生き方としての和歌――坐禅、祈り、光厳院
「なぜ和歌をするの? 」
などと聞かれると
「私のすべきものに出会ってしまったから。それが和歌だったから」
と答えるようにしています。
「和歌をするとこんな良いことがある、こんな効果がある」といった話に矮小化したくなくてこんな言葉になるのですが、
そのあたりを言語化できるかもしれない題材が最近あったので、このたび試みてみました。
生き方としての和歌――坐禅、祈り、光厳院
なにかのためになにかをしない
NHKラジオの「らじるらじる」で「宗教の時間」という放送を定期的に聴いているのですが、その日のテーマは禅僧、藤田一照先生による「AI時代に学ぶ禅」。
(2025年12月21日まで聞けます)
そこでは坐禅についてこう語られていました。
「坐禅はなんの手段でもない」
「坐禅という営みは、目的や目標を持たず……それ(目的や目標)を自分の前に置いて、それを餌にして駆け出して行くようなものではない」
うまく言語化できないながら、日々一生懸命生きるなかでつい強張ってしまう体の力がふっと抜けるような感覚がありました。
数字にも成果にもならない時間がただそこに置かれる、その自然のもたらす心地よさ。
「これをしたから、次はこうなるはず」
「これを望むなら、これをしなければならない」
といった直線的な期待から解かれ、線ではなく点として存在する時間が許される――そのように理解すればよいでしょうか。
「成果を求めず、ただ坐る」そうした時間を一日のどこかに置く。
“見返りを計算しない時間”そのものの意味を、他の分野を究めた他者の口から聞かされることに、安心感と懐かしさがありました。
その意味とは、私にとっての和歌と重なります。だからこその“懐かしさ”でしょう。
和歌を詠む時、日々の発信や評価、対価や寄付として返ってくるお金といったものは意識の遠くに置かれることになります。
もちろん、そうして詠んだ和歌を外に出せば誰かの目に触れ、言葉は流通します。
しかし、詠むという行為は第一にそれ自体で閉じるもの。発信や謝礼は副次的なものです。
“和歌を詠む時間”そのものが目的に先立って存在しているし、そのようであるべき。
和歌という尊いものに取り組む時間に、評価やお金などの雑事を混入させたくないのです。
世の中にはそうでない考え方があることも知っていますが、私はこちらを選びます。
坐禅と和歌の相違と類似
部外者の浅い認識に過ぎませんが、坐禅とは、沈黙の内に閉じるものではないでしょうか。
いっぽう、和歌は言葉(詞)として残り、他者と触れざるを得ません。
沈黙と言葉。閉じることと開くこと。
この違いは小さくありませんが、“行為そのものに身を置く時間”という一点で、坐禅と和歌はよく似ています。
“純粋な創作としての和歌”は、世界を操作し利用しようとする手をいったん放す時間。
結果的に言葉を通じて他者に届く可能性はある。しかし、歌に向き合うその瞬間、私はただ詠むことに留まります。
坐禅が沈黙のなかでそうであるように、和歌は言葉のなかでそうあり得ます。
ふたつの行為は、向いている方向が違うようでいて、中心に置かれるものの質は近いのだと感じます。
思考をクリアにするために坐禅をする……
人に評価されるために和歌を詠む……
こうした取り組み方ができるのは事実ですが、それは取り組む側の問題であり、
本質的には先に述べたような、その時間そのものに価値を持たせるべき営みなのだと思います。
坐禅をする代わりに
この坐禅の放送はシリーズものなので、過去何度か同じ藤田先生の、同じテーマの放送を聴いてきました。
そのなかで
「坐禅というものは、忙しなく生きる現代人である私にも必要そう。
ただ、和歌のためになるべく多くの時間を使いたい私には、わざわざ新たに坐禅のための時間を取るのは……」
と感じることもありましたが……。
和歌を詠む時間が、坐禅と同じように私の心を静め、体の強張りをほどいているのだから、この生活に無理になにかを足さなくてもよいのではないか。
最新放送を聴いた時、そう思いました。
私の生活のなかには、藤田先生のおっしゃる坐禅と同じ役割を果たす時間が、すでにあった、という気づきです。
「足りないものを足す」より「すでにあるものを見つける」。
その視点の転換が、呼吸を少し楽にしてくれました。
なにかを増やすことより、滞りをほどき自然に戻すこと。
すでに持っているものに気づき、その密度や強度を高めるだけでよいのだと思います。ひとりひとり、それぞれの。
静の祈りと動の祈り
学生のころに読んだある本の一節が心に残っています。
カトリック信徒の佐藤初女さんは、ご著書のなかでこのように語っておられました。
もう手放してしまった本なので、記憶に頼り、意訳してご紹介します。
忙しくて祈る時間が取れないと言う方がいますが、祈りには静の祈りと動の祈りがあり、
動の祈りは仕事をしながら、家事をしながら、子どもと関わりながら、日々生活のなかでするものです。
祈りは特別な時間を確保できる人だけのものではない、生活そのものを祈りとすることができるのだ、と。
静けさのなかで目を閉じる祈りもあれば、動きのなかで息を合わせる祈りもある。
どちらも祈りであり、どちらが劣るわけでもありません。
20年近くを経て振り返るに、彼女の言葉は、冒頭の坐禅の話、そして私にとっての和歌と自然につながって見えます。
坐禅を組む時間や和歌を詠む時間は一見“祈り”のすべてのように見えますが、
机に向かい、『新編国歌大観』を開いて和歌に取り組む時間だけが“和歌を詠む時間=祈り”ではない。
私にとっては
駅で困っている外国人に道案内する時間も
アルバイト先の後輩に優しく指導したり、指導の仕方に悩んで内省したりする時間も
冷蔵庫の残り物でとびきりおいしいパスタを作る時間も
なんだかんだ和歌に、特に京極派和歌に取り組む時間です。
佐藤初女さんの言葉に当てはめるなら、それらは私の“動の祈り”。“動の京極派和歌”とでもいえるのかもしれません。
伝統と規範に沿って穏当に歌を詠む二条派和歌と異なり、京極派和歌はその歌論上、詠み手の心の状態がダイレクトに歌に反映してしまうからです。
心が整っていなければ、そのたるんだ心の反映された京極派和歌は見るに堪えない出来となります。前期京極派の初期の歌、正応・永仁年間あたりの歌など、怖いもの見たさで覗いてみれば納得されるでしょう。
(二条派和歌だと、心がたるんでもこうはなりません)
“心のままに詞の匂ひゆく”ように歌を詠め――これはお気楽な、現代的な個性重視ではない。
「心のままに詠んだとしても人に見せて恥ずかしくない歌になる、そのような心を日ごろから鍛えたそのうえで、心のままに歌を詠め」という意味です(歌論執筆時の執筆者は自覚していませんでしたが、結果的にそのような意味となる方向に京極派が発展・成功したという意味)
世のT×××××r歌人がひっくり返ってしまうような、厳しい歌論ですよ……。
そのような峻厳な歌論を持つ京極派和歌に取り組むとなると、
心を鍛える時間も
その鍛えた心で、自分が美しいと信じる振る舞いを世界に対しておこなう時間も
もちろん、その鍛えた心のままに歌を詠む時間も
すべてが京極派和歌の鍛錬であるといえる。
そのように気づかせてくれたのは、後期京極派代表歌人のひとりである光厳院、
そして彼を私の人生に紹介してくれた京極派研究者の岩佐美代子先生でした。
光厳院の後半生と沈黙
私が光厳院の人生に惹かれる理由のひとつは、
南朝勢力による拉致以降、京極派和歌を詠んだ形跡がなく、最後は京を離れ一介の禅僧として生き、亡くなったという事実です。
その後半生について、岩佐美代子先生はこのように述べています。
天皇、上皇であるが故に、永福門院よりも又はるかに甚だしくこの過酷な時世にさいなまれた光厳院にとっては、この、最後に安住の居として許されたなつかしい京洛の地をさえも振りすて、戦乱の巷にさすらって自らの罪障を浄め、戦死者の霊を弔い、山寺の一老僧として世を終るという漂白の後半生そのものこそ、自らの「心」の唯一の表現であったのであり、そこには和歌などの介入する余地はすでに残されていなかったのではなかろうか。
作品が途絶えても、彼は京極派歌人として生き続けた。そして、沈黙のなかにその人生を完成させた。
和歌を、京極派和歌を一首も詠まなくなったとしても、その生き方をもって京極派和歌を生きることはできるのだ。
光厳院の後半生の示したこの事実は衝撃的で……希望でもあり、「なんて大変な道を、私は歩み始めていたのだろう」という絶望でもありました。
ただその絶望は、思わず笑ってしまうような、健全な絶望だったかと思います。
この理解は、光厳院をおおげさに持ち上げるためのものではありません。
過剰に意味づけせず、その生のあり方を私は見つめたい。
語られない期間を、空白や断絶としてではなく、別の密度や意味を持つ時間として見る。沈黙の厚みを感じつつ。
その時初めて、言葉(和歌)を用いる時期と言葉(和歌)を用いない時期が、一本の線の上に置かれて見えることになる。
光厳院の沈黙は、私自身が沈黙――和歌を詠んだり読んだりできない、生活のなかの少なくない時間――をどう扱うのか、を問い直させてくれるものでした。
動の祈り、動の和歌
直接和歌に関わっていない時間でも、京極派和歌を生きることはできる。
和歌を詠む時は詠み、詠まない時は生き方で私の美学を示す。どちらも私の京極派の心の表現、体現です。
京極派について学びを深め、光厳院に影響されて日々生きるなかで、私も自然と、佐藤初女さんの言う“静の祈り”と“動の祈り”を生き始めていたみたいですね。
生活を丁寧に営み、目の前の人と真摯に関わることが、私の心の表現であり、また心の鍛錬でもある。
その積み重ねのなかに、和歌と同質のもの、結果的に和歌につながるものが沈殿してゆきます。
和歌から離れているように見える時間が(も)、実は、私の和歌の豊かさを養っているのです。
心に留まった本の一節、早朝の草木の匂い、すれ違った子どもの笑い声。
次の東西線乗り換えホームはあちらだよと中野駅で教えたスウェーデン人旅行者のことを和歌に詠む、ということは、5年前ならいさ知らず、現在の私にはありえません。
ただそうした日々のひとつひとつの行動が、私にとっての“京極派和歌(の一部)”である。
そんなふうに捉えています。
沈黙という和歌
光厳院や京極派の真意は、ただ知識を得て説明するだけでは伝わりません。
資料を読み、史実を追うことは大切ですが、それだけでは届かないものがあります。
そんななかで、和歌と生き方を矛盾させないというあり方を私が続けるならば、その姿勢自体がなにかを語ることになるのではないか。
その姿勢自体が“梶間和歌をこのようにあらしめる光厳院、また京極派和歌”を語ることになるのではないか。たとえ相手がそう気づかなかったとしても。
京極派の美しさ、魅力、光厳院の高潔な生き方が多くの方に、というより……それを必要とする方に、誤解の少ない形で届くことを私は願っています。
わかりやすい言葉や派手な言葉を使わず、背中で語り静かに手渡す。伝わるべき相手に、必要な時に、できるだけ歪みの少ない形で。
私は今日も和歌を詠み、和歌を生きています。
その営みのそばに、坐禅の静けさも、祈りの透明感も、光厳院の沈黙も、重なっているのだと思います。
それ以外のなにかを目的とせず行為そのものに身を置く時間が、生き方に滲み出てゆくことを、日々確かめながら。
なにかを主張するためではなく、ただその行為自体に価値があるから和歌を詠む。
これからも、その積み重ねで生活の音や匂いが少しずつ透きとおってゆくでしょう。
その透明さが誰かにとっての手がかりとなるならば、いつか私がこの生を終える時、あの世の光厳院に微笑んでいただけるだろうか、と思うのです。
京極派についてもっと知る
その他、「梶間和歌 京極派」「梶間和歌 光厳院」などで検索してみてください。
和歌物語に参加する
和歌にフルベットして生きる梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
私はもちろん喜びますし、それは日本や世界の未来のためにも喜ばしいことであろうと確信しております。
「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
「こういうまっすぐな人が健康に安全に生きられる未来って、希望がある」
「この人を応援することで、人文知の明るい未来が実現しそう」
なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。
noteでのチップ、メンバーシップ、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。
特に2023年、令和5年隠岐後鳥羽院和歌大賞で古事記編纂1300年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込んだため、ツアー代金(9万円弱)と交通費を生活費と別に工面することになりました。
皆様のご支援のおかげでそちらのツアーに無事参加。
また翌年、城南宮・鳥羽殿賞を頂きまして、こちらの表彰式ツアーにも参りました。
すべて皆様の金銭的なご支援があってこそ叶ったことです。あらためて、心より感謝申し上げます。もちろん、お気持ちでの応援も大変うれしく思っております。
こうした応援のひとつひとつが私の器を広げ、より良い和歌仕事を世界にお返しすることにつながっております。
令和5年、6年分ともに、ツアーの様子はこのマガジンに連載しております。更新をどうぞお楽しみに。
今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。
この記事を書いた人


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