創作大賞応募作品| 寧々 《第6話》
《第6話》 sexual consent form
『恋愛強者』と『恋愛弱者』と呼ばれる言葉がある。
自らをどちらかに分類せよ、と言われたら、あまり認めたくはないが弱者のほうだろうと透哉は思う。では強者はというと、ひどく身近に存在している。柊生である。
ただし、強者の彼でも、失敗することはあるらしい。
「俺、断じてなんにもしてねえからな ‼︎ ふざけんなよ、あの女!不同意もなにもあるかよ!」
まあまあ、と激昂する柊生を宥めながら、俊さんは彼のグラスにビールを注ぐ。飲まずにいられるか、とばかりに柊生はあおるようにビールを一気飲みする。
事の発端は、柊生が『不同意性交罪』で警察に出頭要請を受けたことである。
本人は断固として否定しているが、不起訴が確定するまで謹慎するように、との職場からのお達しが出た。透哉は俊さんに伴われて、独身寮の柊生の部屋を訪れている、という次第である。
「あの、セク……なんちゃらフォームだったか、男に不利すぎるだろ。女のやりたい放題じゃねえかよ」
『sexual consent form』である。
直訳すれば、性的同意書。男女が関係を持つ際に交わされる契約 である。この概念が誕生して、ここまで広く普及すると誰が予想しただろうか。あまつさえ、法的に義務づけられる日が来ようとは。
「天下の悪法……って、言われてますよね」
透哉は焼酎を炭酸水で割りながら、ぼそりと告げる。さきほどから居心地が悪い。あまり愉快な話題ではない。その理由を説明することは憚られるから、この場に居ざるを得ない。
「悪法中の悪法だろ。男女のアレやコレまで、政府が口出してくるなんて世も末だろ。そんなんだから、少子化にさらに拍車がかかるんだよ」
俊さんは赤ら顔で枝豆をつまみながら、愚痴を零す。
少子化に拍車がかかっているのは、誰もが否定できない明白な事実である。結局のところ、無責任な快楽の果てに── もとい、ごく自然な成り行きで授かる生命が多かったということだ。
『sexual consent form』が義務づけられた経緯は、近年における性犯罪の増加である。
いや、それは果たして増加であったのか。著名な識者は否定する。それは「増加」ではなく「可視化」であった、と。
日本版 『#MeToo』。性被害を訴える女性が増えた。それは恥ずべきものではないという概念。泣き寝入りする選択肢は過去の遺物と化した。
その風潮は決して悪いものではないと、透哉は思う。ただし、『性被害』の定義が極めて曖昧であることを除いては。
男は、常に怯えている。自分は有害な存在ではない。不埒な存在ではない。獣ではない。それを証明することに躍起になっている。
女性の容姿を褒めることも、恋人の有無を尋ねることも、果ては住まいはどのあたりか質問することさえも御法度となっている。禁止事項でがんじがらめである。
どの台詞がセクハラ認定されるかわからない職場において、恋愛相手を求める人間は絶滅した。身を滅ぼしかねない愚行である。
では、インターネットの海は? 結論から言えば、その海は豊穣の海ではなかった。人々の理想郷にはなり得なかった。
『Destined Partner』という名の出会い系アプリにおいて、大規模な性犯罪が摘発された。それを契機として、他の出会い系アプリもじわじわと汚染が拡張するように性犯罪の温床となっていった。余談であるが、その殆どが冤罪だったと判明したのは、数年が経過したのちのことである。
女性に安全な出会いの場を設ける 。そんな名目のもとに義務化された『sexual consent form』であるが、その効力は如何に。
覿面であったと、評価されるべきなのか。
庇護の対象である女性は、時としてその権利を濫用する。女性にとって安全になった恋愛市場は、男性にとっては地雷の潜む荒野となった。うっかり地雷を踏めば、いとも容易く犯罪者の身に転落する。
そしてその犠牲者が今、自棄になったようにビールを飲み干しながら喚いている。
「だけどさ、柊も透哉も可哀想だと思うよ。こんなに恋愛が不自由な世の中になってさ。普通20代から30代にかけてなんて、仕事に恋愛に、人生で一番実り多い時期のはずだろ?」
『可哀想な若者』認定されてしまった透哉と柊生は、顔を見合わせる。互いに複雑な表情をしていた。
「そりゃ、俊さんは奥さんも子供もいるから、他人事だよな。若い頃は、面倒な手続きなしで女と寝れただろうしなー」
柊生の口調が嫌味を含む。俊さんは慣れているのか、気を悪くする様子もなく苦笑いしていた。
「…… 柊生さんって、アプリで女の人探してるんですか?」
意外だった。柊生ならば、その必要はないのではと思わせるものがあったからだ。
今の時代、男性にとって唯一安全な恋愛。それは女性からのアプローチだ。「告白は男性から」なんて、既に黴の生えた価値観である。彼の中性的な容姿は、女性に好まれやすい。柊生が恋愛強者と評される所以である。
現在のところ、同意書が義務づけられているのはアプリを経由した恋愛だけである。他はあくまでも任意だ。
ただし、若い女性を中心として同意書を求める人間は多い。愛情の証として。同意書と避妊具。これらがワンセットの世界に変貌しつつある。
「探してるよ。今夜俺と寝てくれる女募集してますーってさ」
途端に、俊さんが意味ありげに含み笑いをした。
「こいつの『寝る』って、ホントにただ寝るだけだからな」
「……添い寝ってことですか?」
そう、と柊生は悪びれる様子もなく肯定する。透哉は言葉を失った。奇抜なところのある人なのは承知していたが、予想を超えていた。
「けど、相手の子はその気だったんだろ。女を抱き枕の代わりにするから、逆恨みされて訴えられたりするんだよ」
「だって、俺ひとりで寝れないんだから。仕方ないじゃん」
抱き枕……。ひとりで寝ることができない。
透哉は眼前で交わされる会話に、唖然としていた。唖然としていたが、途中で思い至った。ひとりで寝ることができない理由……。俊さんに視線を向けると、気まずそうに目を伏せていた。
柊生はそれに目敏く気づいて、透哉に笑顔を見せる。
「この前おまえと社食行ったとき、俺、ハンバーグ食べてたじゃん?その日の夢がさ……、子供がミンチされて挽肉になって、それでできた人肉ハンバーグ、俺食ってんの。もう大絶叫して、目が覚めたよ……」
笑って語ることではない。
それは最悪ですね、と相槌を打つべきことではない。どれほどの苦悩と悪夢を抱えてきたのか。返す言葉が見つからない透哉を眺めて、柊生は困ったように笑う。
「そんなわけで、今晩は可哀想な俺のために!ふたりとも、絶対帰るなよ!」
「もとから覚悟してたよ。いっそのこと、このまま一晩中飲み明かすか。柊の抱き枕にされたくはないからな」
そんな親父臭え枕いらねえよ、と柊生は笑いながら毒舌を吐いていた。
