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人を動かす熱量とは?

温度とは「切り取り方」


昨日まで2回にわたり「場」についてお話しました↓

正直言って、暑苦しい話でしたよね(-_-;)

僕は至って真剣に話していましたが、そもそも皆さんの興味みたいなものは置いてけぼりと言いましょうか(笑)

ある意味では、僕は町について考え語る時に「熱量が多めの人」なんだと思うんです。

僕はこれまで、多くのお話の中で「相対性」という語り口で話してきたと思います。
何かを判断したり意味づける時に、それはどの目線からの判断で、その判断者はどこの位置にいて、みたいなことが判断には内包されているんだよと。

例えば僕のように町について考える事が多い人間は、例えばあまり興味のない方から観れば「町に熱い」とか「町に詳しい」なんて言われるわけです。

しかし、例えば市議会議員さんや市役所の方々は、ある面では物凄く町に詳しく、それを仕事としてやっている訳で、当然に町に詳しい!

だから僕程度の者は、そのような方々と比較すれば「並」なのです。

0度とは「何度」か?


いや、0度でしょ('ω')
と思いますよね(笑)

温度には2種類あります。「摂氏」と「華氏」です。

「摂氏」とは、僕ら日本人が一般に使用する温度。
水が氷るのは0℃、お湯に沸騰するのが100℃、これが「摂氏」の温度世界です。

「華氏」は海外で使われる国があって、温度を「℃」ではなく「℉」で表すあれです!華氏では水の凝固点と沸点をこのように表します↓

水が氷るのは32℉、お湯に沸騰するのが212℉、これが「華氏」の温度世界です。

温度とは、そもそも「測り方」の理論であって、人が感じる感覚を表現する指標ではないのです。
だから外気温が25℃の日を、東京の人は「暑くない」と言いますが、北海道人、特に胆振地区に長く住む者は、25℃の日は「真夏日」だと思っていましたよね?(笑)
温度とは「感じ方」を代弁するものではないんです。


比較があっての「熱い」「冷たい」


誰かに「熱い人」と言われるとき、それは目の前の人との温度差によって、その人が自分よりも、僕の方を「熱がった」ということ。

しかしここからが感覚的に難しい。
ここで言う「熱い」「冷たい」は、人間的熱量の話で、体温の話ではないのです。
通常「温度」であれば、熱は温かい方から冷たい方へ移りますから、冷たい方が「熱い」と感じたという事は、温かい方は熱が奪われている訳で「冷たく」感じる、と言うのが物理法則です。

しかし人間の感情にはこの「熱伝導」が、物理法則によって作用する事はありません。
ですので、向こうが「熱い」と感じたからと言って、僕の方が「冷たい」と感じるとは限らないのです!

これが厄介なんですよね(笑)
つまりは僕には、相手が熱がっているかどうかなんて、解かりゃしないのですよ(笑)

こーゆー理屈でもって、「ウザがられる」みたいなことがあるのでしょうね(笑)


お風呂のお湯を想像してみる

温度差を埋める方法


「上は大火事、下は洪水」なーんだ?
こどもがお風呂を例えて言うなぞなぞです(^^♪

水を加温する過程で、浴槽内の水に対流が起こり、温度の高い「湯」が上層へ移動、対して温度の低い「水」が下層へ降りて行く現象によるもの。

ある一定量の水を、加熱しようとすると起こりうる現象です。

僕はこの事は、町の中で何らかの取り組みを行う上でも、似たような事が起こっていると感じています。

それは、

熱い人は、どんどん上へ行き、温度の低い人を置いて行ってしまう。

まだ温度の高まっていない人たちは、どんどんその活動の下層にたまって行って、最終的には抜けてしまいます。

でも思うのは、お風呂って、熱ければ良いわけではないですよね?(笑)
結局のところ、入浴する際には全体を混ぜて、丁度よい温度を探すでしょ?

そして何よりも、熱いも冷たいも含めて、それなりの、ある一定量の「湯量」で入るじゃないですか?

つまりは「熱いお湯だけあれば足りる」という問題でもない。

だから熱くなれなかった事だけを理由に、そこの水が抜け落ちて、湯量が減ってしまっては身も蓋もない話なのです。

混ぜる事を想定して加熱する


地域活動においては、この考えが重要と思うのです。
つまり、ある一定、「町づくり」や「福祉」に対して熱意を持っている方々が集まって、今後の地域について話し合いをしたとします。

当然、想いがあって集まっていますから、議論は白熱し、そこからいいアイデアや活動が生まれて行きます。
素人目には感じ得ない、種々の課題に対する策を練り込んだ、とても素晴らしい形の活動が生まれると思いますし、現にそのような活動でなければ救われない困りごともあると思います。

しかし・・・
このようなプロセスで生まれた活動は、実は一部の窮まった方々を救うが、町全体の中で、恩恵にあずかる人々のシェアを伸ばせないという課題にぶち当たるんです。

誤解の無きように言いますと、「だからその活動は不要」と言っているのではないのです!!
むしろそのような活動は必要なんです!!
だって現に救われている方々がいるのですから!
「あって良かった!」という考えでいいのです!!!

僕が危惧しているのは、そのようにして集まって、活動や支援を形作った方々が、熱量の違いで対象とできなかった多数派を「仕方ない」として、以後の検討の対象から外してしまっていないか?ということ。

ある意味で、熱い議論を重ねたこのような「中核的な活動集団」は、そうした地域づくりのプロ集団なわけです!
あ、一般市民から観れば!ってことです。

しかしこの地域づくりの「プロ集団」は、その他の「無関心~何となく関心はあるけど」くらいにいる大多層と混ざり合って活動していく前提にいないことが、実に多いのです。

なんだろう・・・
多分ですが、自分たちの思う「救いたい」「支えたい」みたいなものが、そういうそうと混じり合う事で「薄まって」効果を出せないって感じてしまうのでしょうかね?

でもですよ?
さっきの風呂の話で、ガッチガチに熱い上層と、キンキンに冷たい下層の風呂に、ゆっくり浸かっていられますか?って話。

混ぜたぬるめが結局は長風呂できてしまう・・・。

町って、そういう創り方の方が持続性がある気がするんですよね・・・

ある層から「地域に熱い」、ある層以下は「地域に無関心」みたいな括り方になっているような地域づくりは、創り上げる事は出来ても、持続性に難が出る。

理想的には、グラデーションを描くすべての層が、それなりに、自分たちなりに関わり続けられる。

「ガチオタ」だけでなく「ゆるオタ」も楽しめる、多層的な地域づくりが、実は住民からの継続的な「推し」を受け続けられると、感じるのでした。

今日も読んでくれてありがとうございます‼️
明日も読んでやってください😉


【若草しあわせ研究所:若ラボ】について

「しあわせは、いつだって町にある」を理念に、北海道登別市の若草小学校区(若草町・美園町・上鷲別町)をフィールドに社会教育活動を中心とする任意団体です。

町内会、PTA、学校、そして住民の皆さんと共に、この町でずっとしあわせに暮らしていくための「町づくり」を支えていきます。

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