“私らしさ”に疲れたら――個性に迷走していた私が型を味方にした話 ~Voicyコラボ放送を添えて~
盟友吉田裕子さんのVoicyにお邪魔して、対談を収録してきました!
今月21日も #スナック裕泉堂 にお邪魔してきました!
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) November 26, 2025
前半は女子会、皆さん帰られて参加者が私だけになったあとは裕子さん @infinity0105 のVoicyのほうで対談を収録しました。
聴く場所に気をつけつつお楽しみください! 特に最後の2、3分!https://t.co/qeOZ4LPEB6#毎朝古典サプリ pic.twitter.com/QEAjKViCI2
だいじょうぶですか? 電車内でうっかり流して噴き出して、変な目で見られたりしないでくださいね!

“私らしさ”に疲れたら――個性に迷走していた私が型を味方にした話 ~Voicyコラボ放送を添えて~
毎月21日はスナック裕泉堂
毎月21日は三鷹古典サロン裕泉堂にてスナック裕泉堂が開催されています。
毎月21日、つまり、11月に関しては、今週の金曜日「スナック裕泉堂」です。講座とはまた違う形で皆さんにお会いできるのが楽しいです。 pic.twitter.com/HJ3AKNS7h3
— 吉田裕子(国語講師、三鷹古典サロン裕泉堂の人) (@infinity0105) November 18, 2025
11月21日回、いつもどおり前半部分の女子会も楽しかったのですが、女子会なのでもちろん内容はないしょ。
ほかの皆様の帰られたあと、裕子さんとふたりでしばらく自我とか自意識とかの話をし、「この話題でVoicyを撮ろう」という流れになりました。
最後の数分、少々びっくりするような発言も飛び出しているので、公共の場で聴かないようお気をつけください! お子さんの前もダメです!!!
××してくれるのはお友達だけ
実は、この収録の少し前、仲良しの友人のグループ展を観に行ってきたのですが。
そうですね……20代半ばという年齢も考えると不自然ではないのですが、なんというか、こう、
「かけがえのないマイワールド✨️✨️✨️ 」
という雰囲気全開で、仲良しの友人の展示でなければまず行かなかっただろうな、という内容でした。
『銀座ギャラリーガイド』に載っていても観に行くことはなかったでしょう。
作品ポートフォリオに載っていた学生時代のデッサンのほうがずっと好きだった。
きちんとした学校で学んだこともあり、デッサンとか基礎の力はおありなのですよ。それなのに。

万が一彼女がこれを読んだ場合を考えても、決して傷つけるような書き方はしたくなくて……。
私も通過した道なので嫌というほどわかるのですよ。若いうちってそういうものじゃないですか。
うれしいことも、悲しいことも、自分の経験した感情のすべてが至高であり、
その至高なものをそのまま世界に表せばその尊さのまま評価されるはずである、少なくとも尊重はされるべきである、
という感覚で生きてしまうものです。多かれ少なかれそうだと思う。
いや、尊重はしよう。尊重はしたいと思う。
しかし、私はそこに価値が見出だせなかったんだよなあ……。

それは翻って20代の私の創作物への評価と同じです。
20代、いえ、5年前練りに練って世に出した歌集だって、いまの私には同じように見えるのです。
自意識がうるさ~い♡
その個性を受け入れ愛してくれるのはお友達だけだぞ~♡
それでも方向性としては京極派和歌を究める方向に進んでいたので、その片鱗は5年前の歌集にもありますし、20代のころのアウトプットとは別物だったでしょう。
そこに価値を見てくださった方もおられたかと思います。感謝は尽きません。
未熟な作品をお買い求めくださり(未熟と思わず買われた方も含め)ありがとうございます。
まあ、しかし、現在の私にあの種類の創作は必要ない。あの種類の創作をしなければ落ち着かない自意識の暴走は、私のなかに、ない。
2020年の歌集、現在紙媒体の販売とあわせてウェブ上で無料公開もしていますが、
あれと、現在の私の作品を読み比べてみてください。
例えば隠岐後鳥羽院和歌大賞への投稿歌や、冷泉家時雨亭文庫への投稿歌、X上で続けている「題詠道標」など。
「これが梶間和歌でぇ~す! 」
みたいな自我の表出、皆無でしょう。これでも数年後読み返すと「まだまだ甘かった」と思うのかしら。
まだまだ削ぎ落としの甘かった、甘すぎた5年前の歌集(全文無料で読めます)
梶間和歌の顔や声のまったく見えない現在の和歌作品

二条派の意義、京極派のすさまじさ
あなたに興味のある人にしか響かない創作は自己満足である。
あなたに興味のない人の心にもなにかを響かせる創作であれ。
私は自己満足で歌を利用する立場ではない、そうありたくはないため、このような思想、姿勢におのずとなります。
まあ、これだけを前面に押し出すと、
日本語の素養も和歌教養もなにも持たない人がなにも知らない状態で読める、なんか上手いこと言ってるTwitter短歌や若い感性でしか共感し合えない感情垂れ流しTwitter短歌も
「赤の他人の心に響き、いいねを大量獲得している」
という一点で私が評価しているかのように思われてしまうかもしれませんが、そんなわけないからね。
あなたに興味のない人の心にもなにかを響かせる創作
であったならば自己満足ではないと100パーセント言い切れます、なんて言っていないからね。
読者のレベルが低ければ◯◯◯ズのような創作物にもいいねは付きますよ。
かけがえのない私、その私のかけがえのない個性、と思っていたものが実は陳腐でどこにでもあるものだった、と気づいた時の恥ずかしさ。
それに気づかず自己表現していた少し前までの自分をまるごと葬り去り、なかったことにしたくなるくらいのいたたまれなさ。
どこかでこうしたものを経て、「私らしさ」の幻想に絶望することで少年少女は大人になり、自己満足の表現者が真の芸術家になる。
その絶望を経た人が基本に忠実に取り組みながら、それでもどこか滲み出る個性、その個性にこそ見るべき価値があるのです。
「これが私の個性~」と言い張る個性は◯◯◯ズであり◯◯◯ーです。

私、京極派を愛していますから、ふだんは二条派を批判的に語ることもありますけれど、
あのね、二条派って偉大なんですよ。
時代の要請があって初めてあれが成り立っているのだけど、要請を汲み取りそれに応えられた二条派はやはり偉大なんですよ。
「あなたの個性? そんなものはいいから、まず型を修めてください」
冷たく聞こえるかもしれないけれど、そんなものですよ。
そもそも“あなたの個性”“私の個性”なんてたいした個性ではない。
少なくとも「表現したい、見せたい、受け入れられたい」と私たちの思う“個性”がすばらしいものである確率は極めて低い。顕示したがっている時点でね。
あなたの生きてきた短い人生の狭い視野のなかで尊く見えるだけで、それ、割と凡庸です! 陳腐です!!! 似たような発想の短歌、100以上見てきたよ!!!
それがわからないお子様だから自意識過剰なセ◯◯スの歌とか人目に晒してしまうんですよ!!!
(実年齢がお子様かどうかは問わない。精神の問題)
その型を修めに修め、その枠内でいくらでも優れた歌の詠める力量はあります――そんな人たちのうち、しかも古典的な教養や豊かな感性も併せ持っていた文学青年たちが、
その型のなかではどうにも満足できずにいた、
そんななか京極為兼の独特な歌論と巡り合い、「詞は自由でいいのか!!! 」と目覚めて、のちの京極派に至るのですが。
(それでも最初期はみんなびっくりなトンデモ歌を詠み散らしていたよ。そんなに力量のある人たちでも……。自由ってそのくらい難しいものなのだ)
まず修めてくれよ、型を。
泥酔していても眠っていても秀歌の詠めるくらいの力をつけてくれよ。
個性だの独自性だの自由だのはそのあとのあとのうーんとあとですよ。

なんて厳しいことを言ってしまう梶間和歌の、和歌ではない成長の話をしてみましょうか。
和歌の詠出とももちろん関連していますが、まあ、読み物としてふつうに楽しめるものだと思います。
ゴミクズ男のおかげでできた、“ありのままの底上げ”
私はアスペルガー(ASD)持ちなのですが、1年ぐらい前にADHDの若い友人に
「これこれこうすれば好かれるのはわかっているけど、でもそれ私らしくないし、そこまでしてみんなに好かれたいかというと……」
と言われた時、
「私たちの“ありのまま”は、弛まぬ努力によって底上げできるんだよ。底上げされたあなたらしいあなたは、あなたらしいまま大勢に愛される」
というようなことを伝えました。
というのも、そのまた数年前だったかな、とあるコミュ障相手にガチ恋をしまして、その時アスペの私は気づいたのです。
「ヤバい。私、相手に全然興味ない。興味がないから好かれる方法もわからない」
好きな人ですよ。好きな人なのに、めちゃくちゃ好きで付き合いたいのに、
その相手がどんなことを考え、どんな人生を経てきた、どんな個性の人なのか、どんな女性が好きで、どんな振る舞いが好かれるために効果的である可能性が高いか、
といったことを観察し知ろうとすることに死ぬほど興味がないということに気づいたのです。アスペルガー、ここに極まれり。
(なぜ興味を持てない相手に惚れたのかって? 見た目がどちゃくそ好みだったからだよ)

考えてみると、それまでにお付き合いした恋愛において然るべくして付き合ってものなんてひとつもなかった。
だいたい私は好きなように生きていて、たまたま相手に好かれて、こちらも好きになったので付き合った。
自分から好きになって付き合ったことがなかったんです。ほとんど。あったとしても昔話で、参考資料にならない。
好きな人に好きになってもらうことは運みたいなもので、私にできる努力はきれいに化粧しておくこと程度だ、ぐらいに思っていた。
しかしそれだと好かれても困る相手にも好かれるので、はいもう詰んだ~みたいな状態でした。
好きになってくれる人のことは好きになれない
好きな相手は好きになってくれない
これ、女子のあるあるだと思いますが、
これがあるあるである時点でその女子(過去の私含む)はお子様だったのだ。
そこで私は本気を出して調べ、考え、人に相談し、試みたのです。
“この人に好かれたい、と思った相手に好かれる確率を上げるためにどうすべきか”を。

好きになった人に好いてもらうことを運任せにしてはいけない。
私は大学生ではない。もう30も過ぎた大人なのだ。
相手は人間だし、好みは様々だから、こちらが最善を尽くしても結ばれないことはある。
だからといって、好かれる確率を上げるための努力が無駄であるわけではない。
その努力をしたうえで、結ばれて泣くなり振られて泣くなりすべきなのであって、
「好きになってくれない」なんて中学生みたいなことを言っていてはいけないのだ。
“好きになってもらうための、(独りよがりでない)適切な努力”してねーだろ、というお話です。
そうして、一般的な40歳(当時)独身彼女なししごでき男性に好かれる確率の高くなる振る舞いを考え、会話を実践し、まあ彼が40歳独身彼女なしであることはその会話のなかで知った情報なのですが、距離を詰めてゆきました。

実践とひと言で言ってもね、恋をして最初の半年は遠くから眺めているだけだったので……でも半年強はその努力をしたかな、そこそこの時間をかけたのです。
今日始めて翌週結果が出るようなお気軽な話ではない。
ですのでその過程で何度も心が折れそうになりました。
そもそも私が他人に興味を持ちにくいのは、アスペルガーという発達障害の表れ方のひとつ。
その特徴を
「そんな事情を相手は汲んでくれないんだから、好きになったのはこちらなんだから、ぐだぐだ言ってんじゃねーよ」
と押し殺し、そのコミュニティで愛されその相手にも関心を持ってもらえるパーソナリティをこしらえて、振る舞う、
みたいな営みが「自分を全否定しているみたい」と感じられ、しんどかったなあ。
そんな時、親友のひとりが「私も一時期それやったなあ」と言ってくれました。彼女はADHDです。わかる。彼女はとってもADHD。
その彼女の言うには
「別に和歌ちゃんの個性がなくなるわけじゃないんだよね。
いま努力して、力が付いて、社会のなかで生きやすくなり愛されやすくなったら、その後はそれがふつうになる。愛されるための努力はその時要らなくなっている。当たり前にできている。
そのうえで、和歌ちゃんらしさが発揮される」
か、神ー!!!!!!!
でもそういえば私も和歌指導でそんなこと言ってるわ!!!
彼女の実体験に基づいたその言葉を励みに、私は
「相手に関心を持つ」
「相手を観察する」
「事前に話し掛ける内容を20個ぐらい考えておく」
「ラリーの内容まである程度シミュレーションしておく」
などの努力をひたすら重ねました。涙ぐましい。

そうして仲良くなった結果、ここで書くのも憚られるほどのゴミクズ男だと発覚したため、付き合うことなく「最低ですね。さようなら」とお別れしたわけですが、
親友の言葉は本当で、いま私のことを「他人に関心の持てないコミュ障」と見る人はまずいませんし、
そのうえで「和歌に人生懸けてる頭おかしい人」という個性的なキャラとして好意的に認識されることが多いかなと思います。
和歌に人生懸けられるのはやはりアスペだからなのかな~。
その後ふつうに彼氏も出来たしね。ちゃんと好きになった相手に、好かれて、付き合いました。ずっと叶わなかったやつ~。
もちろん努力はしましたが、ものすごい努力をしたということはなかったよ。その前の半年で20年分ぐらいしておいたから。
その、悩み相談してくれた友人にも
「人に興味が持てない? 全然そうは見えません」
と言われましたし、
親友が私にしてくれたように、私も彼女に
「底上げされた“ありのまま”のあなたで、個性を発揮して生きればいい。いまちょっと努力しておくと、未来のあなたが楽になる」
と自信を持って伝えられます。
和歌も、どんなジャンルの創作も、同じだと思う……よ。
こんなゴミクズおtアスペエピソードがどなたかの希望やヒントになりましたら幸いです。

PS.
ご紹介したVoicy放送に関連する放送も貼り付けておきます。
これが元の放送
このなかで言及された『潮騒』の放送
『潮騒』の放送への梶間和歌のコメント
和歌ゴリゴリの私がガテンバイトを続けているのも、どこかそうしたバランスを取ろうとしている面があるのかもしれません。
肉体を使った仕事をしないと、イデアの世界に入り込んで、容易にこの世での生を終えてしまいそうな。
そのコメントを拾った吉田ラジオ
和歌物語に参加する
和歌にフルベットして生きる梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
私はもちろん喜びますし、それは日本や世界の未来のためにも喜ばしいことであろうと確信しております。
「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
「こういうまっすぐな人が健康に安全に生きられる未来って、希望がある」
「この人を応援することで、人文知の明るい未来が実現しそう」
なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。
noteでのチップ、メンバーシップ、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。
特に2023年、令和5年隠岐後鳥羽院和歌大賞で古事記編纂1300年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込んだため、ツアー代金(9万円弱)と交通費を生活費と別に工面することになりました。
皆様のご支援のおかげでそちらのツアーに無事参加。
また翌年、城南宮・鳥羽殿賞を頂きまして、こちらの表彰式ツアーにも参りました。
すべて皆様の金銭的なご支援があってこそ叶ったことです。あらためて、心より感謝申し上げます。もちろん、お気持ちでの応援も大変うれしく思っております。
こうした応援のひとつひとつが私の器を広げ、より良い和歌仕事を世界にお返しすることにつながっております。
令和5年、6年分ともに、ツアーの様子はこのマガジンに連載しております。更新をどうぞお楽しみに。
今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。
この記事を書いた人


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