返しきれないものを、渡してゆく
有難い、でも申し訳ない……
「ちょっと頭おかしい」としばしば(ほめ言葉として)言われる梶間和歌の和歌活動は、
そんなあり方を好ましく思ってくださる方々の経済的な支えによって成り立っています。
講義や執筆仕事などをご依頼くださる方。
メンバーシップやチップで応援してくださる方。
有料記事やマガジンをご購入くださる方。
折々ご寄付を下さる方。
隠岐後鳥羽院和歌大賞で一等の賞を頂いた際など、複数の方から多大なるお祝いを頂きましたし、
そうしたことがあってもなくても、定期的にお仕事を下さったり、単発でご寄付くださったりする方がおられて。
ほんとうに有難いことです……。
その金額が大きかったり、
特定の数人に偏ったりするとき、
「有難い」と同時に「申し訳ない」という気持ちがまったく発生しないかというと、なかなかそうとも言えないのですが。
「この活動が続くといい」
「お坊さんにお布施しているつもり」
「恩送りだから」
「和歌さんにはぜひ隠岐に行ってほしい」
など、それぞれのお気持ちで出してくださるお金なので、
私のエゴで申し訳なさを持つのも良くないな、
と日々反省しつつ、有難く受け取っています。
そんななか、ご支援に関して最近見えてきた気持ちがあります。
つたないながら、言葉にしてみますね。
「無料」の意味
私はこれまで、和歌や古典作品について調べたこと、考えたこと、実際に歌を詠むなかで試行錯誤したことなど、
その多くを無料または低価格で公開してきました。
和歌が一般常識・教養となっていない現代日本において、
それらの情報に、できるだけ多くの方にアクセスしていただきたいからです。
AIに食わせるデータと考えても、無料開放には意義があるでしょう。
ですから、あなたが私の無料の記事を無料で読むことには、決して、罪悪感を持たないでほしいです。
私自身がそれを望み、そういう形で公開しているのだから。
そんな100人、1000人、1万人のなかからひとりでも、
「和歌ってすごいな」「光厳院って美しいな」と影響を受けてくれたら、と思っています。
ただ、「無料で読める」ということと、「そのための負担を誰もしていない」ということは、同じではなくて。
文章を書くためには、執筆だけでなく勉強含め時間を使いますし、
本を買い、資料を集め、専門的な講義を受けるのにお金も使います。
隠岐の海士町や常照皇寺など、特定の土地に足を運ぶこともあります。
家賃や食費などの生活費も、もちろん掛かっています。
それらを支えるのに、私の週2日勤務のアルバイト代はじゅうぶんではなく、
先に書いたように、
さまざまな形でこの活動・生き方を経済的に支えてくださる方々がおられます。
そのおかげで私は、週6日勤務で体を壊す生活をやめても東京でのひとり暮らしが続けられましたし、
ほとんどの和歌作品やコンテンツを無料や低価格で、高頻度で世界に公開することが現在できています。
無料で受け取ることに、罪悪感は持たないでください。
ただ、事実として、私の和歌活動は無料で成り立ってはいません。
頭の片隅で
「これを経済的に支えている誰かがいるんだなあ」
と覚えていていただけたら……
経済的に支えてくださる方々も、いっそううれしく思ってくださるかな、と思います。
少しずつ、大勢で支える形へ
大きな金額で支えてくださる方々には、それぞれの思いがあります。
それを、「そんなに出していただかなくても」と小さくしたいわけではありません。
これからも、感謝しつつ全力で受け取り、社会に返してゆくつもりです。
ただ私は、特定の少数の方だけが大きなものを背負う現在の形から、少し先に進めたい。
この活動からなにかを受け取ってくださる方が、できる範囲で、少しずつ私を経済的に支える形
になることを、望んでいます。
そのなかで、それでも大きく支えたいという方はきっとおられるし、
私はそれを有難く受け取り、より大きな価値に変えてゆきます。
……最近、そんなことを考えるようになったんですよね。
500円出せる方もいれば、1000円出せる方もいる。
今月は難しいけれど、来月なら1記事買える、チップが渡せるという方もいるかもしれない。
もちろん、お金でない形で支えてくださる方もいます。
感想を伝えてくださったり、私の活動をほかの方にシェアしてくださったり。
スキひとつだって、書き手にとってはやはりうれしいものです。
それぞれが、できる範囲で少しずつ出し合って、支援の裾野が広がってゆけば、
冒頭に書いたように、特定の少数の方に大きな負担をお願いする罪悪感を抱かずにこの活動が続けてゆけるかな、と。
もちろん、私自身が不要な罪悪感を抱かないようにする精神修行は引き続きしてゆきます。
返しきれないものを、受け取ってきたから
そもそも、なぜ和歌活動をほぼ無料でおこなっているのかといったら。
「和歌にお金を払う人は少ないから」
うん、それはまあそうなんだけど、
それが理由だとしたら、和歌は趣味でやってほかに経済の柱を持つのが穏当ですよね。
「信用貯金を貯めるまでは無料で」
うーん、賢い!
そんな賢いビジネス脳が私にあったとしたら、私の人生もう少し違った景色だったかと思います。
いや、そんな賢い人はそもそも和歌をやりませんね! もっと稼げるジャンルを選ぶわ!
実際には、
十数年前に中世和歌に出会ってしまい、いても立ってもいられず、図書館に通いブログを書き始めた。
それを、少し形を変えていまも続けている。
これに尽きます。
私は、たくさんのものを受け取ってきたんです。
最初は式子内親王だった。
そこから定家や後鳥羽院に広がり、
永福門院から京極派に入り、伏見院や花園院、光厳院を知って。
彼らは和歌を詠み、残してくれたんです。
私のためにじゃない。ただ、事実として、数百年後の私には届きました。
そして、それらを研究し、私のような素人にも触れられる形で書籍にしてくださった研究者の方々。
京極派研究の大家・岩佐美代子先生への敬愛は日々増すばかりですし、
久保田淳先生や渡部泰明先生、小田勝先生……おひとりおひとりお名前を挙げようとしたってとても挙げきれません。
研究書はね、高いよ! 定価の桁数にびっくりします!
古本でも高いどころか、古本のほうが高い場合だって珍しくない!
なんといっても国文学関係の本は発行部数が少なく、すぐに絶版になるからね!!!
それでも、お金を払い時間を使えば先人の研究が読めるんです。
誰かが、そのように残してくれたんです。
なかなか利益にならないとわかっていても出版してくださる出版社様……執筆してくださる研究者様とあわせて、こちらにも感謝は尽きません。
なんなら岩佐先生の研究なさった永福門院や光厳院は、
私の生き方そのものを、厳しくも美しい方向に変えてくださった。
和歌は、古典は、歴史上の人物は、
教科書のなかの文字情報じゃない。
私にとっては、人生を前に動かしてくれた、現実そのものなんです。
いまも、私の隣に、私の心のなかに、光厳院がいらっしゃる。
光厳院を知った私でなければ、バイト先の後輩たちにいまのように慕われてはいなかっただろう。
光厳院を知った私でなければ、数年前の彼氏は私に恋をしなかっただろう。
光厳院を知った私でなければ、あなたに読んでもらえるこの文章も書けなかっただろう。
光厳院を知った私でなければ、
「私は和歌をやります。あなたは私を経済的に助けてください」
と言い切り、しかもそんな(少なくとも現代日本では)不安定に見える生き方を実現させてなどいなかっただろう。
だから、私はそうしたものを広く伝えてゆきたい。
和歌や、そこに生きた人々、それらをとおして得た私の変化……
そういったものを、私というフィルターをとおして広く伝えてゆきたい。
その土台となっているのがこのnoteという場です。
私がなるべく無料でやりたい気持ち、伝わるかな……。
私は、すでに、こんなにも受け取ってきたから。
一生をかけても返しきれないほど、岩佐先生から、光厳院から、受け取ってきたから。
一生かけても返しきれない、だからといって、私のなかに溜め込んでいてはそれこそ
「なにやってんの」
「この流れをお前で止めるなよ」
というお話です。
もらったなら、そして返せないなら、次世代に渡せよ。
そうセルフつっこみせずにいられないので、
同時代のほかの方や、次世代の方に、受け取ってきたものを手渡してゆこうと日々試みているんです。
受け取ってきたのは、和歌や研究からだけではないですよ。
私が当初通っていた中野区立図書館。
私は当時からお金を稼ぐことが下手くそでしたから、納税額なんて微々たるものでした。
それなのに私が中野区民だったころ、無料で図書館が使え、岩佐先生の本をはじめたくさんの本が読めた。
なぜ? 中野区に納税してくださった大勢の皆様のおかげです。
アスファルトの道を安全に歩けるのは?
スーパーで食材が買えるのは?
市の健康診断が無料で受けられるのは?
駅から多少歩くとはいえ、決して狭くないアパートに住めるのは?
日本という治安の良い国で、日本国籍に守られながら生きられるのは?
絶対に、私ひとりのおかげではない。ありえない。
ウクライナ戦争から逃れてきたバイト仲間と働いたり、
在日コリアンの友人と話したりするたびに、
自分の受けてきた、そして受けている恩恵を思わずにはいられません。
光厳院を心の師とし、日々を誠実に生きようと努めれば努めるほど、
自分がいかにたくさんの人やもの、概念に支えられてきたか、わかってくるんです。
だから、これからも勉強し受け取ってゆくいっぽうで、
社会になにかを手渡す役割も果たしてゆきたい。
残念ながらたくさんのお金を稼いでたくさん納税するという社会貢献は、今世では、あまりできそうな気がしない。
子どもを産んだり養子を迎えたりして次世代を育てる社会貢献も、たぶん、無理。
私でなければできない社会貢献の形は、この和歌活動なのだと思います。
それを、これまでどおり受け取っていただけたら、
もっともっと受け取っていただけたら、
何度も書いてきたように、私はうれしいです。
あらためて、お誘い
そして、もしよかったら、
私のこの和歌活動・生き方を支える側に、回っていただけませんか?
現代日本ではちょっとばかし王道から外れたように見えるこの経済・社会活動ですが、
これを支える側に、回っていただけませんか?
少額でも、一度だけでも。
もちろん、継続的にでも。
私の受け取ってきたものを、さらに次へ、また広く渡してゆく営みを、
経済的な形で支えていただけませんか?
私のふだんの記事や活動からなにかを受け取ってくださっていて、
「これからも続いてほしい」と思ってくださる方がいらしたら、
ご無理のない範囲で、ときどき支えていただけたら有難いです。
支援方法は、主なものをこちらに記載しております。
いつでも、お待ちしております。
そして、すでに支えてくださっている皆様へ。
あなたに頂いた支えは、私個人で完結し、止まってしまうものではありません。
その支えのおかげで私が調べ、書き、話し、また別の誰かに渡してゆく循環が生まれています。
感謝してもしきれません。
ほんとうにありがとうございます。
そして、よろしければ、これからも支え続けてください。
受け取ってきたものを、ほかの方へ、次世代へ。
そんな流れを、できるだけ長く安定的に続けてゆけたら、と心から願っています。
あわせて読みたい
私がこの活動を通してなにを残したいのか、についてはこちらにも書きました。
そもそもどんなつもりで和歌に向き合っているのか。
その他、エッセイなど
和歌物語の維持メンバーになる
noteをはじめとした梶間和歌の和歌活動は、
メンバーシップ・チップ・寄付や有料コンテンツの購入などで支えてくださる皆様のお力で成り立っています。
お寄せいただいたご支援で生活を回しながら、和歌(特に京極派和歌)の発信をし、
また和歌にゆかりのある土地を旅してレポートを書いたり、歴史の勉強をしてエッセイを書いたりしてきました。
皆様のご支援があってこそ、多くの記事やコンテンツを無料または低価格で届けてこられましたし、これからも届け続けることができます。
「梶間和歌の活動や生き方に意義を感じている」
そして
「経済的に余裕がある」
という方には、この活動の維持メンバーとしてご参加いただけましたら幸いです。
noteのチップやメンバーシップなど、 ご無理のない形でお力添えください。
寄付という形に躊躇のお気持ちがありましたら、低価格のコンテンツのご購入という形でも等しく有難いです。
もちろん、あなたが作品や記事を読んでくださること、私の発信を受け取ってくださること、それ自体が私にとって大きな力。
経済的に余裕はないが価値や意義を感じている――そんな皆様からのスキやシェアなどにも、あらためて、心より感謝申し上げます。
皆様に頂いた支えを、これからも和歌をはじめとした人文知の発信という形で社会に還元してまいります。
今後とも、あなたはあなたの領分において、私は私の領分において、ともに世界を美しくしてゆきましょう。
この記事を書いた人


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