創作大賞応募作品| 寧々 《第13話》
《第13話》 蜜と罰と
それからというもの、会うたびに寧々を抱いていた。
添い遂げたと認識していたのは、透哉のほうだけだっただろう。蜜月でも、なんでもなかった。のちに思い返せば、哀れで愚かしいだけの勘違い野郎だった。
透哉が、完全に失念していたことがある。
思春期における透哉の性に対する認識が歪んでいたのと等しく、寧々のそれも歪んでいたのだ。
寧々にとって、性行為は『罰』に過ぎなかった。愛情を伴うものではなく、自分を罰する行為。男にいやらしいことをされるだけの苦痛を伴う行為。苦痛であるはずなのに、時として快楽を伴う行為。
寧々は、男の身体を受け入れることに慣れていた。あの日からこの家にずっと閉じ籠っているにも関わらず、である。透哉の知らないところで、男と会っていたのだろう。
それは透哉の胸中で嫉妬の嵐を巻き起こし、嫉妬は憤りとなり、そして情欲へと変換される。
その一方で、自分の恋愛経験の少なさは羞恥心を伴い、そもそも寧々の嘘に派生したものだと思うと、憤りは増幅する。そしてその憤りもまた、情欲に変換された。
ベッドで見せる寧々の痴態もまた然りである。寧々はあの日以降、食が細りかなり痩せたが、今でも充分に女性らしい肉感的な身体だ。それは扇情的であり、魅せられるなというほうが無理だ。
率直に言おう。溺れていた。
寧々はもしかしたら、自分を試していたのだろうか。
寧々の嫌いな、寧々の肉体。男たちが性的な目線で視姦する寧々の肉体。肉体は精神の容れ物であるにも関わらず、男たちが蔑ろにする寧々の精神。
欲望に負けるか否かというならば、見事なまでの惨敗である。そこに愛情が存在しなかったわけではない。それでも寧々の心は、少しずつ離れていった。
交錯することのない視線。天井を見つめたままの虚ろな眼差し。抱き返してくることなく、シーツに投げだされた腕。
寧々に貼られていた『fragile』の札は既に剥がれていた。だからといって、雑に扱ったつもりなど毛頭ない。
それでも寧々は、透哉が向けてくる感情の変化を見抜いていただろう。優しさや労りといったもの、その質が瓦解して劣化していくことを、どのように受けとめていたのか。
気がつかなかった。いや、本当は気がついていた。気がついていたが意識的に目を塞いでいた。寧々が、一切抵抗の意思を示さないのをいいことに執拗に彼女を求めた。
そして、すべてが明らかにされる日が訪れた。
♦︎♦︎♦︎
寧々がパソコンを所有していることを、やや意外だと思ったのは事実である。そして、それがリビングではなく彼女の寝室にあること。パソコンの置かれたデスクまわりが、やけに殺風景であること。
春の気配も色濃い日の晩だった。
寧々は、眠りについていた。規則正しい寝息が聞こえている。喉が渇いた透哉は、寧々の寝室を抜け出して台所へと赴いた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、喉を潤す。
そして寝室に戻り、電源が入ったままのパソコンの画面に光るアイコンに視線を奪われた。
『Destined Partner』 ── 恋人探しアプリである。
『…… 柊生さんって、アプリで女の人探してるんですか?』
過去に尋ねた自分の声が、脳内で谺した。いけないと咎める心は、もう既に透哉のなかには存在しない。寧々の携帯を密かに調べる行為を、透哉は常習的に行ってきている。もちろん、寧々を守るという名目で。
嫌な予感は的中した。
寧々が懇意にしているとみられる男性。親しげにメッセージをやりとりしている、その人物の名前が『柊』。柊生とみて、間違いないだろう。
震える手でマウスをクリックして、そのメッセージの応酬を目で追っていく。
実際に会っているわけではないらしい。柊生は、「今度会ったら」という文言を逐一繰り返している。
ゲーセンでシューティングゲームやろう。敵を銃で撃ちまくるヤツ。ボクシングジム行って、サンドバッグ相手にスパーリングするのもいい。
遊園地で絶叫マシン。カラオケで熱唱。柊生の提案するデートコースは、寧々が明らかに好みそうにないものばかりだ。
失笑しかけて、しばらくして腑に落ちた。大声をだして自分を解放する娯楽。柊生は、寧々のうちに存在する鬱屈を理解している。楽になれ、と促している。
そして初期に交わしたと思われるメッセージに、透哉が意味がわからないと酷評した『SMごっこ』の詳細が記されていた。
── あんた、男に酷い目に遭わされたんじゃないのか?
── どうして、そう思うの?
── あんたの弟がさ、痴漢野郎に対して、すげえ態度とるからさ。家族に被害者でもいるのかって思ってたら、案の定、姉ちゃんがいたからさ。違ってたら、ごめん。
鋭い、と思わざるを得ない。
軽薄な口調と不真面目な態度は、彼が自分の心を守る術だ。一皮剥けば、誠実な人柄で洞察力に優れているのは、俊さんを始めとして知る人は知っている。
── だからさ、俺が『M男』の役やってやるって。俺の頭、脚で踏んづけていいからさ。床に跪いて這いつくばって、『お許しください、女王さま』って、ヒーヒー泣いてやるよ。
そんなことしたくない、と寧々の返事。
── 今までの男に対する鬱憤、晴らしなよ。俺がそいつらの代わりに、『申し訳ございませんでした!』って謝ってやるから。
そして、そこで柊生から注文がつく。蝋燭や鞭は痛そうだから禁止。ボンテージ衣装も、俺のなかの妙な性癖が目覚めると困るからやめて。ヒールは、現物を見て要相談。
「なに言ってんだ、この人……」
呆れたような独白が漏れた。なにを言っているんだ、と心のなかで反復する。
そんな遊びで、寧々の心が癒されると思うのか。初対面の柊生に、こんなに簡単に提案される遊びで解決するなら、自分が寧々を想って費やした日々は果たして何だったのだろう。
『俺が、代わりに謝ってやる』
器の違いを見せつけられた気がした。これを言える男が、どれほど存在するのか。
寧々の愛読する少女漫画から現れたかのような容姿。寧々の精神を蔑ろにしない、その言動。寧々が惹かれるのも無理はない。いや、惹かれないほうがおかしい。
透哉は掌で顔を覆って、机に肘を突いて項垂れる。視界が遮られていて、察知することができなかった。透哉の背後に、物音もさせずに寧々が近寄ってきていた。
マウスをクリックさせる音。
透哉は驚いて、顔を上げる。そして、パソコンの画面が切り替わっていた。
先ほどの寧々と柊生の会話の画面は閉じられ、そこに映っていたのは……。
「……なんだよ、これ……」
半裸の寧々の姿。体操着を着ているところを見ると、中学生の頃の写真だろうか。AIで加工されたものだということは一目瞭然だった。体育祭で撮られたと思われる写真。恐らくは組み体操を行っているときのものだ。
胸の部分だけを剥き出しにするように加工されている。他にも、水泳の授業中と思われるスクール水着写真。その写真の酷さは言葉にすることができない。
「クラスの男子にね、面白がって写真加工されて共有されてたの」
それが、登校拒否の原因か。
うん、とだけ頷いて、寧々に話を促す。身体から力が抜けそうになって、椅子の背もたれに寄りかかった。
「それを友達に相談したら、『それって、胸が大きいこと遠回しに自慢してるの?』だって」
ああ、と透哉は呻きたくなる。思春期を迎えた人間は、男女ともに残酷だ。透哉のもとにも、同級生の加工写真は送信されてきた。まさか、寧々が同様の被害に遭っているとは思わずにいた。
彼らはまだマシだ、と寧々は告げる。
異性の裸体に興味があるだけの、思春期の愚かで純朴な少年だと。事実、彼らは寧々が性被害に遭ったという噂が流れ、寧々が不登校になった際に、烈火の如く怒り狂った。
自分たちが犯した行為は棚にあげて、寧々が警察に突き出した知的障害者の青年の家に赴き、投石をした。生卵を投げつけた。『強姦魔』と壁に落書きをした。
それを幼い正義感が為せる業と評するには、あまりにも度が過ぎていた。彼らは寧々を傷つけるつもりなど毛頭なく、悔恨の念と自らに対する怒りの矛先を青年に向けてしまったのだろう。
警察に逮捕された時点で、犯罪者の烙印が押されたも同然。透哉の心によぎった考えは間違ってはいなかった。人は、法の裁きに委ねるのを待つことなく、思い思いの方法で人を裁こうとする。
では、寧々の嘘の招いた一連の悲劇に、悪魔はいなかったのか?いや、ひとりだけ存在した。
寧々の担任の教師である。
