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「高橋 広「30-20」展」(東京交通会館):漫画からペン画へ、その転身の背景。東北大震災の恐怖を思い出す


はじめに

 ペンスケッチ仲間の高橋 広さんは、私より年は若いのですが、永沢まこと方式によるペンスケッチ作家としては先輩にあたります。
 もともと漫画家であり、「月刊少年ジャンプ」で「イレブン」という長期連載のヒット作を生み出した方です。ところが、ある時に永沢まこと氏のペンスケッチに出会い漫画家からペンスケッチ作家へと転身したのです。
 私がそのことを知ったのは後のことで、当初は私にとって魅力あるペンスケッチを描くペンスケッチ作家であり、その作風をひそかに目標とした方でした。

 このたび、高橋さんから表題のタイトルの個展のご案内をいただいたので、先週の最終日に訪問しました。

図1 個展の案内状
図2 会場風景1(通路より) 筆者撮影

感想

 これまでの最近の作品を展示する個展と違い、副題「~漫画生活30年、ペンスケッチを始めて20年~」とあるように、過去を振り返る構成になっています。

図3 会場風景2 筆者撮影

 私は最近の作品はもちろん関心がありますが、高橋さんのインスタグラムをフォローして拝見しているので、実作品を鑑賞できるという嬉しさはありつつも大きな驚きや発見はありません。
 しかし、今回は、私が感激した初期の作品だけでなく、私にとっては決して忘れることができない東北大震災をテーマにした作品が展示されていたので、大変感慨深い個展となりました。
 そして、上記、図3に示したあいさつ文に、なぜ漫画家としての最高のキャリアからペンスケッチに転向したのか、永沢まこと氏とのやりとりが記されていたので、初期の作品と人物交流に焦点を絞って紹介したいと思います。

郷愁と人間ドラマを感じる中学野球スケッチ

図4 高橋広《中学野球大会・新人戦》 25×82㎝ 2006 ペンと透明水彩
出典:購入葉書 筆者撮影
図5 高橋広《ボールボーイ》 41×31cm 2005 ペンと透明水彩
出典:購入葉書 筆者撮影

 図4および図5に初期の作品を示します。最初に見たのはおそらく印刷物だと思うのですが、それでも私はそのときの驚きを覚えています。
 それは、何の変哲もない日常の光景を描きながら、ある種の情感がこみあげてくるのを感じたからです。
 それは子供時代のノスタルジックな感じでもあり、また描かれた人々から受ける人間ドラマでした。それは写真とは異なる種類のものです。
 私は、それは高橋さんの線描からくるものだと思いました。それ以来、その線の表情や人間の描写は私の目標とする作家の一人になったのです。
 後に、高橋さんが漫画家であったことを知り「なるほど、だから人間描写にそれがでているのだな」と納得しました。

 しかし、漫画家だからといってすぐにペン画の人物描写が出来るわけではあるとは思えないのです。なぜなら、漫画の顔の描き方は漫画独特の表現があり、そのままスケッチには移行できないと思うのです。実際、図1の個展の案内状をご覧ください。路上を走る二人の少年の顔は漫画キャラクターであり、図4,5の人物表現とはまるで違います。
 おそらく、漫画家からペン画作家への移行はそう簡単ではなかったと思います。

東日本大震災をテーマにした作品に当時を思い出す

図6 高橋広《壊れたトラクター》 57×76㎝ 2013 ペンと透明水彩
出典:購入葉書 筆者撮影
図7 《瓦礫のひまわり》 45×38㎝ 2011 ペンと透明水彩
出典:購入葉書 筆者撮影

 2011年は私にとって忘れられない年となりました。当時私は仙台に単身赴任しており。東日本大震災が起こったのです。
 幸いといってよいのか、偶々当日私は東京の自宅にいて、直撃は受けませんでした。けれど、ようやく勤務先にもどったあとは仙台の被害を目の当たりにするだけでなく、長期にわたる余震に苦しめられました。
(震災後は津波とそれにより引き起こされた原発事故の報道が主になり、実は震災当日と同じ震度7の余震がその後仙台を襲ったことは一般には知られていません。震災当日を逃れた私ですが、余震というのは当日より弱いものだと考えていた私はその甘い考えを根底から覆されました。)

 しかし、揺れによる建物倒壊はまだよいのです。仙台で知り合った人たちから、海岸近くに住んでいた家族や親せき、知り合いなど津波の被害で亡くなった人のことを直接聞くと、自然の恐ろしさを直接感じ、ありきたりの慰めの言葉をかけることはとてもできませんでした。

 職場の体制が落ち着いた頃、時間を見つけて海岸近くに出かけて、津波の惨状をこの目でみることにしました。まだ海岸近くに行くための交通機関は無く、徒歩で私は向かったのです。すると、かなり内陸にも関わらず、放置されたガソリンスタンドの高い看板は捻じ曲げられ、流れ着いた倒壊物が電線の高さまでぶら下がっているのです。その光景さえ恐ろしいのに、さらに進むと畑なのか市街地なのか地面は見えず、見渡す限りもはや形を失い名前さえ付けられない壊れた器物で一面埋め尽くされているのです。

 さらに、私は近づいて声をあげました。金属の塊が(もとは何であったか分かりません。いやそれは嘘です。見た瞬間は分かりませんでした。かろうじて自動車と判別出来ました)、飴のように捻じ曲げられてとんでもない形のオブジェのようになっているのです。それも無数に打ち捨てられて。

 私はえも言われぬ恐怖を覚えました。辺り一面人っ子一人いないからではありません。その捻じ曲げられた形状は、私がこれまでみたどの壊れた形状とも違うのです。どう見ても悪魔か魔物の仕業しか思えないのです。
 なぜなら、これまで見た壊れたものは人間が壊したものか、衝突事故などで壊れたもので、壊れた姿に納得感があるのです。
 しかし、繰り返しますが、理屈ではありません。魔物の仕業かとしか思えず身の毛がよだちました。
 しかし、冷静に考えれば、これが津波の水の本当の威力を感じた初めての経験だったのです。テレビの画面からは到底伝わらないものです。

 高橋広さんは岩手県出身です。2011年8月には北上市さくらの百貨店でチャリティー個展「高橋広ペンスケッチ展 「負けねべし!」」をいち早く開催し、私も仙台から駆け付けました。

 今回、図6,7を見て当時を思い出したので紹介しました。

知られざる転身のきっかけと交友関係

 図3に示すように、通りに向けてあいさつ文が掲げられていました。タイトルを見ると「高橋広に多大な影響を与えた3人の師匠」とあります。

 通常の個展開催挨拶文と思っていた私は、思いがけないタイトルに惹かれて全文を読んでみました。

 そこでは、高橋さんにとって、3人の師匠が語られており、アシスタントとして仕えた漫画家の「ちばあきお」さん、その弟で、高橋さんの漫画の原作者でもある、「七三太郎」こと「千葉樹之」さん、そして最後が私の師匠でもある「永沢まこと」さんです。

 最後の「永沢まこと」さんの項では高橋さんがペンスケッチに入られるエピソードが書かれており、はじめて、高橋さんの転身の動機が分かるとともに、故永沢先生の人柄をあらためてなつかしく思い出しました。

 そのエピソードを引用します。
 まず、永沢まことさんのスケッチとの出会いです。

 その後スポーツものは廃れ、私の描くような漫画は必要とされないと感じることに。 そんな2003年47歳、本屋でたまたま手に取った本が、永沢まこと著「絵を描きたいあなたへ」。「下書きなしで直接ペンで描く」という文章と永沢さんの絵は、それまで 散 々 下 書 き を し て 漫 画 を 描 い て き た 私 に は 衝 撃 で し た 。

高橋 広「30-20」展、あいさつ文
「高橋広に多大な影響を与えた3人の師匠」

 なるほど、「漫画家は散々下書きをするのだな」と変なところで私は驚きました。そして、高橋さんのように月刊雑誌に長期連載漫画を描かれる方でも行き詰まりを感じてつらい面があるのだと改めて知りました。
 さらに描き方が違うためか、次のようなエピソードが続きます。

の ち に 、 永 沢 さ ん に初めて会い絵を講評していただくことになる。新宿御苑で描いた絵だったが「上手いけど、それだけの絵だね」「どうすれば?」「左手で描いてみたら」「…」散々な講評でした。永沢さんにしてみれば、漫画でダメならペンスケッチでもと、安易な気持ちでやられては困ると思ったのでしょう。だが、一向にペンスケッチを止める気配のない私に誤解も解け? その後はなにかと親身になって、教室や個展を開催するよう促
し て い た だ い た 。

高橋 広「30-20」展、
あいさつ文「高橋広に多大な影響を与えた3人の師匠

 私は、この部分を読んで久しぶりに、永沢先生から講評を受ける時の緊張感を思い出しました。

 私だけの感想かも知りませんが、永沢先生の場合は絵の技術的な講評というよりも、絵を通じて、こちらの生き方まで踏み込んで批評を受けている気になるのです。
 私が受講したころはかなり丸くなったと昔の生徒さんからは云われましたが、それでも人間の生き方の本質を突く言葉に緊張したのは事実です。

 高橋さんの場合は、まさに永沢先生がまだ厳しい時代だっただけでなく、永沢先生が、「東映動画」のアニメ作画(アニメーター)、その後商業美術のイラストレーターへの転身、さらには自らの画業のあり方に苦悩し、ニューヨークへ脱出、そこで独自の「ペン画」スタイルを創り上げていった経歴の持ち主ですから、高橋さんが絵のスタイルを変えていく時に、その気構えを厳しく見たのは理解できます。

 永沢先生の上に述べた事情は、その著作「絵を描きたいあなたへ」に書かれており、私は講談社のハードカバー本と文庫本を両方所有しています。
 私は、これまでそれなりに多くの本を読んできましたが、「難しいことを難しく」書く人は多くいますが、「難しいことをやさしく」書ける人はほとんど見たことがありません。この本は、まさに「難しいことをやさしく」書いている本で、意欲的な生徒さんには、是非読んでみてと推奨しています。ただ、今や簡単に手に入らないので時折その2冊を貸し出しています。

 さて、この訪問記事を描くために、高橋さんのインスタグラムを見直していたところ、一枚の写真に眼を留めました。何と、イラストレーターの江口寿史氏と高橋さんが個展会場で一緒に写っているではありませんか。

 実は、高橋さんと江口氏は同い年で古くからの友人関係だというのです。その辺の事情は、江口氏のインスタグラムに詳しく載っていました。

 もともと江口氏も漫画家であり、二人が知り合いなのは不思議でもなんでもないといわれるかもしれません。
 私はこれまで江口寿史のイラストのファンだっただけでなく、ペンスケッチの参考としてきました。

 ところが、一昨年世田谷文学館で開催された「江口寿史展 ノット・コンプリーテッド」展で、恥ずかしながら江口氏がもともと漫画家であることを知ったことを投稿しました。

 その意味で、今回高橋さんと江口氏がつながったのは、勝手に何かの縁を感じ、感想に加えることにしました。

(おしまい)

 前回の記事は下記をご覧ください。


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