は静かに背中を押してくる。
力んでもいない、ゆるく優しい。
だからこそ、よく心に響くのです。
年齢を書く欄はあっても、始める理由の欄は、いつも空白でいい。
人生は、いつからでも始められることの気軽さを教えてくれた。
「化粧」
倅が小学生の時
お前の母ちゃん
綺麗だなって
友達に言われたと
うれしそうに
言ったことがあった
それから丹念に
97の今も
おつくりをしている
誰かに ほめられたくて
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