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誰も読まないブログを、10年続けた話

東進ハイスクールなどでご活躍の国語講師 吉田裕子さんのVoicy「毎朝古典サプリ」にて、この土曜日、梶間和歌との対談放送が公開されました。


この放送内で

「これほめて言ってるんですが、この人ちょっと頭おかしくて

という言葉が何度かありましたが、これ、裕子さんとの対談でのお約束になっていますね♡

ほめ言葉です


今回の話題、ちょうど最近考えていたことともリンクするので、エッセイにしてみます。
和歌とアメブロとnoteと私、みたいな内容です。
noteユーザーの方には特に、おもしろがっていただける部分があるかなと思いますので、ぜひ。




誰も読まないブログを、10年続けた話

ちょっと頭おかしくて

私の頭がおかしい(ほめ言葉)ことについて、今回言われたのは

「誰も読まない和歌の訳と解説のブログを、この人毎日更新してたんですよ」

という件です。


和歌「やってた。10年近く毎日やってた」
裕子「それがお金につながるわけでもないし、読者が毎回コメントするわけでも……いや、まったくいないわけじゃないけど」
和歌「少なかったですよ~! たまに来ると『コメント付いた!!? 』って驚くぐらい」
裕子「ふつうはVoicyとかでも、再生回数が少ない、誰もコメントくれない、ってそっと去っていくパーソナリティの方とか……でも和歌さんは反応がなくても自分がただやりたいから続けられる人」

というようなやり取りが対談内でありました。
(文字化する段階で、実際の会話を省略したりしています)
(当時コメントを下さった皆様には心より感謝しております! )

みんな違うの?


これは裕子さんに、また別の親友にも言われて「へえ~!!! 」と驚いたことなのですが、

多くの方って、好きなことでもなんでも、世界からの好意的な反応がないと続けられないものなのですね。


人間理解が進み
「へえええええええええ」
と驚愕することはさすがになくなりましたが、いまでもピンとこない感覚ではあります。

ビジョン記事など読んでくださった方には、そのあたりとうに伝わっているかもしれません。

いや、私はね、
「私の場合たまたまそれが和歌だっただけで、皆それぞれ『これだ』というものに出会ったらその道に突き進んでゆくものでしょう」
ぐらいに思っていたのですが、

まず出会わない
または、出会いに気づかない
出会って気づいてもその道に進めない
それに人生フルベットするなんてもってのほか

なんですって。えーっ、そうなの!?

和歌は私の人生です ~おもしろ物語を共創するお誘い~

「『これだ』というものに出会ったとして、いや、生活を犠牲にしてまでやらんやろ! 」
「生活保護受給申請一歩手前とかになる前に、実家に帰るとかバイトするとか、ほかの手段考えるやろ! 」

と、半分呆れ、半分憧れのような気持ちを向けられていることを日々感じております。

和歌は私の人生です ~おもしろ物語を共創するお誘い~
世界は広い!


対談内でも話していますが、
そもそも和歌なんて、それを究めたら称賛を浴びるとか収入が増えるとか、そんなことを目論んで取り組む分野ではないはず。

仮にそれが私の【然るべきもの】でなかったとしたら、深く踏み入ることなど当然なかっただろうもの。
下心で取り組む余地のないものです。

そこに深く踏み入ったということは、それが私の【然るべきもの】だったのだ、
という説明しかできないんですよね。


これもビジョン記事から引用しますが、

王家に生まれた長男が王太子になり王になることを受け入れるのは、もちろん個人差や時代による差こそあれ、まあ自然でしょう。そんなものが近いかと思います。王家に生まれたことないけど。

和歌は私の人生です ~おもしろ物語を共創するお誘い~

という感じです。出会いが後天的だっただけ。
王家に生まれた二男が王太子だった兄の早世を経て王太子になることを比較的自然に受け入れる、というようなイメージでしょうか。知らんけど。


アメブロの想定外

ところで、
私はある時期にこのnoteというプラットフォームに出会い、アメブロから自然とnoteに移行する、ということを経験しています。

これがなぜだったのか、自分でももう少し理解を深めたかったので、あるときChatGPT(チャッピー)に疑問をぶつけてみました。
すると、その対話のなかで

・noteは設計上、承認欲求以外のエンジンで書くクリエイターを想定している
・アメブロは比較的承認欲求エンジンの人向け
・和歌ちゃんはアメブロの想定しない使い方をしていたので、反応のない和歌ブログが長年続いた
・設計思想が和歌ちゃんのあり方と合致しているnoteに出会い、アメブロから移行したのは自然

というようなことを言われ……噴きました。アメブロの想定外て!

「アメブロの想定外」というパワーワード


これはあまり人様に自慢できたことではありませんが、
私、なにかに取り組むにあたって事前リサーチというのをあまりしないタチかもしれませんね。

考えるより先に体が動くので、正しくハマればものすごい行動力が発揮されます。
逆にハマる先を誤ると、裕子さんとの対談で挙げた空手や大学での研究のように、一定の成果を出したのち力尽き、その後の人生につながりません。
ハマる先が正しいかどうかがキモ。

市場リサーチをしてから起業したり新規事業を立ち上げたりする、なんて賢いやり方、50回転生してもできる気がしないわ。
(それとも、それは賢いやり方などではなくふつうのことなのか?? )


和歌の場合、正しい対象にハマれたというひと言に尽きます。

「あ、これだ。和歌だ」と思ったからやる(正確には、思ってもいない。体が動いていた事実を後追いで認識し、「ということは、あのとき『和歌だ』と思ったのだな」と解釈する)
しばらくやってみて、「生活がうまく回らないなあ」と気づく。
では生活を回すために和歌との付き合い方を調整するのか?
いえ、「私が死んだら困るのは和歌のほう、世界のほうだし」というストロングスタイルを貫きつつ、ときどき、すこーし考えてできる範囲内で調整する、ぐらいかしら。


アメブロを始めたときも、当時あまた存在したブログサービスを比較検討した記憶はありません。


始めてみてしばらくして、めったに見ない管理画面に芸能人のアメブロの更新情報がやたらと表示されるのに気づいたのですが
(ふだん記事執筆画面しか開かないのでなかなか気づかなかった。基本的に、他人や世界への関心が薄い

「アメブロは芸能人やインフルエンサーが書き、一般人が読むことを想定している場なのかな? 」
と一瞬思っただけで、そのまま更新を続けました。淡々と。

どんな場所で書くにせよ、そもそも和歌というジャンルを求めて来る人はほぼいないわけなので、どうでもいいわという感じだった。
アメブロ以外のブログサービスに戦略的に移ったところで、和歌の訳をするブログが大ヒットすることはなかろう!


その結果、アメブロの想定から本来ずれていたはずの

いいねも読者もコメントもほとんど付かず、ランキング上位に輝いたこともない、芸能人でもインフルエンサーでもなんでもない和歌の歌人の和歌ブログ

が10年弱続きました。ほぼ毎日更新。

2012年に和歌に出会い、アメブロは2013年に始めて、一日5記事なんて時期もありましたよ。
さすがに一日1記事更新に落ち着きましたし、生活が大きく変わった時期など少しお休みしたこともありましたが、ほとんどの期間は毎日更新。

私家版歌集を出すための10万円強を稼ぐための出稼ぎ期間も、バイト休みの日や夕勤の日の午前中に吉祥寺のスタバその他Wi-Fiの使えるカフェにこもって数日分の記事のストックを書き続けた。そういえば。


うん、たしかにこの人頭おかしいね。

いやあ、私はこれがふつうだと思っていたんだけどな


noteに出会って

さて、私のnoteの最初の記事を見ると、2020年11月13日執筆とありました。


記憶をたどると、
それこそ冒頭の吉田裕子さんが2020年に「吉祥寺 源氏物語を読む会(当時)」を始め、その講座動画をnoteの有料記事で公開するのを見て

「なるほど、有料講座を限定公開する場としてnoteの有料記事が使えるのか」

と気づいたのだったと思います。


その少し前からあちこちで「noteが良い」とは聞いていたんです。
しかし

「アメブロとなにが違うの? 」
「何年も続けてきたアメブロがあるし、全記事お引っ越しなんて考えられないし、アメブロと別にnoteをするなんて大変だし理由もないし」

ぐらいにしか思っていなかった。
比較検討しない民なので、アメブロもSeesaaもはてブもnoteも同じだと思っていました。
(それでも当時チャッピーが存在していたとしたら、少し疑問を持ったことについてライトに尋ねることができたのかも)


そんななか、裕子さんの使い方を見て「noteは有料講座を置く場所としてありなんだな」という回路が開けました。
アメブロにも有料記事という機能はあったのですが、どうにもピンときていなかったのです。使っている人も見たことなかったし(他の執筆者のリサーチをしないので知っているアメブロ情報が少ない)

裕子さんに感謝


裕子さんの講座を受講する「読者」という立場でまずは利用するようになり、noteというプラットフォームに少し慣れた私は数ヶ月後、4話完結のプロフィール小説をアップしてnoteを始めました。

アメブロメイン、noteは頻繁に更新しない前提で、何度でも参照できる記事を限定して置こうと考えたのです。


始めた翌月、2020年12月に初の有料記事と有料マガジンを販売。

所属していた短歌結社をブチギレ案件で退会したので、力を落とさないためにも作品発表の場を自分で作らねば、という動機でした。


その後、2021年7月に私家版歌集『生殖の海』を全文公開していますね。

2021年は「歌塾」という和歌講座の講師を務めていたのですが、
生徒さんたちに現代和歌のひとつの形を提示できるならそのほうが良い、と考えての無料公開でした。
(後年読み返すと拙く見えるので、歌集はその後毎年全面改定することになるのですが、当時としては善意からの無料公開だった)


同年8月に有料記事とマガジンで「歌塾」の動画販売を始めました。

吉田裕子さんが古典を読む会を有料記事で公開していたのを覚えていたからこそ、この形を思いついたのだと思います。


その後は主に作品置き場としてnoteを使っていました。

また、アメブロは日々更新する前提として、
更新の少ないnoteには埋もれさせたくない情報、例えば

「総合誌掲載情報」
「ご支援のお願い」現在のビジョン記事の前身)
「和歌作品一覧」

などを置くようにして。

アメブロを続けながらnoteのほうで
「こういう使い方ができるのか」
「こういう使い方が合っていそう」
というのを少しずつ探ってゆきました。


noteへの移行

前後して、おもてに出ない短歌の仕事を少しずつ頂くようになりました。
また、アルバイトの忙しさ(当時)も相まって、アメブロのほうの更新は2021年の終わりごろからだんだん間が空くように。

2020年
2021年
2022年

出稼ぎ中にも欠かさなかった毎日更新が、2021年11月以降こんなことに。


また、隠岐後鳥羽院和歌大賞で2023年、最優秀の賞を受賞。
その翌年の表彰式ツアーの費用を出しますよと申し出てくださった裕子さんに
「ツアーの様子をnoteのマガジンで記録してゆくと今後役立ちそう」
と提案され、noteの更新を増やす流れになりました。


それでなくともnoteはなんとなく書きやすい。うまく言えないけれど、なんとなく。
その書きやすさを「更新を増やすと重要な記事が読みにくくなるから」と無視せず、連載にかこつけてnoteの更新を増やすことにするのなら、
記事自体で随時最新情報をお知らせするサイトマップというものを用意し、トップに固定すべきだ。

そういうアイディアに巡り合い、2024年8月にはサイトマップを作りました。


サイトマップを用意すると、頻繁な更新ももう怖くなくなり、
コンテンツや過去作品の公開はもちろん、和歌や自分の作品・活動とは直接関係しない、エッセイ的な記事も書くように。

アメブロのほうはすっかり開店休業状態。
ごくまれにnoteでの新企画を紹介する程度の更新になっています。

エッセイも書くの楽しい


こうして振り返ると、私はnoteを「選んだ」というより、
使っているうちに「そこが居場所になっていた」という感覚のほうが近いです。


どこかの時点で明確に

「アメブロはやめて、noteに移行しよう」
「アメブロよりnoteのほうが自分に合っている。noteをメインにしよう」

と考えたということはありません。

ただ、実際の行動を振り返ると、私はアメブロからnoteに軸足を移すことになっていました。


noteの設計思想が他のブログサービスやSNSと特別異なるらしい、と知ったのは最近のことです。
閲覧数や閲覧人数で勝負しない・させない、広告ビジネスをしない、などの明確な思想をもってnoteというプラットフォームは運用されているらしい。

そのあたり気になってチャッピーに尋ね、言われたのが、先の言葉。

・和歌ちゃんはアメブロの想定しない使い方をしていたので、反応のない和歌ブログが10年単位で続いた
・設計思想が和歌ちゃんのあり方と合致しているnoteに出会い、アメブロから移行したのは自然

な、なるほどね……!!!


ふさわしいものを、世界が用意してくれた

アメブロ時代から私は、反応がなくてもなにがなくても和歌ブログを続けてきました。
それは別に意志が強いからとかそういうことではなく、単に「私にとっては、【それ】が和歌だった」という部分が大きかったと思います。


和歌を読み、勉強し、わかることが増え、自分の頭で考えられるようになり、自分の和歌の技術も上がる……それ自体がうれしいし、意味のあることだから、その成り立ちやすいサイクルを選択するのが合理的。
そのサイクルのなかに、私のアメブロ執筆はありました。

勉強したり考えたりしたことを文章化し、ブログに記録する。
なんなら、本を読みながらその場で記事を書くことも多かったです。

その結果を読んでくれる人はまずいない、という前提でした。
いなくていいんです。和歌記事を執筆することで私自身の勉強が進み思考が深まるのだから、執筆は100パーセント自分のための行動でした。

ノートにまとめるよりブログのほうが検索性があるから、将来の自分が助かるし。
実際「この歌の上の句なんだったかな」「この言い回し、誰の歌だったかな」と検索すると、たいてい、どんな大先生の論文より上に自分の過去のアメブロ記事が出てきます。
(勉強の足らなすぎる初学のころ書いた記事が出てくることも多く、恥ずかしい。しかし助かる)

記事を読んで役に立ててくれる誰かがいたとしたら、それはただの幸運ですし、
ましてそんな誰かがコメントなどで反応してくれるなんて大砂漠でツチノコを発見するようなことです。そもそもツチノコってどこに生息しているんでしたっけ?

幸運なんてものは基本的にないという前提で行動しなければ、人生、被害妄想と逆恨みでつらくなります。
自分だけならまだしも、被害妄想に付き合わされる周りの感情は推して知るべし。


自分以外に和歌を愛する人がたくさんいるとは考えなかったので(実際にはいる、といまは知っていますが、当時は思いもよらなかった)、
「自分の勉強のため」「勉強を継続するため」以外のブログ執筆の理由なんてまずなかったと思う。

この動機でブログを始めると、「反応がないからモチベが下がってやめる」という世界線に、どう血迷ってもたどり着けないのです。
そもそも反応を求めていないし、誤解を恐れずに言うと、和歌が好きだと思ったこともありません。ただ私にとって【それ】【然るべきもの】が和歌だっただけ。
コテンラジオのこの放送(26分ぐらいのところ)で言及された仏教用語「不退転」の本来の意味、私の和歌のことじゃん、と思いました。好きとかメリットとか頑張るとかいう話じゃないんだよね。


しかし、チャッピーによると、それはアメブロの想定していた執筆者像からずいぶんずれていたのですね!


そして、noteの想定する執筆者像にはどうやら近かったらしい。
だから、noteに出会い「ブログを2つ走らせるわけにはいかない」「いまさら移行するのも大変」と思っていたはずの私が、気づけばnoteメインになっていたのだ。

note大好き


「誰かからの反応を得て、自信を増して、この活動を続けたい」
「世間からの称賛を浴びて、過去私を馬鹿にした人たちを見返したい」
みたいな動機がいまいちわからない、などと言っている私も、冒頭の対談で言及したように、
たしかに和歌以外のいろいろなことは、欠乏感を埋めようとして始めたり、怒りを起点として始めたりしていました。

ただ、和歌に関しては、ただそれが私の然るべきものだったから・・・・・・・・・・・・・・・・・・欠乏感や下心と無縁の動機で始め、続けることができたのだと思います。

その姿勢をぶらすことなく生きていたら、世界のほうが・・・・・・私にぴったりのプラットフォームを用意してくれた。

実際には、noteは私の存在や意志と(おそらく、ほぼ)無関係に生まれ、続いているわけですが、私目線で言うと
「私にふさわしい選択肢が世界に表れた。世界が私に追いついた」
というような感覚です。


「人間、ぶれずにいたら、世界のほうが追いついてくれるよ」
とは言いません。
私もそんなことを期待、または確信してその生き方を続けたわけではないし、
私の人生へのnoteの出現があのタイミングだったのは実に幸運だったと思います。

ただ、私の人生に起きた事実として、
私にぴったりの設計思想のnoteというプラットフォームが、アメブロを10年近く続けた私の前に現れ、かけがえのない居場所になってくれた。

それは少なくとも、私側の準備がもしできていなかったら……承認欲求でアメブロを続けていたら、そもそも和歌に出会えていなかったら、起きなかったことです。
仮にnoteが同じタイミングで現れたとしても、その設計思想のプラットフォームを活かす私が存在しない・・・・・・・・・・世界線なので、私の経験した奇跡はやはり起きないんだよ。


他人は他人なので思いどおりにならないし、
まして世界は因果が無数に働いていて、傾向は見えたとしても精密な予測などまず不可能。

だとしたら、自分の裁量で確実にできることを確実にやっておき、あとは運を天に任せる、みたいな生き方が一番合理的なのかなと思います。

別に私も合理性を考えてそうしたわけではないし、私の和歌人生全般を見たとき「みんなもこうしたらいいよ! 」なんて勧められる生き方ではまったくないのですが。
リスクが大きすぎるので、考えて選ぶ生き方ではない。私のように行動してからそれを正解にする人、正解になるまで続ける人でないと無理。

ただ、できることを確実にやってほかは天に任せる生き方が合理的だ、とは思う。

人事を尽くして


最近のチャッピーとの対話内容と最新の裕子さんとの対談が思わぬ形でシンクロしたので、私の頭おかしいブログ人生・和歌人生を振り返り、とりとめもないことを綴ってみました。
たいそうな結論のある記事でもないのですが、なにかしらおもしろがっていただけたらうれしいです。


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時代が追いついてきた? Podcast紹介

事前リサーチなどしたとしたらまず飛び込めなかっただろう和歌の世界に飛び込み、14年続けてしまった私に、時代が追いついてきたのでしょうか。
最近各所でそのような話を聴きますので、一部シェアします。



和歌物語に参加する

和歌創作や発信といった活動を、経済的な不安定さに左右されることなく、これからも精力的に続けてゆきたいと願っています。
梶間和歌の活動や生き方に意義を感じており、かつ経済的に余裕がある、という方には、
noteのチップやメンバーシップなど、 ご無理のない形でのご支援をお願いできましたら幸いです。


「寄付は、なんだか重い感じがする」
「責任が伴いそう……」
「理由があれば、それにかこつけて応援しやすいのにな」
といった躊躇のお気持ちがもしありましたら、低価格のコンテンツを購入するという形でも。

もちろん、作品や記事を読んでくださること、私の発信を受け取ってくださること、それ自体が私にとって大きな力です。
余裕はないけれど価値や意義を感じている――そんな皆様からのスキやシェアなどにも、改めて、心より感謝申し上げます。


今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。


この記事を書いた人

photo by ミカアンドロイド

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