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地味に最大の論点になるであろう「住宅」についての思考メモ

一昨日の浜田敬子さんとの対談でも少し話したのだが、僕の今の最大の関心事項の一つが「住宅」にある。

こういうことを書くともしかしたら多くの読者がキョトンとするかもしれない。実際に僕が震災後に「生活」に関心を移して、これまでとは異なる分野の人々とコラボレーションを始めたとき、ゼロ年代批評系の(可愛そうだけれど、自分で思っているほど考える力が高くないせいで)自意識の問題で頭がいっぱいになっているタイプの読者(男性99%)から、「宇野は何をやっているんだ」とずいぶん文句を言われたものだけれど、実は『庭の話』に結実する仕事はここからはじまっているのだ。

そして今の「住宅」への関心はその延長にある。何度か指摘しているが戦後中流の実態とは、(民族的、性的マジョリティの)男性労働者の「持ち家」取得に寄る資産形成に他ならないことは統計的に明らかだ。この実質的な再分配は加工貿易によるグローバルサウスの搾取や女性を労働市場から排除することでの男性雇用の安定供給などを背景にしており倫理的には完全にアウトなのだが、この「持ち家」取得におる実質的な再分配は、労働者の資産形成に限らず労働形態や家族形態をも強い力で規定し、これらが相互に結びついて強固なシステムを築き上げていた(過去形)のがポイントだ。

それは何度か指摘するようにフォーディズムと家族賃金モデル、そしてそれを支える20世紀後半的福祉国家の世帯単位の社会保障の三位一体の制度だ。男性労働者に長期雇用と高給を保証し、郊外の持ち家を数十年ローンで購入させ、それを専業主婦に管理させるーーこれは比喩的に述べればメルトコンベアに穴を開けないために(熟練労働者に辞められないように)産業的な要請のもとに構築されたモデルに他ならなない。そして同時にこれは(民族的、性的にマジョリティの)男性であれば誰もが「父」になれるという家族主義的な物語(「自己実現としての家父長制」)による労働者のアイデンティティ安定を図るモデルでもあったと言える。

この2020年代後半になってもまだ、この「自己実現としての家父長制」に憧れるゾンビみたいな男性(家長崩れのラブゾンビ)は多いが、この欲望は殖産興業的な労働者の動機づけや、ナショナリズム「ではない」回路での労働者のアイデンティティ安定のために導入されたイデオロギーに過ぎず、人間にとって「本来的な」ものでも何でもない(嘘だと思うなら少し歴史を勉強すればいい。陰謀論系Youtubeチャンネルとかじゃなくて)。

そしてもっと言ってしまえばこの「自己実現としての家父長制」を(主に20世紀後半のある時期に)広く実現したのは、フォーデイズムの同時代に発明された「住宅ローン」(長期雇用を担保に、低金利で自分が済むための家を買うための、現代の僕たちが馴染み深いタイプの住宅ローン)という金融商品の普及だった(戦後にマーシャル・プランやGHQ当地計画で西欧と日本に輸出された)。要するに、いまだにウヨウヨしている「自己実現としての家父長制」に呪われた人たちの欲望は、住宅ローンという「商品」の産物なのだ。

これは同時に、「住まい」のような基本的なインフラや、それにまつわる商品やサービスの存在が社会を、人間の欲望を大きく変えるトリガーになる(住宅ローンがそうであったように、単体ではダメだ)ことを意味する。そしてこの2026年の世界を見渡してみよう。再び拡大をはじめた格差の象徴的な存在であり、そしてかなりの場合実態でもあるものはズバリ「住宅」だ。現代人の大半にとって最大の出費が住宅費であることは疑いようがない。そして世界中のメガシティは、便利な都心にはグローバルエリートが殺到し、地価や家賃は高騰している。そして「そうではない」現地の人々は郊外や、市外に追いやられている。

あれ? 何十年か前に世界中のベビーブーマー世代が購入したはずの「持ち家」はどうなったの? いい質問だ。少し考えてみよう。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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