テックを「批判」するのは大事。でも「嫉妬」してはいけない。
今週は、本当に「たまたま」コロナ禍について考え直す機会が何度かあり、今日はそこで考えたことを簡単にまとめてみたい。
いまコロナ禍のことを振り返ると、やっぱり法規制ではなく自粛要請、つまり「空気」をつくり「世間」に相互監視させるというやり方で国民をコントロールするやり方が、「それでワクチンをみんな打ったんだからいいじゃないか」と「結果オーライ論」で肯定されているのは問題だし(90年くらい前にこの流れで誰も戦争を止められなくなったのを、都合よく忘れ過ぎだろう)、当時適当なことを吹聴してこの「自粛ムード」の醸成のためだけに発言していた「無責任専門家」問題もスルーするべきじゃないと思う。
しかし、今日僕が織り上げたいのはもうちょっと別の方面のことだ。
僕がここ数年考えているテーマに近い問題としてよく思い出すのは、『「新しい生活様式」は「新しい格差を生む」からダメだ(だから「古い生活様式に戻せ)』とか言っていた人たちのことだ。要するにフードデリバリーやリモートワークなどの「新しい生活様式」は、感染リスクを経済階層的に低いエッセンシャルワーカーに押し付けているからけしからん、という理屈だ。当時ドヤ顔で、この手の主張を気持ちよくしていた人を見かけたとき、僕はどうしようもないな、と思った。たしかにエッセンシャルワーカーが、経済的にだけではなく感染リスクにまで強く晒されるのは間違っている。しかし、その解消法として「古い生活様式に戻せ」というのはまったく解決にならないからだ。
少し落ち着いて考えれば誰でも分かると思うのだが、仮に「古い生活様式」に戻したとして、より強い感染リスクに晒されるのは結局劇場のモギリとレストランの配膳係だ。そして感染自体は「新しい生活様式」に切り替えた場合に比べて爆発的に拡大し、長期化していたことが予測される。つまり何の解決にもなっていない。
どう考えても必要なのは、新しい格差構造に対する新しい再分配と、市場での成功と結びつかない尊厳リソースの確保で、どう考えてもリモートワークとフードデリバリーを潰して「古い生活様式」に戻すことじゃない。そんなことをしても、格差は解消せず、弱者の感染リスクも増大し、そして社会のDXは立ち遅れる(これも最終的には弱者にしわ寄せが来る)。
まあ、当時「古い生活様式に戻せ」と主張していた人たちは要するにこれを機会に「花形」のIT系をクサしてやりたい、みたいな幼稚な嫉妬を抑えられなかったのだと思う。あるいは、単に家族から孤立気味だったり、友達がいなかったりで「さびしい」おじさんが、部下を連れて飲み会を開き、強い立場でドヤ顔をできる場所をゲットできなくなったので、「リモートワークはけしからん」とか、「飲み会は大事」とか叫んでいたのだと思う。
で、僕の考えはこうだ。別にコロナ禍が始まる前から、ホワイトカラー偏重社会は問題になっていて、トランプ現象の背景の一つとして知られていた。このnoteでもたびたび紹介しているサンデルやグッドハートのメリトクラシー批判も、この問題の解消を主張しているものだ。そして彼らが指摘するように経済格差だけではなく、肉体労働者や感情労働者の尊厳が損なわれていることが問題の核にある。
つまり現代の経済構造に対応した新しい再分配と、経済的成功と結びつかない尊厳の確保が本当の問題なのだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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