長編小説|Another Horizon #04
#04 AIに代替のできない職業
※この章は、不快な描写を含みます。あらかじめ御了承ください。
荒れているな、と紬の後ろ姿を一瞥しただけで感じた。
テーブルに放置されたビールの瓶が3本。カウンター越しに、店主が助けを求めるように航太に視線を投げてきた。その事実に航太は困惑する。いったい、彼女とどんな関係だと思われているのだろう。
「……飲みすぎですよ」
紬の正面の席に荷物を置いて、テーブルに突っ伏している紬に声をかけた。
空にした瓶が回収されることなく放置されているのは、紬の飲酒量を航太に知らせるためだろうか。それとも、彼女の飲むペースが早すぎるのか。
いずれにしても酒類を提供しているとはいえ、ここは定食屋であって居酒屋ではない。過剰な飲酒も長時間の居座りも、店の迷惑になるだけだ。
瓶を両手に抱えて、カウンターの奥の店主に渡した。条件反射で、迷惑かけてすみません、と謝罪してしまう。そして、さらに誤解を招いたな、と反省した。
伴侶でもなければ恋人でもない。互いの連絡先すら知らない。約束を交わすこともなく、ただ店で落ち合って公園で酒を飲むだけの仲。
「俺、すぐ食べれそうなの注文したんで……、食べ終わったら、場所変えましょう」
声を押さえたつもりだったが、隣の中年の男性客に聞かれた。好奇と羨望の視線。ホテルにしけこむとでも勘違いされたか。羨みたければ羨め。場所を変えるといっても、移動先は色気もクソもない公園だ。
航太の提案に、テーブルから顔をあげた紬は素直に頷く。
「航太くん来るの待ってたら、ちょっと飲みすぎちゃった……」
そのとき胸に沸き上がった感情に、航太は渾身の思いで蓋をする。ただのリップサービスだ。勘違いするな。男を悦ばせるのが職業の女だ。
「ビール瓶3本が、『ちょっと』ですか」
有頂天になりかけていた胸の内を悟られぬよう、冷静に指摘する。
ふふ、と笑う泥酔した紬の笑顔が、いつになく媚びを含んでいるように思えた。
♦︎♦︎♦︎
夜の公園で酒を飲む男女の姿を、人は奇特だと思ったに違いない。
6月。夜の8時を過ぎても熱気は居座り続ける。公園はすでに、快適に時間を過ごすには適切な温度ではない。それにもかかわらず、この場所を選ぶのは他に選択肢がないからだ。
実は、航太の暮らすマンションはこの公園から至近距離だ。既に公園から建物の一部が確認できる。そして紬の自宅もこの近辺に存在するのは、想像に難くない。
俺の部屋に来ませんか、とは航太は口が裂けても言わない。大学進学を機にこのマンションに引っ越してきて以来、恋人も友人も誰ひとりとして部屋に招いたことはない。彼女もまた然りだろう。恋人でもない男に住居を知られるなんて、愚かな真似はしないはずだ。
その結果として、冷房の効いた快適な部屋が近くにあるにもかかわらず、汗だくで酒を飲んでいる。馬鹿じゃないのか、と正直思っている。
「最初に……したのは、高校生のときです。当時付き合っていた彼女と。外国のすごい綺麗な景色のホテルに行って、そこでしました」
先ほどから、航太はオンラインでのセックスの経験を告白させられている。しかも半強制的にである。言わないとズボン脱がせるわよ、と脅された。彼女なら、やりかねない。その脅迫をした本人は、素敵……と航太の話に目を輝かせている。
公園のベンチ。紬の足下には空になったビールの空き缶がいくつも転がっている。
「あ……今、航太くん、笑った!そのあと、実際にセックスしたんでしょう?」
「なんで、わかるんですか……」
思わず、情けない声が出てしまう。完全に図星だ。
彼女の部屋のベッドに横たわって、互いにVRゴーグルを着用してログインした。仮想空間から戻ってきてからも、その余韻から醒めることなく求めあった。今となっては、幸せな記憶などあのときしかない。
「そのあとは、VRで知りあった彼女と……。VR上では問題なかったんですけど、実際に会ってしたら、かなり痛がられて……。結局、うまくいかずに別れました」
「ヘタクソなんじゃない?」
絶対に指摘して欲しくなかった事実を、紬は情け容赦なく指摘する。
やはりそうか、と航太はがっくりと肩を落とす。そのとき、奇妙な沈黙が生まれた。
「今、私が『教えてあげる』って言うの、期待したでしょう?」
「……してませんよ……」
どうして、こうもすぐに露呈してしまうのか。自分が単純過ぎるのか。彼女が職業柄、男の心情を読み取る能力に長けているのか。
タダ乗り禁止ー、などと紬は呟いて、ビールをぐびぐびと飲み干している。
タダ乗りって……と、その下品な表現に航太は呆れる。そしてなかばヤケになって、思いだしたくもない最悪な経験も告白することにする。
「最後のは、途中で逃げられました。抱きあっていざこれからって瞬間にログアウトされて……、もうひとり取り残されて呆然です。それがトラウマになって、それ以来オンラインではしてません」
隣を向くと、紬が苦しそうに腹を抱えて笑い転げていた。
「いいですよ、笑ってくれて……。そこまで笑われると、かえって気が楽になります」
嘘ではない。自分の惨めなセックスの経験など、いくらでも笑ってくれて構わない。彼女の気が晴れるなら、それでよかった。
何かあったのか、と尋ねることができない。
尋常ではない飲酒量から、彼女が何かしらの鬱屈を抱えているのは想像がついた。嫌な客の相手をせざるを得ないのか。
「そんな心配そうな顔しなくても、お客さんの大半は、いい人だよ」
「だから、どうして……俺の考えてること、お見通しなんですか」
もう、ここまでくると、うなだれて降参するしかない。
お客さんの大半は、いい人だ。それは宿泊業界においても共通する。きちんと対価を支払い、受けたサービスに礼を述べる。常識的であり、善良だ。問題は割合が僅かであっても、とてつもなく悪質な客も存在することである。
「紬さんの言う『いい人』の定義ってなんですか?乱暴しない、とか?」
「可愛い、って言い換えることもできるかな。奥さんや彼女やオンライン上では満たされないものを求めてくる人が多いから。人肌が恋しいからハグしていて欲しいとか、添い寝してくれ、とか。子守唄歌ってくれっていうのもあったし……。あとは、赤ちゃんに話しかけるように接してくれ、とか?『ママのおっぱいでちゅよー』みたいな」
「ハグはわかりますけど、最後のはキモいです」
意外に思わなかった、と言えば嘘になる。たったそれだけの願望を叶えるために、大金を払うのか。
会員制のエスコートサービスであり、莫大な額の入会料を要求される。必然的に客は富裕層に限定され、その時点で客層は淘汰され洗練されていく。サービスは必ずしも性的な内容に限らず、妻や婚約者の振りをしてくれ、という同伴の依頼が最も多い、とのことだった。
「俺に、興味があるなら買ってくれていい、って言ってませんでした?」
恨みがましく、航太は言ってみる。ホテルマンの給料で賄える金額ではない。
「社長になれば買えるわよ。それに顧客には、航太くんと同年代の子もたくさんいるしね。まあ、みんなIT関連の職種の人だけど……」
( IT関連ね…… )
今の時代の花形の職業の代表格だ。エンジニア、デザイナー、プログラマーと職種は多岐に渡るが、その所得は総じて高い。AIを監督する側の人間。
現在、教育現場でしきりに叫ばれているスローガンだろう。『機械にはできない仕事を目指せ』『人間にしかできないことを為し遂げろ』『AIに管理される側の人間になるな』
和哉くんにそれを聞かされたときには、正直キツいな……と感じた。
兄がIT関連の仕事をしていると橘には説明したが、厳密には少し異なる。大雑把に括れば含まれるかもしれないが、プログラミングに関しては素人だ。
むしろIT関連の王道は、翔太郎の別れた奥さんのほうだろう。VRの空間デザイナーという肩書だったように記憶している。
知らず知らずのうちに、微苦笑が漏れていた。
「時代の最先端を行く人たちが、女を買う、なんて古くさい真似をするんですね。自分たちが開発する世界で、何でも叶えることができそうなものなのに……」
「娼婦は世界最古の職業っていう説のこと?」
皮肉めいた航太のセリフに、紬は若干驚いた様子だった。すぐに航太は自分の口調を詫びる。自分と同年代の男が彼女を買える立場を有していることに羨望した、とは言えなかった。不甲斐ないにも程がある。
「…… Singularityって言葉、知ってる?」
聞き慣れない英単語を、紬は口にした。シンギュラリティ、と聞こえた。
「いえ、知りません。IT関連の言語ですか?」
そう、と紬は首肯する。
人工知能が人間の知能を越える転換点のことだ、と紬は説明する。お客さんの受け売りだけどね、と言い訳しながら。
そんな日が来ると思う?と訊かれたので、来ないでしょうね、と即答した。
「紬さんの言いたいのは、例えばSF映画にあるような人工知能が人類を支配するような未来のことじゃなくて……、つまりは、機械が人の心を読みとって客の潜在的な希望を叶えるようなサービスをするか否かってことでしょう?」
「そう。人間そっくりに創造されたアンドロイドの娼婦……みたいな」
「ないでしょうね。例えばですけど……、アンドロイドに『ママのおっぱいでちゅよ』なんて言われたら、紬さんの客だって、怒ってアンドロイドを破壊すると思いますよ」
容易く想像できる未来図だったのか、紬は吹きだした。
機械は、人の代わりには成り得ない。機械に人の心は癒せない。人の心を癒すのは人であり、人の心の穴を埋めるのもまた人である。
だから、人々は怒り続ける。何故、俺の心を汲んでくれない?言わなくても、そんなことわかるだろう。どうして、自分の希望を最初から最後まで説明する必要があるんだ。
それは相手が機械だからだ。人の希望を明瞭に言語化されなければ、認識できない存在だからだ。
そこに満たされない憤懣や鬱屈がある限り、紬のような職業の需要はあり続ける。彼女が娼婦は世界最古の職業と告げたように、未来永劫あり続けるのだろう。
「機械のサービスに満足できない人間がいる限り、人間が接客するサービスの需要は存続するだろうし……。そこで日頃の鬱憤晴らしをする人間もいるでしょうね」
今度のは、完全な皮肉だった。そこまで語って、航太はミネラルウォーターのボトルを飲み干す。
尋常ではなく、暑い……。暑いが、帰りたくない。まだ、この空間に居たい。
航太の首に滝のように流れる汗に目をとめて、紬がバッグからジップロックの包みを取りだした。何かと思えば、大量の飴だった。
「塩飴、舐める?」
飴をくれるなんて大阪のおばちゃんか、と思ったが、口にはしない。好きなだけ取っていいよ、とジップロックごと渡してくる。膨大な量だ。
『Rain Drops』という、有名メーカーの商品。雨と飴をかけているのか。機能性を謳う塩飴のパッケージが多いなかで、珍しく少女趣味的な商品だ。
「こんなにたくさん……。お客さんに、配るんですか?」
水色の飴玉を、公園の脇の街灯にかざしてみる。透きとおった水色の光が、そこにあった。
そんなわけないじゃない、と紬は航太の質問を一笑に付す。
「私が舐めるんだって。男のアレの味を忘れるために」
その瞬間、自分は石像のように固まっていたのではないかと思う。飴を持ったまま動かない航太を眺めて、紬が笑いを堪えていた。
「いらないの?」
「いるわけないでしょう!そんなこと言われて、食べられるわけないじゃないですか」
ふーん、と紬は不服そうに航太から包みを受けとる。
嫌な客がいる。酒の力で必死で記憶の外に追い払おうとしている客がいる。違いますか?
心の内に幾度も浮かぶ疑問符を、言葉に出すことができない。言葉に出したところで、救うことなどできない。ならば無責任に、残酷な疑問などぶつけてはならない。
「機械にはなくて人間にあるのは創造性だって、お客さんは言ってたけど……。だとしたら、人間にはできなくて、機械にできることはなんだと思う?」
まだ話は続いていたのか、と航太は瞠目する。
紬は航太に質問を浴びせておきながら、自ら回答を口にする。そして、その言葉こそが率直な人柄に思える彼女ですら吐きだせないことだったのだろう。
「できないことを、それはできません、と断る能力。されたら嫌なことを、やめて欲しいと拒否する能力」
彼女の言わんとすることが痛いほど伝わってきて、航太は固く瞼を閉ざす。
『大変申し訳ございません。お客様の御要望にお応えすることはできません』そっけなく、いとも簡単に機械は人の要望を拒絶する。絶対に悪いなんて思ってないだろ、という単調な喋り方が、人の神経を逆撫でするのだ。
それと同様のことが、人間にはできない。
泣いて拝みたおされたり、威嚇されたり、暴力の気配をちらつかされたりすれば、人は容易く屈してしまう。そのことを理解しているから、法に触れない境界線で理不尽な要求を繰りかえすモンスターは輩出され続けるのだ。
「そんなに綺麗な顔をした女が憎いなら、殴ればいいのに……。そうしたら、警察に突きだしてやれるのに。殴らないの……」
虚空を見据えて、独白するように紬は語りはじめる。航太は、ただ黙って耳を傾けていた。
「醜男が綺麗な奥さんと結婚できたからって。その奥さんに蔑まれて頭があがらないから。奥さんに復讐できないからって、大金を払ってまで、女の泣いて嫌がる顔を見たいのかって……。人の顔にあんな汚いもの、ぶっかけやがって……」
紬の口調が怒りを孕みはじめた。
「挙げ句の果てに、………を食え、だなんて、そんな人間いる?」
風が吹いて、聞こえなかった。いや、本当は聞こえていた。聞こえた言葉を、脳が漢字に変換することを拒否していた。聞き間違えだと信じたがって、錯綜を起こしていた。
『排泄物』と、確かに聞こえたのだ。
紬の身体から、汗の匂いがした。不快な匂いではない。
航太は恐る恐る自分の胸元を見おろす。自分の胸に縋りついている紬の姿がある。聞かされた内容の衝撃が強すぎて、彼女に抱きつかれた事実に気がつかなかった。
抱きつかれて、ようやく彼女の示す媚態の意味を把握した。助けてくれ、と訴えている。助けてくれたら、タダで寝てあげるから。ベッドの中でなんでもしてあげるから。
「……警察に、相談は?」
そのとき自分は彼女に対して明確に境界線を引いたのだと思う。俺は、あなたを助ける立場の男ではありません、と。
食堂で会っただけの男。まだ若く世間擦れしていない、青二才。綺麗な女に誘われただけで浮き足立つ女慣れしていない男。セックスで女を悦ばせることもできない未熟な男。
「警察に相談以前に……、職場に相談はしたんですか?エスコートサービスっていう、何らかの組織に属しているなら、組織は労働者を庇護する義務があるはずでしょう?」
組織がときとして、労働者を庇護することより客の利益を優先させることがあることを承知のうえで、確認する。もう帰りましょう、と紬の肩を掴んで、自分の身体から離した。
そのとき彼女がどんな表情をしていたのか、航太の記憶にはまったく残されていない。
その後、食堂で紬の姿を見かけることはなかった。
出逢いから僅か2ヶ月。自分とは関わりのない世界の女性と、偶然道が交錯したのだと思うことにした。それでも、ときおり胸を掻きむしりたくなるような焦燥感に駆られる。
酔っ払った彼女を介抱するために仕方なく部屋に招き入れ、翌朝には一糸纏わぬ彼女が自分の横で眠っている。そんな展開は、現実では起こらない。
あわよくば、と願う心がなかったとは言いきれない自分を、心の底から恥じた。今でもあまりの羞恥心に身が捩れそうになることがある。
自分の肉体を餌にして、馬の鼻先に人参をぶら下げるかのようにすれば容易く食いつくと思われた。利用されたのだという認識は、どこまでも航太の自尊心を打ちのめした。
