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PTL File.15 ハンセン『闇に消える』(1970)

 前回のジョージ・バクストのファロウ・ラブのシリーズは第一作のみ翻訳されていたが、こちらのデイヴ・ブランドステッターのシリーズは幸い、最後まで全作紹介された。全12作。
 『闇に消える』“Fadeout”は第一作。

Soho Syndicate デイヴ登場50周年版
第1作〜第6作(2022〜23)
Soho Syndicate デイヴ登場50周年版
第7作〜第12作(2022〜23)

 バクストのファロウ・ラブはNY市警の刑事だが、こちらはロサンゼルスの保険会社の調査員デイヴ・ブランドステッター。
 日本でもわりと人気があった探偵だ。早川書房のポケミスで全作翻訳刊行されたが、版元が一冊も文庫化しなかったので、今は幻(デジタル版下以前なので、電子化もない)。
 彼が作品にお目見えした時点で四十代、順調に歳を重ねて最終作では七十歳手前となる。

早川書房ポケミスで訳されたシリーズ全作。

 彼の印象的な科白と言えば、まず、これをおいて他にはないだろう。

「訊かせてくれ。なりたくもないのに、なぜ中年のおかまでいられるんだ?」
「なりたくないと、誰がいいましたか?」

『闇に消える』ハヤカワミステリ(朝倉隆男訳)

 相手から「中年(年齢)」「おかま(ジェンダー)」の二重のバイアスで侮辱されているのに、それを軽々と躱している。このしなやかさが、デイヴ・ブランドステッターという男の魅力だ。ハードボイルドの探偵らしい減らず口ブラフと矜持を感じる。

 ハードボイルドなんてある時期には、男性優位主義マチズムの権化のような作家(例えば、マイク・ハマーのシリーズで有名なミッキー・スピレイン)が君臨していたし、西部劇由来の英雄崇拝とも親和性の高いジャンルで、そこにゲイの探偵が殴り込みをかけているのだから、これぐらいの減らず口は常に叩いていないとやってゆけないのだ。

 今回、シリーズ全作を数十年ぶりに読み返して、なるほどと思ったのは、老骨に鞭打つ場面が多いということだ。あまり表立って言動に表明しないが、正義感の強さが行動の背後にあって、危険を顧みず調査を遂行する。
 "investigator"という言葉は、ハードボイルド創始者ダシール・ハメットのコンチネンタル・オプの時代から、私立探偵を指す言葉であるとともに、警官や現代の保険調査員を指す言葉でもある。デイヴは優秀な保険調査員なのだ。彼は、最初、父親が起業した「メダリオン生命保険会社」の専属として登場する。
 この保険調査員という職掌もアメリカでは、一般的にタフでマッチョな仕事と見做されていて、そこにゲイで細身でクールな印象のデイヴが、親の七光で職を得ているという矛盾がまず開示されるのだ。作者の皮肉と、世の中が全てのマイノリティに対して公平リベラルであって欲しいという願望が託されている。

 この探偵が登場した時代は「ネオ・ハードボイルド」の勃興期で、それまでのハードボイルドの、銃、暴力、女とのセックス、荒仕事、というパルプフィクション的探偵像が軒並み塗り替えられ、ターニングポイントとなった時代でもある。
 ベトナム反戦運動や、女性や黒人の権利運動、更に、ストーンウォールに端を発するLGBTの声上げの時代。
 タフさ一辺倒ではない多様性が、ジャンル文学であるハードボイルド・ミステリにも波及して、一定の成果をもって開花したのだ。

 ビル・プロンジーニの名無しのオプのシリーズ第一作『誘拐』、マイクル・Z・リューインの気弱なアルバート・サムスンのシリーズ第一作『A型の女』が、ともに1971年。1970年にシリーズを開始したハンセンはそれらに先んじている訳だが、『闇に消える』は本当はもっと前の、1967年(ストーンウォール以前なのだ)に執筆されている。出版社が見つからず数年寝かされていたらしい。
 塩漬けにされた理由はやはり、主人公がゲイの調査員だという点に尽きる。ハンセンはこのシリーズの前後に、ジェームズ・コルトン、女性名のローズ・ブラックという二つのペンネームで小説を書いている。満を持して本名でこのシリーズを執筆するが、なかなか作品を世に出せなかったのだ。
 ハンセンとほぼ同期と言えば、マイクル・コリンズの隻腕探偵ダン・フォーチュンのシリーズ第一作『恐怖の掟』が1967年。
 こうやって、「ネオ・ハードボイルド」(名付け親は日本の評論家・小鷹信光。つまり、日本でだけ通用するジャンル名)のグラウンドで多様な探偵が生み出され、ハードボイルドの読者層の底辺が広がった。

 事件は、ラジオの人気パーソナリティでカントリーシンガー、フォックス・オルソンの失踪である。車が谷間に転落しているのが発見されるが、潰れた車中に死体がなかった。生死が分からないまま保険の支払い請求がなされ、デイヴの出番となったのだ。
 登場時、デイヴは、死への誘惑と闘っていた。ガードレールのない曲がりくねった山道。その遥か下にフォックスの車が転落した激流が音を立てている。ハンドルを握る手が汗ばんでいる。彼は「この六週間、死ぬことだけを考えていたんじゃなかったのか?」と自分に問いかける。「今は生きてゆくと決心したんだ。そうじゃなかったのか?」とも。
 デイヴは、十二年間共に暮らしたロッドという恋人を、癌で失っていたのだ。その死を忘れ立ち直ろうとすればするほど、過去の記憶が甦ってくる。出会った頃のこと、楽しかった日々、探偵小説を読みあったこと、夜更けの病院の廊下…その病室で、ロッドは死の床に就いていた。
 そんな悲しい最中の仕事は、デイヴにしばしの忘却を与えてくれるかに見えたのだが…

 大きな痛みを抱えた探偵像は、ある意味新鮮なのである。推理機械であるにせよ、タフガイであるにせよ、従来の探偵は心の中を曝け出したりしなかったのだ。
 この時期の新しい潮流の中で、デイヴは、大きな喪失感を抱えた人物として登場した。つまりハンデを背負っているのだ。さらに、世俗的なハンデとなり得るオープンリー・ゲイと言うファクターも彼は備えている。
 そんな彼が、事件を担当し新たな出会いに踏み出す過程が、このシリーズ第一作である。

 ミステリとしての通例で、書評であまりプロットの捻りには触れられない。ましてや犯人をや。だが、ハードボイルドの探偵として、保険調査員としての調査の中で、彼はフォックスの過去に関わっていたダグ・ソーヤという男と出逢う。そして、惹かれ合う。
 つまり本作は、シリーズをこれから引っ張ってゆくであろう主人公であるデイヴが、新たな相手を獲得する物語なのだ。
 カーレーサーの恋人を事故で喪ったダグ。
 病気でロッドを喪ったばかりのデイヴ。
 喪失感を埋める為の関係は、残念なことに長持ちしない。早くも第二作『死はつぐないを求める』で破綻を来たし、第四作『誰もが怖れた男』で訣別してしまう。

 「傷つきやすい紅絹もみの心をタフな態度の裏に隠し」、と言うと、よくレイモンド・チャンドラーのあのフィリップ・マーロウのことを指すが、シリーズ初期のデイヴもまた、そんなガラスのハートを鎧の内に秘める男である。
 だが、第五作『ブルー・ムービー』で、父の死によって父が創業した保険会社から追い出されてフリーの調査員となり、事件を追う過程でついに、かなり年下の新しい恋人に巡り会う。セシル・ハリスという黒人のテレビマン志望の青年だ。
 結局、このセシルとは、すったもんだが繰り広げられながらも、最終作『終焉の地』まで添い遂げるのだ。良き人生のフィナーレではないか。

 デイヴがメダリオン保険会社を出るのと同じくして、シリーズも、ゲイ絡みの事件だけではなく、より社会性を帯びたプロットへと変化する。時事問題をテーマに扱うことが主流になってゆく。
 だが、ゲイ探偵としてのアイデンティティは失うことなく、調査の中で様々な場所で生きるゲイと出会い、気づきを得るのだ。それが、シリーズの後半を牽引する魅力となる。
 ポルノグラフィの件、新興宗教の件、エイズの件、過重労働の件、移民問題の件、中米小国の政情不安の件、少年虐待やレイシズムに絡む事件など、アメリカの80年代から90年代にかけての病巣を抉り出してゆく。

 そしてデイヴは、年老いて、老骨に鞭打って事件を調査し続けるが、最終作でついに病に斃れる。作者がもうこの続きはないと、寵愛する主人公に引導を渡すのだ。

 かつてアガサ・クリスティーが、名探偵ポアロに死後の再生産を許さぬよう、『カーテン』で文字通り人生のカーテンを引かせたように、あるいは、コリン・デクスターがドラマ化で望外な人気を博したモース警部を、『悔恨の日』において病で葬り去ったように。
 だが、ハードボイルドというジャンルにおいては、シリーズ探偵役の死は珍しいのではないだろうか。ハードボイルドは一人称かそれに近い主視点人物で探偵役を描くので、探偵は作者の代弁者(まさにプライヴェート・アイ)になりがちなのだ。だから作者の分身に死を言い渡すのは、なかなか勇気の要ることである。

 従来のハードボイルド探偵と似通ったタフさを備えつつ、ゲイとしての幸福な人生を全うしたデイヴ・ブランドステッターを生み出したジョゼフ・ハンセンとは何者か。
 彼はゲイ小説家であったとは、なかなか断定し難いが、ゲイをテーマにした小説を一貫して書き続けた。無償の正義感だけで人(ノンケ、ストレートの)はそのような著述作業をしない。彼はバイセクシュアルの物書きであった。

 早川書房の伝統の翻訳ミステリ専門誌《ミステリマガジン》1990年6月号は、ジョゼフ・ハンセンの作家特集で、ハンセンへのインタヴュー記事「ひげを生やしたゴシック・レディ」が訳されている。
 この時点でシリーズは第九作『早すぎる埋葬』まで紹介が済んでいる。

 …が、平成初頭の物言いにしても、やはり許し難いゲイへの侮蔑的な言葉が、日本側の紹介者から放たれており、見せしめのためにここに載せておこうと思う。

 作家特集の中心となる紹介文の書き出しが、こうなのだ。

 あ、そういうの、読みたくないなあ、と思った。
 ずっと前に、ホモセクシュアルの探偵が主人公のミステリがある、と聞いたときのことである。どうやって、そんなブキミなやつ(すまんすまん)が、探偵なんかできるんだ、とあやぶんだのである。

湯田伸子「セシルをブランドステッター
から引きはなしたい5つの理由」
《ミステリマガジン》1990年6月号

 おちゃらかしているが、最低の物言いだ。この一文を書いた方、少女漫画家で2016年に物故しているのだが、だからと言って許されていい訳がない。
 ハードボイルドの探偵は女好き(少なくともノンケ)であって欲しい、ゲイは「ブキミ」というバブル時代を引きずる差別丸出し断定口調で唾棄し、デイヴの選んだ恋人を、探偵は幸せになったら活躍出来ないとの理由(いちゃもん)で別れさせたいと、ジャニーズのファンみたいな嫉妬剥き出しで語っている。
 それが堂々と専門雑誌の誌面に載る時代。いいんですよ、貴女がデイヴという「ホモ探偵」の麗しさに勝手に惹かれている分にはね。でもね、この手の言葉が、どれだけ実社会のゲイを侮辱するだろうかという想像力が、クリエイターにしては欠けているのだ。
 万事この頃はこんな調子よ。私がよくBL腐女子勢へのルサンチマンを語るのは、こうした些細な差別の積み重ねなのだ。最近の若い人には理解出来ないだろうなあ。

 脱線した。まあ、漫画家の戯言はもういい。貴重な作者へのインタヴューに戻ろう。

《ミステリマガジン》1990年6月号

 アメリカのミステリ専門書店のPR誌《マーダレス・インク》に1979年に掲載されたディリス・ウィン女史による聞き書きなのだが、ハンセンがローズ・ブラックという女性名義で、ゴシック・ロマン作品を執筆したのは何故か、という点に迫っている。
 67年に『闇に消える』の執筆中、ハンセンは自信喪失に陥り、その種のゴシック作品を何冊も読み耽ったのだと言う。そして、ミステリのかわりに、これなら一作書けるのではないか、と試してみて、かつて原稿を持ち込んで断られた出版社に送ってみたところ、一発で売り込みに成功した、とある。
 だが、ここでは時系列があやふやなのだが、ブラック名義第一作”Tarn House"は1971年にHarrar社から出版されたが、ブランドステッターものの第一作は1970年に大手のHarper & Rowから出ている。さすれば、デイヴの方が先に売り込み成功なのではないかと思うのだが…

 ハンセンのプレ・ブランドステッター時代を語るなら、ジェームズ・コルトン名義のゲイ小説について語るべきで、1964年の”Lost on Twilight Road”から1971年の”Todd”まで8作も出版されている。
 ゴシック小説は日本ではほとんど翻訳されることもないが、アメリカでは多くの女性読者に支持されるメジャーなジャンルなので、インタヴューでは、ゲイ向けのコルトン名義(読者少)よりもブラック名義(読者多)の方をクローズアップしたと思われる。

 ハンセンの生涯に触れると、1923年にサウスダコタ州の靴屋の息子として生まれ(カポーティ、ボールドウィン、ヴィダルと同世代)、十三歳、家族でカリフォルニア州に移住、高校を出てすぐ結婚して娘が誕生する。作家になる前は、書店員、図書館員、アナウンサーと、職を転々とし、二十代で《ニューヨーカー》に詩を発表。やがて、大学で詩やミステリの創作講座を教えるようになる。
 ブランドステッターのミステリが徐々に受け入れられるようになってから、本名のハンセン名義で4作の普通小説を書き、そのひとつである”Backtrack"(1982)が『アラン 真夜中の少年』(二見書房)として邦訳されている(コラム「真夜中のなんちゃら」を参照のこと)。

 日本ではあまり詳しくハンセンのライフスタイルは報じられていないが、本国のWikipediaを覗くと、コルトン名義で執筆している頃から、文筆やラジオでゲイの人権を訴える活動をしており、ただのゲイ寄りのノンケ作家ではなかった。私がさっきハンセンをバイセクシュアルの作家だと断定したのは、このような背景による。結婚して子供もいるゲイなんて、今でもざらにいるではないか。たまたまそういう人物が意識的に、唯一無二のゲイ探偵を作り出したということだ。

 四半世紀で一ダースのデイヴのシリーズを執筆する後半、ハンセンはより汎用性の高いジョン・ボハノンという(ノンケの)保安官を主人公にしたシリーズを発表する。
 こちらは基本、短編連作として書かれて、第一作品集の"Bohannon's Book"(1988)が、『タンゴを踊る熊』(早川ポケミス)として翻訳されている。ボハノン保安官のシリーズは亡くなる前年の2003年まで書き継がれた。
 2004年11月24日、ハンセンは生涯のほとんどを過ごしたカリフォルニアで、心臓病のため亡くなった。

 デイヴ・ブランドステッターのシリーズは、現在も各社からペイパーバックが刊行され、日本と違って電子化も為されている。

Mulholland Books版(2014〜15)
Mulholland Books版(2014〜15)

 日本では再刊が絶望的なので、全シリーズの概要だけでも載せておく。

1.闇に消える Fadeout (1970) 朝倉隆雄・訳
 カントリーシンガーのフォックス・オールソンの車が転落し、激流に呑まれ、死体が見つからない。彼はどこへ? そして、妻子ある、コミュニティの人気者フォックスの、隠された過去と秘密の愛を巡り、事件が展開する。

2.死はつぐないを求める Death Claims (1973) 真崎義博・訳
 事故で全身火傷を負った男は、その治療のために全てを失っていた。そして、ビーチで溺死体で発見された。だが、デイヴは彼の死を自殺や事故で片付けることはできない。その朝、保険金の受取人の変更を予定していたからだ。

3.トラブルメイカー Troublemaker (1975) 小林宏明・訳
 ゲイバーの経営者が胸を打ち抜かれて、その横に、全裸の若者がピストルを手に呆然と立ち尽くしていた。単純な痴情殺人に見えた事件にデイヴが首を突っ込むと、その朝銀行から引き出された1500ドルが消えていた。

4.誰もが怖れた男 The Man Everybody Was Afraid Of (1978) 伏見威蕃・訳
 誰もが怖れた男、黒人やゲイ嫌いの反動主義者の警察署長が撲殺された。警察はゲイの活動家を逮捕したが、デイヴが調査に乗り出すと、被害者の娘の誘拐を示唆する手紙が見つかった。娘はどこへ?

5.ブルー・ムービー Skinflick (1979) 大久保寛・訳
 反ポルノ運動を指揮する男が殺されたが、その遺品の中には、夥しい幼児ポルノや避妊ピルや、使途不明の支払済み小切手が多数見つかった。デイヴが依頼で被害者宅を訪れると、その息子がポルノ本を庭で焼き捨てていた。

6.砂漠の天使 Gravedigger (1982) 田川律・訳
 新興宗教の教祖が住む砂漠で、若い女の死体が何体も発見された。依頼人は娘が教祖の元で暮らしていて、殺されたかもしれない、と告げた。身元不明の死体の一つが娘だから保険金を支払えと。娘は本当に死んでいるのか?

7.真夜中のトラッカー Nightwork (1984) 池上冬樹・訳
 平凡なトラック運転手が、深夜、謎の荷物を運搬中、崖から転落死した。荷物に爆弾が仕込まれていたらしい。デイヴが調査に乗り出すと、謎の依頼を紹介した男も変死を遂げていた。真夜中のトラック便に潜む秘密とは?

8.放浪のリトル・ドッグ The Little Dog Laughed (1986) 小林宏明・訳
 有名なジャーナリストが自殺した。中米情勢にまつわる取材の最中だった。その助手も何者かに射殺され、協力していたパイロットも墜落死した。緊迫する政情不安の中、デイヴは紛争に肉迫してゆく。

9.早すぎる埋葬 Early Graves (1987) 菊地よしみ・訳
 ゲイのエイズ患者が次々と刺殺される事件が起きた。その犠牲者の一人の死体が、こともあろうにデイヴの自宅で発見された。これは連続殺人の一環なのか。それとも被害者の事業絡みの事件なのか。疑惑を雪ぐべくデイヴは動く。

10.服従の絆 Obedience (1988) 菊地よしみ・訳
 ベトナム移民で成功を収めた実業家が、マリーナに呼び出されて射殺された。容疑者はベトナム退役軍人だった。容疑者の公選弁護人からの依頼でデイヴは、ベトナム移民コミュニティ内の殺人に挑む。

11.弔いの森 The Boy Who Was Buried This Morning (1990) 安岡真・訳
 サバイバルゲームの最中、ひとりの若者が実弾を受けて死んだ。近くの山で狩りをしていたハンターの流れ弾と見られたが、被害者の同僚であるセシルの証言で、被害者が過激な人種差別主義者であることが分かった。

12.終焉の地 A Country of Old Men (1991) 福田廣司・訳
 体調が優れないデイヴは保険調査の仕事を引退していたが、古い友人からの電話で、少年誘拐犯と思われる男が殺された事件の調査を頼まれた。ネグレクト疑惑の親たち。少年を誘拐した女。デイヴは最後の事件に乗り出した。

 各作品の、ミステリとしての発端のみを5行でまとめた乱暴な紹介になってしまったが、いずれも世紀を跨いでも解決されない混沌とした状況を反映した、アメリカの、ひいては、現代日本にも通ずる諸問題が関わる事件である。

 ハードボイルド作家の先達は、チャンドラーもロス・マクドナルドも、カリフォルニアの上流階級にまつわる個人的悲劇に固執したが、20世紀後半のゲイを主眼テーマとした作家はより広い視野を持って、正義の遂行に勤しむ保険調査員のヒーローを見事に作り上げたのだった。
 「ハードボイルド・スクール」の創始者のハメットが、自らが探偵として暴力の巷に生きた過去を投影し、『血の収穫(赤い収穫)』(1929)で、揺れ動く大恐慌時代のアメリカ西部を活写したように。
 アメリカの探偵小説の良心が、ここに結実したと言っても過言ではない。だからこそ、本国ではハンセンのブランドステッター・シリーズは、読み継がれているのだ。
 もし英語がお出来になるのだったら、ペイパーバックでも電子版でもいいから、ハンセンのブランドステッター・シリーズを手に取ってみては如何でしょうか。もちろん、古書価は跳ねるが、邦訳を入手されるのもやぶさかではない。
 ミステリとしても小説としても過分なく、ハンセン作品はよく出来ているのである。

 ゲイはともすれば自分の欲望に忠実で「オープンリレーションシップ」を標榜する人も多いが、デイヴは古い価値観を守っていて恋人一途で、彼の周囲にいる主にストレートの連中の方が、多彩な性愛恋愛観を実践しているというのも、とても面白い。10人も妻を変えた父親や、男運の無さに嘆く女の親友マッジ、真面目だけど毎回デイヴをハラハラさせる恋人セシル、などなど。キャラクター小説としても一読の価値が充分にあるはずだ。
 もう一度、デイヴ・ブランドステッターに陽の目を!

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